この夏突然国家戦力として世に問うた「
エネルギー・環境会議」の政策議論。
国民の声を直接政府に発する場でもあった。その結果の政府の政策として、2012年9月14日「
革新的エネルギー・環境戦略」として公表された。
しかし政府が示した政策内容は、原子力発電所の2030年代での廃炉と、核燃料リサイクル事業の継続という、原子力事業の「ブレーキ」と「アクセル」を同時に両足で踏むという、禁じ手をこれから行っていくという内容であった。
きっと、「シナリオ15」が落としどころと最初から算段していたのだろうが、実際蓋を開けると、「シナリオゼロ」と「シナリオ20~25」の二極化となってしまいその両方の相反する意見を政策として、とにかく取り込んだだけの物だった。
しかも、原子力発電の全廃に向かうと言ったのに、東日本大震災以降建設が中止している、電源開発「大間原子力発電所」、中国電力「島根原子力発電所3号機」について、建設再開を認めるという。
はやくも、「ブレーキ」から足を下ろしている。こんな意味のない作文を書くために、この夏、多くの国民の声を集めたのかと思うと憤りすら抱いてしまう。
そうするなら、最初から原子力政策の継続とそれに対しての安全施策を打ち出したほうが良かったのではないだろうか。
2009年、鳩山政権が、普天間基地の沖縄県外への移設を打ち上げた構図と同じである。
民主党政権は、一体何だったのだろうか。
2009年夏多くの国民は、行き詰まった自由民主党政権とその自由民主党政権下で肥大化した役所の役人に対して、お灸をすえる意味も含めて、民主党政権を選択したはずである。
きっと、近いうちにおこなわれる総選挙では、自由民主党か、日本維新の会のどちらかが政権与党になるはずである。
自由民主党が、政権与党になれば原子力発電所の全廃は反故になり、原子力政策は今まで以上に進むことになるのだろう。
私たち日本国民は、福島県の現状が、二度と起こらないと思っているのだろうか。
青森県は、原子力ムラからのばらまき政策を継続してくれないと困るという。
福島県の多くの人たちは、いまだ終わらない避難生活を続けていて、ろくに賠償もされないまま悲惨な生活を続けているという現状を、青森県の人々、そして、日本の多くの人々はどう思っているのだろうか。
日本の国土は残念だが、地震の巣の真上にある火山大国の島国なのである。
いくら、自然災害に打ち勝とうと、英知を結集して物を作っても、自然エネルギーに打ち勝つことは不可能である事をしっかり学ぶべきである。
結局、「原子力ムラ」の私利私欲に、我々一般国民は勝てない事はこれではっきりした。
大東亜戦争に大日本帝国が突き進んで、戦争を終結することが出来なかった事態の推移がよく解る。きっと今の原子力政策論争と同じだったのだろう。
歴史は繰り返す。そして、歴史に学ぼうとしない日本。大変悲しい事である。
Posted at 2012/09/16 06:53:39 |
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