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2020年12月28日 イイね!

鈴木登紀子さん死去 96歳 20201228



NHK きょうの料理 などに出演されていた、登紀子ばぁばこと、鈴木登紀子さんが逝去された。

日本の四季折々の料理など、今日の料理を見ていて楽しかった。

登紀子ばぁばの家のキッチンなど拝見して、あんなキッチン欲しいなぁと思ったことを思い出す。


合 掌





料理研究家、鈴木登紀子さん死去 「ばぁば」の愛称で親しまれる

1/8(金) 16:59 

Yahoo!ニュース

 NHKのテレビ番組「きょうの料理」に40年以上出演し、「ばぁば」の愛称で親しまれた日本料理研究家の鈴木登紀子(すずき・ときこ)さんが2020年12月28日、肝細胞がんのため東京都内の自宅で死去した。96歳。青森県出身。葬儀は親族で行った。喪主は長男恭佐(きょうすけ)氏。

 自宅で開いた料理教室が評判となり、46歳で料理研究家としてデビュー。テレビや雑誌などで活躍し、和食を中心に旬の素材を生かした家庭料理を紹介した。著書に「旬の味」「ばぁば 92年目の隠し味」など。


Posted at 2021/01/08 20:41:28 | 墓標 | ニュース
2020年12月27日 イイね!

羽田雄一郎 逝去 53歳 20201227

羽田雄一郎 逝去 53歳 20201227

長野の政治家、羽田家の羽田雄一郎。

突然の逝去。53歳


COVID-19 に感染していた。

救急搬送されている間に、なくなったという。

COVID-19 感染を知ることなく、突然死に至るとは、恐ろしいウイルスだ。




羽田雄一郎の父、羽田孜は、自由民主党の、田中派七奉行の一人として、田中派の実力者だった。

その田中派は、自由民主党と、新生党に分裂して、羽田孜は、内閣総理大臣になった。

その羽田孜の後継者。羽田雄一郎。

まだ53歳。

立憲民主党の中核を担う人だったはず。

羽田孜、小沢一郎、奥田敬和、渡部恒三の田中派七奉行の4人の、反自由民主党政権の、血筋をひく人が去ってしまったのは、残念な気がしてならない。

合 掌









立憲民主の羽田雄一郎・参院幹事長が死去…父親は元首相

2020/12/28 07:38

 立憲民主党参院議員の羽田雄一郎(はた・ゆういちろう)氏が27日、東京都内の病院で死去した。53歳だった。

 羽田氏は、羽田孜・元首相の長男。父親の秘書から1999年の参院長野選挙区補欠選挙で初当選し、当選5回。民主党の野田内閣で国土交通相を務めた。民進党、旧国民民主党を経て、今年9月に旧国民と合流した立民に参加し、参院幹事長に就任した。







言葉失う関係者「まだ53歳、うそだろ」…羽田雄一郎・参院議員死去に衝撃

12/28(月) 8:57 

Yahoo!ニュース

 27日に53歳で亡くなった立憲民主党の羽田雄一郎参院議員は、民主党の野田内閣で国土交通相を務め、現在は立憲民主党の参院幹事長として活動。次期衆院選に向けて同党県連の選対委員長として、長野3区の候補者擁立に奔走していた。突然の訃報(ふほう)に同党関係者らは言葉を失った。

 「驚いて言葉も出ない。うそだろと思った」。羽田氏と親戚の羽田健一郎・長野県長和町長は耳を疑ったという。最後に会ったのは19日で、いつもと変わらない様子だったという。

 羽田町長は「まだ53歳で、閣僚を経験した実績もあった。立民がこれから政権を取れば、国を動かす中心となっていく政治家だったのに」と早すぎる死を悼んだ。羽田氏の後援会「千曲会」の若林邦彦会長も「青天の霹靂(へきれき)。考えが及ばない」と絶句した。

 羽田氏は、2017年に亡くなった羽田孜・元首相の長男。昨年の参院選長野選挙区で5回目の当選を果たした。民主党、民進党、旧国民民主党を経て、今年9月に旧国民と合流した立民に参加。県連の選対委員長として空白区の次期衆院選長野3区の候補者選びを進めていた。長野市内で23日に開かれた県連発足後初となる常任幹事会にも出席していた。

 県連の下条みつ幹事長は「選対委員長の『雄ちゃん』が中心となって話していた。いつも通りの姿だった」と振り返り、「県連の今後については、とてもじゃないが今は考えられる状態ではない」と語った。

Posted at 2020/12/28 16:01:27 | 墓標 | ニュース
2020年12月25日 イイね!

北酒場 作曲者 中村泰士さん 作詞者 なかにし礼さん 相次ぐ逝去 20201225




昭和の代表する作詞家、作曲家 の、中村泰士さん なかにし礼さん が相次いで逝去となった。

戦後の娯楽の王道であった、映画、ラジオから、テレビに移り、1970年代から1980年代のテレビ、ラジオの音楽番組、ヒットチャート番組。

商業音楽が毎週、ヒットチャートを争い、アイドルが歌を歌い、バラエティでコントと唄、そして、レコード、カセット、ラジオ、テレビで曲を聴く。

そんな、時代に輝く楽曲を数多く生み出した、ヒットメーカーの中央にいた方々だ。

「歌は世につれ、世は歌につれ」

このお二人が生み出した名曲、細川たかしさんが歌う「北酒場」

細川たかしさんの代表曲の一つだ。

昭和、昭和と言いたくはないが、昭和を彩った方々である事に違いは無い。

又一つ寂しく思う。


合 掌











細川たかし「心のこり」「北酒場」作詞のなかにし礼さん死去に悲痛「またひとり昭和の偉人が」
12/25(金) 10:54配信

スポーツ報知

 23日に死去した作詞家・作家のなかにし礼さん(享年82)から生前、「心のこり」「北酒場」などヒット曲の作詞提供を受けた演歌歌手の細川たかし(70)が25日、所属事務所を通じコメントを発表した。

 細川は「なかにし礼先生の訃報を聞き、またひとり昭和の偉人が亡くなってしまい残念でなりません。長い間闘病されていたと聞いていたので今は天国でゆっくりとお休みくださいと祈るばかりです」とコメント。くしくも前日の24日には「心のこり」「北酒場」の作曲を手がけた中村泰士さんが20日に肝臓がんで亡くなっていたことが明らかになったばかり。恩人との相次ぐ別れに悲しみに暮れた。

 細川は「先生とは私のデビュー曲『心のこり』を作詞して頂いたのが最初の出会いでした」と75年のデビュー当時を回顧。『私バカよね おバカさんよね』。冒頭の歌詞があまりにインパクトが強く、よくキャンペーンなどで子どもに『あっ、おバカさんが歩いてる』などと言われるほどでした」となかにしさんの詞の影響力を感じたという。

 さらに細川は「元々タイトルが『私バカよね』でしたが、デビュー曲でこのタイトルはかわいそうだと先生が『心のこり』とつけてくれたんです」と秘話を明かした。「その7年後『北酒場』も先生の作品で私にとっての代表曲です。先生本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈りしております」と悼んだ。

報知新聞社




中村泰士さん死去 81歳 「喝采」「北酒場」で日本レコード大賞を受賞
12/24(木) 14:02配信

オリコン

中村泰士さん (C)ORICON NewS inc.

 楽曲「喝采」「北酒場」で日本レコード大賞を受賞した、作詞作曲家で歌手の中村泰士さんが20日午後11時50分、肝臓がんのため死去した。81歳。本人の遺志により、コロナ禍において葬儀は身内のみにて大阪市内の寺院で執り行われた。

 中村さんは1939年5月21日生まれ、奈良県出身。歌手としてデビューした後、1968年に佐川満男の「今は幸せかい」で作曲家デビュー。ちあきなおみ「喝采」、細川たかし「北酒場」「心のこり」、桜田淳子「わたしの青い鳥」、いしだあゆみ「砂漠のような東京で」など、数多くの作品を手掛けた。

 所属事務所は先月、中村さんが9月末ごろ体調不良を訴え、10月初旬に大阪市立大学医学部附属病院で検査を受けたところ肝臓に腫瘍があることが判明したと発表。入院し抗がん剤による治療を受け、転移はなく、経過は良好と明かしていた。

 その後、11月14日にビルボードライブ大阪でワンマンライブ、12月5日には客船内でライブステージに立ったが、これが最後のステージとなった。後日、中村さんの伝えたかった音楽を聴くための会を、30~50代の一般の方を招待し、大阪市内で開催する予定。



なかにし礼さん死去、82歳…「北酒場」「今日でお別れ」などヒット曲

読売新聞 2020/12/25 08:23

 「北酒場」「石狩挽歌」など数多くのヒット曲を手がけた作詩家で直木賞作家のなかにし礼(なかにし・れい、本名・中西禮三=なかにし・れいぞう)さんが、23日午前4時24分、東京都内の病院で心筋梗塞(こうそく)のため亡くなった。82歳だった。告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く。喪主は妻、中西由利子さん。

 中国・牡丹江市生まれ。立教大在学中にシャンソンの訳詞を手がけ、1965年に菅原洋一さんが歌った「知りたくないの」で歌謡界に進出した。以後、黛ジュンさんの「天使の誘惑」、菅原さんの「今日でお別れ」、細川たかしさんの「北酒場」と、3曲の日本レコード大賞受賞曲を含む数多くのヒットを飛ばし、ヒットメーカーとして一世を風靡(ふうび)した。ほかにも、北原ミレイさんの「石狩挽歌」、北島三郎さんの「まつり」など手がけた作品は、約4000曲に上る。

 小説の執筆、オペラや演劇など舞台作品の制作でも才能を発揮。小説では、兄との愛憎劇を描いた実質的なデビュー作「兄弟」で直木賞候補となり、次作「長崎ぶらぶら節」で、2000年に直木賞に輝いた。

 1994~95年には、日本音楽著作権協会理事長を務めた。


なかにし礼さん訃報に朝ドラファンも涙…SNS「てるてる家族が大好きだった」

2020/12/25 11:37

なかにし礼さん訃報に朝ドラファンも涙…SNS「てるてる家族が大好きだった」© 産経新聞社

 24日、作詞家で直木賞作家のなかにし礼さんが82歳で亡くなったことを受け、翌25日、SNSで朝ドラ「てるてる家族」が大きな話題となった。

 「てるてる家族」とは、2003年から04年にかけて放送されたNHK連続テレビ小説。69作目となった朝ドラで、その原作が、なかにしさんが執筆した長編小説「てるてる坊主の照子さん」だった。当時16歳だった(放送中に17歳に)女優・石原さとみが主演を務めた話題作で、戦後の大阪府池田市を舞台に、岩田冬子(石原)を中心にした4姉妹が夢を追う姿を描いた。

 「北酒場」「石狩挽歌」など、作詞家としてのイメージが強いなかにしさんだが、小説家としても大活躍。この作品はその代表作として知られている。

 なかにしさんの訃報を受け、ネットでは多くの朝ドラファンが当時を回顧。25日、ヤフーのトレンドランキングでは「てるてる家族」が上位に入った。

 SNSには「なかにし礼さんといえば、てるてる家族…」「なかにし礼さん。てるてる家族が大好きだったからズキンとした」「はじめてハマったドラマが、てるてる家族やったから、悲しい」「てるてる坊主の照子さんがあったから、僕の大好きなてるてる家族が生まれました。なかにしさん、ありがとうございます。安らかに」など、訃報を悲しむコメントが相次いだ。なかには「きのう、てるてる家族の話をしたとこや…」とつぶやくネットユーザーもいた。

 この一報にドラマの再放送を求める声も少なくなく、ツイッターには「てるてる家族の再放送してくれないかなぁ」「なかにし礼さんを追悼して、てるてる家族の地上波再放送をお願いします」などの要望も届いた。




Posted at 2020/12/25 16:04:53 | 墓標 | ニュース
2020年12月07日 イイね!

小松の親分さん 植木等さんのもとへ 20201207

小松の親分さん 植木等さんのもとへ 20201207
先程、帰宅途中の車のラジオから、小松政夫さんが逝去したと報を聞いた。

正直 ショック!

数年前に、NHK、小松政夫さんの半生を描いたドラマ

「植木等とのぼせもん」2017年放送。

には、オープニング、エンディングに小松政夫さん本人が登場し、淀川長治さんの物まねを披露していた。

とにかく、優秀な自動車セールマンから、クレージーキャッツの植木等さんの付人となり、その後、植木等さんを乗せて車を運転していると、突然、「明日からもう俺の所に来なくてもいいから」と言われ、「お前のマネージャーも、給料も、全部決めてきた」と、芸人として、一本立ちを告げられ、小松政夫さんは、涙で運転できなくなり、路肩に車を止めて泣いたという。

暫くして、植木等さんは、「急いでいないけど、そろそろ行こうか」と言った。

という、小松政夫さんが語る、植木等さんとのエピソードを小松政夫さん本人から、二度と聞くことは出来なくなった。

私の中の、クレージーキャッツを知る当事者がまた一人、ハナ肇とクレージーキャッツの多くのメンバーが行ってしまった、あの世へ旅立たれてしまった。


寂しくもあり、悲しくもあり。

ベンジャミン伊東との、みごろ!たべごろ!笑いごろ! や、タモリとの、今夜は最高! での、小松政夫さんはパワフルで、見ていて楽しかった。

どうかひとつ!

もう一度、小松政夫芸をみてみたかったなぁ。

小松政夫さん 有り難うございました。




合 掌






小松政夫さん死去 78歳 「小松の親分さん」「しらけ鳥音頭」で人気に

12/11(金) 16:42 

Yahoo!ニュース

 「小松の親分さん」や「しらけ鳥」のネタや歌で昭和の人気コメディアンとして活躍した俳優の小松政夫(こまつ・まさお、本名・松崎 雅臣=まつざき・まさおみ)さんが7日午前6時51分、肝細胞がんのため都内の病院で死去した。78歳。福岡県出身。通夜は10日に、葬儀・告別式は11日に家族らで執り行った。喪主は妻・朋子(ともこ)さん。

 小松さんは昨年11月の定期健診で肝細胞が見つかり、入退院を繰り返していた。抗がん剤治療を受けながら仕事も続行。俳優としてドラマなどに出演する一方、ラジオ番組などで軽妙なトークを披露していた。

 今年11月14日に再入院後は容体が回復せず、最期は朋子さんら家族に看取られながら息を引き取った。

 1942年(昭和17年)生まれ。福岡の県立高校卒業後、61年に俳優を目指して上京。さまざまなアルバイトを経験した後、自動車のセールスマンに。敏腕セールスマンとして高収入を得ていたが、雑誌の片隅に出ていた植木等さんの「付き人募集」を見て応募し、64年から付き人兼運転手となった。

 俳優志望だったことを知った植木さんらの尽力もあり、徐々にテレビへ出演。昭和30年代から40年代にかけ人気番組だった日本テレビ「シャボン玉ホリデー」でセールスマン時代のエピソードをもとにした「見ろ!お前のせいで怒られちゃったじゃないか。もう、知らない、知らない、知らなぁーい、もー!」がうけて人気に。その後も映画評論家の淀川長治氏のものまねや伊東四朗との名コンビで人気となった、テレビ朝日「みごろ!食べごろ!笑いごろ!」(76年10月~78年3月)からは「しらけ鳥音頭」がヒット、TBS「笑って!笑って!!60分」(75年4月~81年3月)では「小松の親分さん」などのネタが子どもを中心に話題となった。

 俳優としてもテレビや映画、舞台で時代劇から現代劇まで幅広く活躍。2011年6月からは社団法人日本喜劇人協会の10代目会長を務めた。


親友の伊東四朗絶句「えっ何で?」小松政夫さん訃報

12/11(金) 18:23 

Yahoo!ニュース

7日午前に肝細胞がんのため亡くなった小松政夫さん(享年78)の訃報を知った、タレントの伊東四朗(83)は、盟友の旅立ちに言葉を失った。

この日、都内で仕事の打ち合わせを終えて帰宅した伊東は、事務所の担当者から小松さんの訃報を伝え聞いた。驚いた表情で「えっ、何でなの?」としばらく言葉を失って声が出なかったという。

小松さんは伊東と共演したテレビ朝日系「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」(1976~78年)で「しらけ鳥音頭」「電線音頭」などの軽快な歌で笑わせてきた仲間だ。

今年5月には伊東主催のトークライブ「あたシ・シストリー」に小松さんをゲストで招待していたが、コロナ禍で中止となり、再会を果たせずにいた。最後に会ったのは昨年夏でテレビ局のクイズ番組で顔を合わせていたという。小松さんが、闘病生活を送っていたことも知らされていなかったようで、急な悲報に肩を落とした。

伊東は12日に文化放送「伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛」(土曜午後3時)の生放送に出演する。当日は偶然にもゲストで元キャンディーズの伊藤蘭(65)が出演予定。伊藤蘭も「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」に出演しており、小松さんとの縁が深い。


78歳で亡くなった小松政夫さん、芸能界の裏話はその人の存命のうちにがポリシーだった…今年3月のインタビュー再録

2020年12月11日 18時36分スポーツ報知

# 芸能

3月29日付スポーツ報知首都圏版に掲載された小松政夫さんのインタビュー

 コメディアンの小松政夫(本名・松崎雅臣)さんが7日午前6時45分、肝細胞がんのため東京・三鷹市の病院で死去した。78歳だった。

 小松さんは、今年3月に故郷・博多のタウン誌「月刊はかた」で連載していたエッセーをまとめた「みーんな ほんなごと!」(さくら舎、1650円)を出版し、スポーツ報知のインタビューを受けていた。その一部を再録し、故人を悼む。(高柳 哲人)

 「月刊はかた」で12年前から連載が続いているコラム「ながーい目でみてくれんね」の傑作選「みーんな ほんなごと!」は小松の少年時代の思い出や芸能界での交遊などがあふれている。独特な博多弁の言い回しも手伝って目の前に情景が浮かんでくるような内容は、小松が「ほんなごと(本当のこと)」にこだわったからこそ、生まれたものといえる。

 「『面白いことを書いてやろう』という気持ちではやっていません。自分に文才があるとは思っていないし、素直に書こうとは思っている。それが良かったのかもしれませんね」

 書く時には、頭の中にポンと浮かんできたトピックや思い出などを基に、そこに肉付けをしていく。少年時代の話もよく登場するが、編集担当は小松の記憶力を疑いながらも毎回、感心するという。

 「自分でも『まあ、よく思い出したもんだ』と感じることもあります。不思議ですよね。何で過去の風景を覚えているのか。でも、編集者も私の書いたのを見て、登場人物の名前とかを全部調べに行く。結果、私の記憶は正しくて『よく覚えてますね~』と。だから私は『イヤなことやるねえ』と言うんです(笑い)」

 芸能界の「交遊録」ともいえる項目の中で、最も登場するのは付き人兼運転手で、デビューの後押しをしてくれた植木等さん(2007年死去、享年80)の話。同じ福岡県出身の高倉健さん(14年死去、享年83)やタモリ(74)らの極上エピソードもつづられている。

 「植木は亡くなってからもう13年近くですか…。それでも、いまだに(エピソードを)聞かれますね。自分はそれを自慢っぽく話すのはなあ…と思っていたけれど、ある時テリー伊藤に『語り部として長く伝えてほしい』と言われてね。『なるほど、語り部なら』と思ったんです」

 ただ、他の登場人物に関しては、小松の中で一つのポリシーを持って書いているという。

 「『亡くなったから書ける』というのはイヤなんですよ。何かズルいというか。既に亡くなった方も登場しますが、書いた(『月刊はかた』に掲載された)時には、ご存命でした」

 小松自身は昨年、芸能界デビューから55年を迎えた。自称「目立たず、隠れず、そーっと」活動してきたコメディアンとして、今後は何を目指していくのか。

 「ギャグがスラスラ出てくるうちは、これまで通りやっていきたいと思いますね。オヤジがバカをやるということが面白いんですから」 =今年3月に取材=

 ◆小松 政夫(こまつ・まさお)本名・松崎雅臣。1942年1月10日、福岡市生まれ。78歳。19歳の時に役者を目指して上京。俳優座の試験に合格も、入学金が払えず断念。さまざまな職を経て横浜トヨペットのトップセールスマンになった後の64年、クレージーキャッツ・植木等さんの付き人兼運転手に。コメディアンとしてのテレビデビューは日本テレビ系「シャボン玉ホリデー」。伊東四朗との「電線音頭」や映画評論家・淀川長治さんのモノマネなどで人気に。俳優としても数々の作品に出演。2011年から日本喜劇人協会の会長を務める。






Posted at 2020/12/11 18:05:00 | 墓標 | ニュース

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