2009年夏、それまで、多くの国民が、自由民主党が表看板で長年やってきた日本の政治と行政に、
NOといって、自由民主党ではない政党にこの国の舵取りを託してみたが、結局、自由民主党の、長年の経験という膨大で巨大な、知識と人脈で、自由民主党を表看板にするしか方法が無くなった日本。
そんな、中で2012年の夏に、野田前内閣総理大臣政権下で決定した、我が国の原子力政策の縮小という方向性を決めたはずなのだが、2012年暮れの総選挙で、
自由民主党の「安倍政権」になった途端に、原子力ムラは力を取り戻し、2012年の夏に巻き起こった
原発ゼロの風は無かった物になってしまった。
あの2012年夏の「パブリックコメント」はいったい何だったのだろうか。結局左翼市民の捌け口の場でしかなかったという事なのだろう。
しかも、その左翼市民も、結局民主党政権の終焉と共に、終わってしまった。何とも悲しき事態。
感情論で、「原発反対」とは言わないが、日本原子力研究開発機構の体質や、東京電力の福島第一原子力発電所の現状、そして、アメリカでの原子力発電所の製造者への損害賠償など、日本の原子力発電に関する様々な事象を俯瞰すれば、原子力発電の利点、欠点のどちらがより深刻な問題をはらんでいるかは理解できるはずである。
しかし、原子力ムラの中枢にいる当事者達は、どう見ても「原子力ムラ」の存在ありき、現行の絵柄のとおりで、進み続けたいらしい。
それは、安倍内閣と自由民主党だけの話ではなく、経済産業省、文部科学省、財務省などの霞ヶ関の巨大組織と、そこに食いつく、巨大企業との、
「政官財の鉄壁トライアングル」の価値観で決まっているだけである。
闇の利権と書いたが、本当は闇でも何でもなく、日本という国の形を作っているそのものの、一つの形なのだろう。
どれだけ、リスクがあろうとも、どれだけ犠牲があろうとも、日本という国を形成する上で不可欠な産業が、原子力産業であるということ。
日本の国はそんなに危険な危うい場所でしか、成り立っていけないようにしてしまったのは一体いつから、そして誰がしたのだろうか。
原子力発電を促進する皆様に一つ聞きたいことがある。
使用済み核燃料の最終処分はどうするのかである。
結局この1年、原子力発電の有り無しと、安全性がクローズアップし続けたが、結局核のゴミをどうするのかという、議論が表立ってなかった。
福島第一原子力発電所からまき散らされた放射性物質そのものと、放射性物質を含んでしまった土や水の最終処分や、廃炉から取り出されるはずの、メルトスルー、メルトダウンした核燃料の最終処分。
現在、六カ所村の核燃料貯蔵プールや、全国の原子力発電所で保管している大量の使用済み核燃料の最終処分。
そんな、本来なら真剣に議論しなければならない「核のゴミ」の問題が、全く問題にならないのはどうしてなのか。
単なるこの問題の隠蔽と先延ばしをしているだけで、いつの日にか必ず解決しなければならない絶対事項である。
その事については、行政そして政治家などのお得意の
「棚上げ」で、そんなにいつまでもおいておける棚はあるのかといえば、そんな棚は実は存在しないのである。
ゴミの廃棄場が決まらなければ、とりあえずこれ以上ゴミは出さないのが、基本だろうと思うのは私だけだろうか。
参考資料
2012年 8月10日 私見 「エネルギー・環境に関する選択肢」に対する意見
2012年 8月23日 特定団体の声を聞いた野田総理大臣
2012年 8月31日 電気エネルギーの未来
2012年 9月12日 核のゴミのゆくえ
2012年 9月16日 矛盾する原子力政策の未来
2012年10月 1日 大間原発
2012年10月 3日 工事中の原発3基は完成し稼働する
2012年11月 5日 結局経済優先になるのか 原子力発電所の地質調査
2012年11月 7日 やはり原子力行政はおかしい
2012年12月19日 原子力発電のこれから
2013年 1月 7日 除染にみる公共事業の現実
2013年 1月29日 安全とは一体なんなのだろうか 原子力発電所に関しての考察
2013年 2月10日 テレビ番組が問いかける真意とは
Posted at 2013/06/20 06:46:39 |
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