年末の師走なのに逃避行してブログを書く こんな事してる時間はないはずなのに・・・
テレビや新聞などマスコミで今年1年を振り返って特集する時期になった。
この私がネットの隅っこでマスコミと同じ事をやってる場合ではないのだが、小さな声を出さずにはいられない一年であった。
今年1年の全ての始まりは地震であったといえよう。
私が違和感を感じた地震が、2011年2月27日(日)早朝5時38分に岐阜県飛騨地方北部を震源とする地震であった。
震源地が焼岳周辺の活火山領域であり、糸魚川-静岡構造線に沿った地域であった。
地震の規模や被害はたいしたことではなかったが、2004年の新潟中越地震、2007年の新潟中越沖地震などが、糸魚川-静岡構造線の東側(北米大陸プレート側)で起こっていたのに対し、この地震は、ユーラシアプレート側の境界付近で起こったのである。
しかもその後、小さな余震がたびたび起こり、少し注意が必要だと思いながらいた。
そして、
2011年3月11日がやってきた。
東北・北海道地方に広がる太平洋に位置する日本海溝を中心とする震源域は、常に地震が起こってた。
1978年6月12日 宮城県沖地震 死者28名 負傷者1万名余り
1994年12月28日 三陸はるか沖地震
2003年9月26日 平成15年(2003年)十勝沖地震
と被害が出た主な地震だけでも10年に1度ぐらいは起こっている。しかも、この地震以外にも小さな地震は、頻繁に起こっていた。
災害は忘れた頃にやってくるというが、
関東大震災は、1923年(大正12年)9月1日であり、100年経っていないのである。
阪神・淡路大震災は、1995年(平成7年)1月17日であり、16年前のことである。
私たちの住む日本の国土は、常に巨大地震が起こる土地にいるという事を、肝に銘じて生活していかなければならないだろう。
地震に対しての傲慢さが取り返しの付かない事故へと続いていくのである。
Posted at 2011/12/19 07:30:24 |
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