
多くの人が行く初詣。信仰心が無い私としては、特に神社へ行く事もしなくてもと、思ったりするのだが、神棚に祀ってあった、去年のお札をお返しするには、やはり神社へ行かざるをえない。
混雑していないであろう、昼過ぎの午後1時頃に、某神社へ行った。
駐車場が臨時駐車場へ誘導されると、未舗装の河川敷になって、車が泥だらけになって、去年のように新年早々洗車の自体になるので、今年は神社への侵入経路を変更。
知らずに走った道路は、神社へ行く人たちが、路上駐車して良いように、一方通行となっていて、左側一車線が駐車帯としてあった。
あまり車がいないので、どんどん神社の近くまで車を走らせる。神社への交差点まで数十メートルまで来たところで、空いている道路左側へ駐車した。
そして、神社へ行ったのだが、問題は神社から帰ってきてからだった。
車に乗って帰ろうとした時だった、一方通行の右側の走行車線の車が、動かなくなったのである。
見ると、神社に最も近い場所で、一台の車が止まっているのである。見ると大きな国産高級車である。
馬鹿な親爺が、駐車スペースが無く車を置けなくなり、止まったままで全く動かない。
みるみるうちに走行車線には長蛇の列が出来る。帰ろうとする車も動けなくなるし、どんどん神社へ行こうとする車もあっという間に並んでしまった。
しばらくして、警備員がやってくるが、馬鹿親爺にいいくるめられているらしく、馬鹿クラウンは、一向に動かない。
そんなドン詰まりまで来てわがままを言う、馬鹿クラウン親爺が大渋滞を引き起こしてしまった。
なるほど、交通渋滞はこんな些細な馬鹿が引き起こすのだ。
こんなわがまま親爺は何とかしてもらいたい。
世の中、少しのわがままを、控えるともっと生活しやすくなるのだろうが・・・
とにかく自己中心的な運転はなんとかならないものだろうか・・・ と思うのであった。
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何故か排気量の大きい俗にゆう高級車と呼ばれる車に乗る人ほど、目的地のどんずまりまで、強引に突っ走り、駐車させろと、無理難題を言う。
歩くのが嫌いというか、自分は特別だという態度を平気でする。
まあ、排気量の大きい俗にゆう高級車を乗り回す人は、それだけの資金力がある、地位ある親爺という事だろうから、会社などの組織でも大きな態度でまかり通る人種が多いのだろう。
まあ、大排気量の車の運転を見ていると、多くは、駐車場内だろうが狭い路地裏だろうが、アクセルワークも大雑把で、あっというまに加速して、ブレーキ性能で減速するという、なんだか荒く見える運転する場合が多い。
しかも、車幅が大きいくせに狭い道に入ってきても、対向車に退けとばかりに、強引に突っ込んでくるからたちが悪い。
車の大きさ(値段)イコール優越順位が上という図式がまかり通っている。
全ての人がそうではないが、概ねそうなっている。
困ったものである。
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Posted at 2013/01/02 06:54:29 |
つぶやき | 日記