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2014年10月21日 イイね!

地方は独立せよ 20141021


九州電力川内原発の再稼働問題。

原子力規制庁の地元住民への説明会が行われたようだが、規制庁側からの言わば「報告会」であって、原発再稼働ありきの形式的な事務手続きの一つであった。

そして、川内市議会でも原発再稼働容認となりそうである。

川内市議会として原発再稼働を認める理由として、地元経済の回復という。

結局目先の金であり、原発絡みの利権と金が全てという事に尽きるらしい。


福島第一原発の事故は、机上では決して起こることがないはずであった。

しかも、いつかは大津波が来る可能性はあったにしても、原発を稼働している数十年の期間内には、まず起こらない、安全だと考えていたはずだ。

しかし、その万が一のまさかの自然現象が、起こったのである。

福島県の浜通り地区を中心に、情報もなくただ避難せよという指示のもと、逃げたはずが、避難先が風の通り道だったという悲惨な惨事。

そして、原発で潤っていた町は、一瞬にして立ち入る事が出来なくなる地になってしまうという、今も続く現実をどのように見ているのだろうか。

お金は人を狂わす猛毒なのだろう。

欲は文明を作り、文化を育てた。

しかし、自らの身を滅ぼす猛毒も生み出し、自滅への道をも平気で向かって行くのだろう。

大東亜戦争(太平洋戦争)になぜ大日本帝国(日本)は突き進んだのか振り返って欲しい。

国が決めた事が全て正しい訳ではない事を!!

近代日本は、途中で過ちに気づいても、途中でやめる事をしない事を!!

大本営発表の情報は、軍として都合のよい虚偽であった事を!!



原発の再稼働に何がなんでも反対する訳ではないが、原発事故から、この3年と数ヶ月の間に、核廃棄物の最終処分方法や場所が決まったのかといえば、何一つ解決できないどころか、福島第一原発から出た、大量の放射性物質が付着した除染土などの処分地すら、とりあえずの中間貯蔵地について右往左往しているのが現状であり、日本国(経済産業省)が、責任をもって事の解決をしてくれるのかといえば、結局国イコール我々全ての国民が負うことになるのです。


地方創生などという国からの金による一方的な支配下にあり続けるのは終わりにして、地方は独自の個性ある価値観をもって独立すべきである。

全ては霞ヶ関の机上の計算でしかないのだから。



独立といったが、どこぞの国が住民投票したような、独立国家になれというのではない。

地方の地域の独自性を押し出した、自治をする事である。


残念だが、東京、そして人口が集中する大阪、京都、名古屋、それに横浜などの都市圏では、食糧の地産地消は無理で日本中、いや世界中から米や野菜、果物、更には肉に魚などの日々の食料の多くを物流に頼らざるを得ない。

しかし、その他の多くの面積を占める田舎都市は、都市と呼ばれる中心都市から30分も車で走れば、田圃と畑と森である。

米や野菜、更には果樹など豊富にあるし、山梨県や、長野県などの内陸県でない限りすぐ側に海があり、山には牛や豚などの家畜がいる。

新鮮な生鮮品が、短時間で手に入るし、その日のうちに美味しく頂ける環境が、整っている。

やれフレンチだ、イタリアだ、中華だともてはやしているが、油と砂糖と塩、そして小麦でこねくり廻した調理食品は、生鮮品の鮮度が落ちたニ級食材、三級食材を食べられるように、半ば強引に加工して、ごまかしているだけで、食の真の美味しさは、取れたての鮮度が良い旬の食材をシンプルに頂く事だと思う。

それなのに、全てが東京基準で教育され、せっかく美味しい食材をわざわざこねくり廻してしまう事など、食の本質を教育していない事は、地方だからこそ味わえる特権なのに、そんな文化を育てるべきだ。

田舎なのに、なぜ大手飲料メーカーのペットボトルの水を買って、それを飲むのか。

一時期、都会の水道水はまずかったであろう事は認める。

都会の水道水は水源地から距離があって水道管を通る距離も長い事も認める。

しかし、山(水源地)からわずか2~30kmも離れていない場所からの水道水を嫌い、どこぞの水源の水をペットボトルに詰めた水しか飲まないというか飲めないというのは、何を根拠に、綺麗と綺麗ではないの線引きをしているのだろうか。

私から言わせれば、冷蔵庫で冷やされていればいつボトリングされていようが清潔で、よくわからない水道管を流れてき続けた水はなんか不潔という固定概念こそおかしいと思ったりするのだが。

気が付けば情報は一元化されて、東京などの大都市仕様の固定概念で全国統一されてしまって、その地域にあった生活が、いつの間にか無くなってしまった気がする。

大都市のあらゆる欲望文化が、日本津々浦々に、広がって、東京のミニ版になる事こそが、地方都市の進む道になっているが、そんな東京思考から脱する考えこそ、これからは、より必要なのではないだろうか。


原発というエネルギー政策も、いわば東京流というか、果たして田舎に、とてつもない大エネルギーを生み出す、田舎の田舍の最大の売りである自然を一瞬で壊滅的状況に追い込む可能性がある施設に頼りきって生活する事が本当に良いことなのか、田舎の大人達よ、一度足元を見て考えるべきだ。

東京の二番煎じははたして、日本の田舎に必要なのか。

日本の田舎は、絶対東京には成れないし、東京のような都市が幸せな所かと云えば、絶対良いところではないはずだ。





明治維新後に出来た近代日本の行政そして政治は、中央から末端の地方へ流れる仕組みになった。

現在の地方自治への金の流れは、地方税はあるものの、基本は中央(霞ヶ関)から下々へ流れる、各省庁の事業であり、地方交付税交付金だのみになっている。

つまりいかにして、国から金を取ってくるか、その力関係が中央と地方の形となっている。

その力関係は、各省庁と、都道府県、そして市町村にあると同時に、国会議員と地方議員の関係になるのだろう。

そして今、安倍内閣の目玉の一つが、地方創生である。

決してバラ撒きはしないというが、国の省庁が行うのは結局税金の配分をどうするかという一点に尽きる。

県知事も、県職員も、いかに国から事業(予算)を引っ張ってくる事が出来るのかが、仕事の出来る出来ないの指標になっている。

新幹線を建設させる。

高速道路を作らせる。

世界遺産登録をする。

いかにして、人と物と金を呼び込むのか。

そして、その金のーつが、原発利権である。


真の地方創生をするならば、今まで通りのやり方は辞めにしてて、それぞれの地域が、それぞれの特色を生かした生活基準と生活様式に特化して、個性豊かな田舎文化、そして経済を創造するべきなのではないだろうか。


とにかくどこも同じ駅前。

そして全国どこも同じコンビニに、牛丼チェーン店にコーヒーショップ。

スーパーマーケットも、ショッピングモールもすぺてイオン。

そんな金太郎アメのような同じ街ばかりでは、地方創生などできる筈もない。










Posted at 2014/10/21 06:40:58 | トラックバック(0) | JOURNAL | 日記

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