2011年08月01日
今年も大東亜戦争の終結した8月15日が近づいてきた。大東亜戦争と聞いて皆さんはどう思うだろうか。多くの報道では、第二次世界大戦や、太平洋戦争という呼称を用いている。しかし、大日本帝国での閣議決定で、「大東亜戦争」と定められた。第二次世界大戦や、太平洋戦争とは、諸外国側から見た名称であり、日本国民としては、「大東亜戦争」と言ってもらいたいものである。
では、この「大東亜戦争」はどうして始まってしまったのだろうか。
いろいろ歴史をひもとくと、簡単に述べられるものではなく、いろいろな事項が複雑に絡み合い、時の流れに巻き込まれ最終的には、「大東亜戦争」を開戦するしか道はなくなったと、なるのだが、いろいろな事項の一端には、大日本帝国のエネルギー問題が関係してくる。
大日本帝国は、石油や石炭、鉄などの資源を、海外からの輸入に依存していた。(現在も輸入に依存している。)その多くの資源を自前で確保するには、各種資源がある場所を、大日本帝国の支配下に置く事が必要となり、朝鮮半島、中国東北部を手がかりに、東アジア、東南アジアへの武力行使による支配をおこなっていったのであった。そして、大日本帝国は大変大きな痛手を負うことになるのである。
そして今、日本国は、またもエネルギー資源の問題で窮地に立っている。地震と津波により、電気エネルギーの中核であった、原子力発電の安全神話が崩れ去り、またして計り知れない痛手を負っている。そしていままだ、その痛手の元となった原子力発電所の事故は収束していない。
原子力エネルギーは、人間の手でコントロール出来ると、多くの人間は思っていたし、コントロール出来るようにシステムを構築してきた。
しかし、現実は、核エネルギーの、コントロールシステムの破壊と、システム稼働電源の喪失によって、いとも簡単に核エネルギーは暴走し、放射性物質が地球上にばらまかれた。
誰が見ても、現行の原子力エネルギーコントロールシステムが、そのまま稼働し続けてよいと思えるだろうか。
2011年3月11日に起きた事態と同じ事が、再度起きれば、既存の原子力発電所の、原子力エネルギーコントロールシステムは壊れるのである。
2011年3月11日に起きた、想定外の地殻エネルギーの放出という事態は、今後二度と起きない保証は何処にもないし、皆がいつの日にか必ず、巨大地震は起こると思っている。
であるなら、やはり既存の原子力発電所については、廃止するか、より安全度を増した核コントロールシステムを導入したシステムの原子力発電所に変えるかしなけらばならないのでは無いだろうか。
私個人としては、より安全度を増した核コントロールシステムは無理なのだろうと思う。いくら安全度を増しても、危険性が0%にはならないからだ。
世の中には、安全度100%はあり得ない。しかし、原子力発電所の危険度の0.00・・・%でもある限り、実際に事故が起こると、災害影響力は地球全体におよび、生命に被害を与える直接的な範囲でさえ、半径数10kmから数100kmに及ぶ。しかも数十年という長い歳月の間ずっとである。
今の福島の現状を見れば、個々の利害関係を排除すれば誰しもが、原子力発電に ? となると思う。
しかし、電力関連の利害と利権と便利さは、人を狂わせる。
人は危険で、高度なものほど手にしたくなる。征服したくなる。
そして我々日本人は、いつの間にか潤沢な電力無しでは、生活しにくい社会にしてしまった。たった20年の間にである。
今日、日本のエネルギー生命線の大きな一つが、電気エネルギーであることは間違いない。
本ブログをここまで読んできた方々の中には、福島第一原子力発電所の事故で苦しい思いをして生活されていいる方もいらっしゃると思います。そんな皆様に対しては本当に言葉になりません。2011年3月10日までの平凡な普通の生活は、もう戻ってこないのですから。
放射性物質のない、自然な生活に戻せるものなら戻してあげたいです。でも出来ません。ごめんなさい。
電気事業に何かしらの関わりがある貴方、そう貴方です。
必ずいらっしゃいます。それほど電力産業は私たち日本の社会の中に占める比重が大きいのも事実です。
そのような貴方。よくここまで読んで頂きました。いろいろおっしゃりたい事があるのは、承知しています。
しかし、福島第一原子力発電所の事故で現実多くの人々が過酷な避難生活を今日もおくっている現実を、あなた方は直視できますか。
貴方や、あなた方の親族が、福島県民の生活と同じ生活を強いられた時、受け入れられますか。
やはり、今回の原子力発電所事故を考える時、純粋な一人間としての目線でまず考えるべきと思います。
Posted at 2011/08/01 22:32:07 |
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