
今日は真面目な話をば。
車っていうのは資本主義社会が生み出した最高傑作だと私は思っています。
それは時にスポーツカーだったり、
軽自動車だったり、トラックだったり
求められる状況に特化した「何か」を備えているからこそ
人々に求められ、今や不可欠なものとして存在するわけです。
しかし一方で、中古車屋を見れば
誰にも乗られていない車が山ほど置いてある。
つまり実際のところ「車は余っている」のが現状です。
特にスポーツカーの類は「嗜好品」としての要素が強く
生きる上で必要か、と問われればそうではないでしょう。
しかし好きな人にとってそれは「生き甲斐」であり、
かけがえのない「夢」だとか、「相棒」であると思います。
単なる家電製品とは違うんです。
電気自動車でも長く乗れば愛着もわくでしょうけど、
やはり車は命を預ける乗り物ですし、
その人の趣味嗜好が丸見えになるモノでもあります。
現代人は仕事を通じて、誰かの役に立つことをし、
その対価として金銭を得ています。
自分の知らない所で、誰かの役に立っていなければ
そもそも、あなたは今日まで生きてこれなかったはずです。
だから生きてるだけで、誰かの役に立っているのは間違いない。
しかし、今この国では真面目に働くだけでは満足な生活は出来ない。
むしろYoutuberのように、奇想天外というか
「希少な個性」に金銭が集中しているように思います。
車にしても、実際生きる上で求められる「実用車」と
みんなが憧れる「車」は全然違うことが多い。
例えばロータリーエンジンのRX-7なんか、私も憧れますが
じゃあ、あれで通勤するか? って考えるとまぁ厳しいワケで。
買うだけなら、買える人はけっこういるはず。
でも維持するのは大金がいるし、周りの目もある。
色んな条件が厳しいからこそ、普通の人はそれを選ばないワケで。
だからこそ、それを実際にやってる人を見ると
羨ましいという気持ちと、尊敬する気持ちと、
同時に呆れというか、馬鹿だなと思う気持ちも生じる。
実際に多くの人を幸せにしているのは
明らかに実用車。何故なら、それは無いと生きていけないから。
無くなって初めて、その値打ちに気付くのだろう。
でもその当たり前を忘れてしまうから
高級車とかスポーツカーに憧れて、
「あれさえ手に入れば幸せになれる」とか思ってしまう人も多い。
それはそれで結構なことだが
じゃあ国民全員にクラウンを配布したとする。
それで皆が幸せになれるのかというと、それはないと思う。
幸福というのは、誰かから与えられるモンではないと。
モノによって便利になることは確かだけれども、
便利になるのと幸せになるのは必ずしもイコールではない。
その証拠にキャンプなんてのが流行しているのであって。
あえて不便なことに金を使って、その不便さを楽しんでいるのだから
現代人は何かがおかしくなっていると思えてならない。
自分が誰かを幸せにする、というのは実は無理であって、
幸せになるキッカケを与えるか、もう既にあなたは幸せだよね?
ということに気付かせるしかない。
金銭的な豊かさというのも当然、重要であると思うのですが
本当にあなたが一番欲しいものって何か、考えたことはありますか?
時間? 健康? 家族? 友人? 恋人? 自由? 名誉? 地位?
これからの時代
本当に必要とされる人とはどんな人でしょうね。
世の中って残酷なもんでね。
必要とされなくなった車なんてのは、誰も見向きもしなくなる。
人間は自分にないものを求めますからね。
自分が憧れる車に、きっとそのヒントがあると思うんですよね。
時代を超えて愛される車ってあるじゃないですか。
そこにあるものって何なんですかね。
造り手の魂というか、売るためではなく
本気で好きだから作りました、みたいなものは
ただそこにあるだけで皆が笑顔になる。
なくなった後に惜しまれて、
何十年後に復活する車なんてのもありますけど
自分が車だったら、どういう車になりたいか(笑)
みたいなのは考えると面白いかもしれません。
私の場合、ポンコツな位の方が愛嬌があって親近感がわきます。
ボロすぎるのは嫌ですけど
完璧すぎる車って、すぐ飽きるんですよね。
人間も同じで、
意外性というか、そういう一面もあったのね、的な発見がある人は
やっぱり面白いですよね。
Posted at 2023/12/21 11:34:09 | |
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