2013年01月29日
安全とは一体なんなのだろうか 原子力発電所に関しての考察 20130129
このブログでたびたび取り上げる原子力発電の話。
この原子力発電の是非について、個人の意見を世に問うてもどうにかなる訳でもなく、世間の敵を作るだけであるから、おとなしく世の流れに委ねる事が、利口な選択であるかもしれない。
しかし、のちの世で、あの時こうしておけば、日本国はこうにはならなかっただろうに・・・
なぜ、あのときの日本人はこんな馬鹿な道を突き進んでしまったのだろうと、ならないためにも世間の主流ではない意見を、申しておくことも必要であろうと考える。
それが、今私に出来る些細な事であると考える。
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昨年原子力規制委員会が発足してから、原子力発電施設の直下及び周辺の断層の再調査が、行われている。
その中で、複数の原子力発電敷地内で、活断層の疑いがあるとして、原子力規制委員会として活断層であると認定するかどうか、すなわち最終的に原子力発電の再稼働を認めるかどうかという、今までの原子力発電が出来なくなるという事態になるのかならないのか、安全性と経済性の綱引きが行われている。
昨年末とあるラジオ番組での出演者が、いままで活断層ではないと認めて安全に支障はないとされていたものを、今になって活断層だというのはおかしい。活断層では無いと認めたものについて、何を今更言っているのだという主旨の発言をし、今調査している学者達はおかしいという主旨の事を言っていたのである。
残念だが、この発言をされた方は、経済優先で物事を見ているのだろう。
このような経済性重視の価値観で物事を推し進めた結果。残念だが今の「フクシマ」の現状があるといわざるを得ないと、私は思っている。
この国の物事の進め方は、アセスメントをするのだが、そのアセスメントを判断する専門家は、その事業を推し進める機関から、研究費などの金という利害関係がある。
地質調査しても、それ単体で商売になるはずが無く、環境アセスメントなどの、業務を請け負えるからこそ、その筋の専門家は金を得ることが出来るのである。
金を払って、アセスメントをしてもらった事業主体は、その事業が、アセスメントの結果実行できなくなれば、利益を生むことは出来なくなり、専門家に払った金は、すなわち損益にしかならない。
従って、アセスメントを行った事業主体は、世の中に公表して問題がないというデータを出してくれる専門家に依頼する方策を考えるし、専門家達も、自分達が金をもらうための知恵というか、立ち位置を理解しているというか、当然なんとでもなる結論に落ち着くのである。
そうして、今までいろいろやってきたのである。
しかし、地震と津波で最終的に原子炉が壊れ、放射性物質が大量放出するという決してあってはならない事故が現実起こってしまっては、万が一の確率を無視する訳にはいかなくなってしまったのも事実であり、そうした世の中の世論を反映した機関が、原子力規制委員会である。
そして、その原子力規制委員会は世界の信頼を得るべく、事実に基づいて判断していると言っていいだろう。
だからこそ、既存原子力発電所の廃炉という結論に向かうであろう、活断層の判断がようやく出て来たと言えるのである。
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フクシマの除染作業の手抜き作業も、結局除染をおこなう、事業契約をした大手ゼネコンなどの、利益という経済勘定と、発注者側の国の予算の結果、実際に作業する下請け業者と、現場作業者にしわ寄せが重くのしかかり、結果として、手抜きせざるを得ない状況になっているのが現状である。
今では誰も言わなくなってしまったが、福島第一原子力発電所の冷却水の、地下そして海洋流出が収まったのかというと、決してのんなはずはなく、きっと今でも原子炉の冷却水の一部は漏れ続けているはずである。
東日本大震災が起こる前であれば、冷却水が漏れ出れば大騒ぎになって、原子力関連の法に抵触するはずなのに、一度大量放出してしまえば、いまさら放射性物質が、多少漏れ続けようが、2011年3月の放射性物質の放出量と比較すれば、何ら問題では無いという、慣れというか、なんというか、人間の感覚も麻痺しているというか、酷いものである。
外国でテロに遭い犠牲者が出るとニュースになるが、自動車事故で亡くなってもそれほど話題にもならないというのと同じなのだろう。
身近で規模が小さい事故は痛くないが、突発的な大きな事故は話題性もあり、痛みも大きいと感じるという錯覚。それを演出するマスコミ。
自動車事故は経済性を考えれば許容できるリスクであり、原子力発電所の事故も、日本経済の事を考えると、事故が起これば許容するしかないという事なのだろうか。
しかし、放射性物質の大量拡散放出という事象は、交通事故と比較できないほど、一瞬にして多くの生き物に多大な影響を及ぼす、インパクトを持っている。
しかも、この島国列島である日本国は、世界有数の地震発生地帯のど真ん中で、地震は絶対起こり続ける条件の土地であり、原子力発電所の性質上、日本での原子力発電所の立地は、確実に海岸沿いの津波の影響を確実に受ける場所にあるという、地震と津波を物理的に避けることが出来ないという現実を受け止め無ければならないはずである。
人間で作り出す事が不可能な、巨大な地震や津波エネルギーに、人間が勝つことが出来るはずもなく、その自然エネルギーに立ち向かうこと自体、自然への冒涜であろうと私は思う。
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経済活動は、今日では人間活動の生命線であり、世界の中で搾取する側と搾取される側の二極のうち、どちらに属するかによって、その国の価値が天と地ほど違う事は十分理解する。
しかもこの、搾取する側と搾取される側で、戦争は起こり、命を奪う側と奪われる側になる事も理解している。
だからこそ、血眼になってこの世界経済の荒波に沈まないように、命を賭けて経済活動をしている訳で、その経済活動のキーの一つが、電気エネルギーだという理論も、もっともではある。
しかし、その経済活動を支える労働力は、我々の命であり、労働者が放射性物質で死に至らしめれば、世界に勝つ経済活動が出来るのかと言えば、残念だが不可能に近くなる。
だいたい、放射性物質が大量にばらまかれた結果、日本の工業製品は、世界で受け入れられる事を拒まれ、放射能の風評被害が起こったのも事実である。
経済活動も安心、安全であってこそ世界経済に受け入れられるのは、誰が見てもあきらかであり、その安心、安全を脅かす存在が、原子力発電所であることも事実である事を考えなければならないはずである。
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決死って起こしてはならない、原子力発電所の重大事故。
それを日本は起こしてしまった。
それをまた再び起こすことは許されない。
次ぎを起こせば、世界からの信用、信頼は無くなるに等しくなるだろう。
二度あることは三度ある。
二度と原子力事故は決して起きないといえるのだろうか。
只でさえ地震大国の地に位置する日本の領土。
総理大臣が責任を持つといっても、原子力事故は起こる時には起こるのである。
総理大臣が責任をとっても、一度放出された放射性物質は食い止めることは誰も出来ないのである。
日本国の政府、官僚、電力会社、そして経済界のお偉いさん達。
そこのところよく考えて欲しい。
原子力事故は誰かが防いでくれるものではく、我々のこの手で防ぐしかないという事を・・・
いくら正論を言ってみても、己の欲。そして、己の利己主義によって、経済活動優先の現実主義が、このまま日本の世論として進んでしまうであろう事は、安倍首相の国会演説を聞いていてもひしひし感じる。
最後は、もう二度と原子力発電所事故が起こらない事を天に願うのみである。
結局日本人は、神頼みで生きる人種でしかないということである。
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JOURNAL | 日記
Posted at
2013/01/29 06:51:27
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