
先程、帰宅途中の車のラジオから、小松政夫さんが逝去したと報を聞いた。
正直 ショック!
数年前に、NHK、小松政夫さんの半生を描いたドラマ
「植木等とのぼせもん」2017年放送。
には、オープニング、エンディングに小松政夫さん本人が登場し、淀川長治さんの物まねを披露していた。
とにかく、優秀な自動車セールマンから、クレージーキャッツの植木等さんの付人となり、その後、植木等さんを乗せて車を運転していると、突然、「明日からもう俺の所に来なくてもいいから」と言われ、「お前のマネージャーも、給料も、全部決めてきた」と、芸人として、一本立ちを告げられ、小松政夫さんは、涙で運転できなくなり、路肩に車を止めて泣いたという。
暫くして、植木等さんは、「急いでいないけど、そろそろ行こうか」と言った。
という、小松政夫さんが語る、植木等さんとのエピソードを小松政夫さん本人から、二度と聞くことは出来なくなった。
私の中の、クレージーキャッツを知る当事者がまた一人、ハナ肇とクレージーキャッツの多くのメンバーが行ってしまった、あの世へ旅立たれてしまった。
寂しくもあり、悲しくもあり。
ベンジャミン伊東との、みごろ!たべごろ!笑いごろ! や、タモリとの、今夜は最高! での、小松政夫さんはパワフルで、見ていて楽しかった。
どうかひとつ!
もう一度、小松政夫芸をみてみたかったなぁ。
小松政夫さん 有り難うございました。
合 掌
小松政夫さん死去 78歳 「小松の親分さん」「しらけ鳥音頭」で人気に
12/11(金) 16:42
Yahoo!ニュース
「小松の親分さん」や「しらけ鳥」のネタや歌で昭和の人気コメディアンとして活躍した俳優の小松政夫(こまつ・まさお、本名・松崎 雅臣=まつざき・まさおみ)さんが7日午前6時51分、肝細胞がんのため都内の病院で死去した。78歳。福岡県出身。通夜は10日に、葬儀・告別式は11日に家族らで執り行った。喪主は妻・朋子(ともこ)さん。
小松さんは昨年11月の定期健診で肝細胞が見つかり、入退院を繰り返していた。抗がん剤治療を受けながら仕事も続行。俳優としてドラマなどに出演する一方、ラジオ番組などで軽妙なトークを披露していた。
今年11月14日に再入院後は容体が回復せず、最期は朋子さんら家族に看取られながら息を引き取った。
1942年(昭和17年)生まれ。福岡の県立高校卒業後、61年に俳優を目指して上京。さまざまなアルバイトを経験した後、自動車のセールスマンに。敏腕セールスマンとして高収入を得ていたが、雑誌の片隅に出ていた植木等さんの「付き人募集」を見て応募し、64年から付き人兼運転手となった。
俳優志望だったことを知った植木さんらの尽力もあり、徐々にテレビへ出演。昭和30年代から40年代にかけ人気番組だった日本テレビ「シャボン玉ホリデー」でセールスマン時代のエピソードをもとにした「見ろ!お前のせいで怒られちゃったじゃないか。もう、知らない、知らない、知らなぁーい、もー!」がうけて人気に。その後も映画評論家の淀川長治氏のものまねや伊東四朗との名コンビで人気となった、テレビ朝日「みごろ!食べごろ!笑いごろ!」(76年10月~78年3月)からは「しらけ鳥音頭」がヒット、TBS「笑って!笑って!!60分」(75年4月~81年3月)では「小松の親分さん」などのネタが子どもを中心に話題となった。
俳優としてもテレビや映画、舞台で時代劇から現代劇まで幅広く活躍。2011年6月からは社団法人日本喜劇人協会の10代目会長を務めた。
親友の伊東四朗絶句「えっ何で?」小松政夫さん訃報
12/11(金) 18:23
Yahoo!ニュース
7日午前に肝細胞がんのため亡くなった小松政夫さん(享年78)の訃報を知った、タレントの伊東四朗(83)は、盟友の旅立ちに言葉を失った。
この日、都内で仕事の打ち合わせを終えて帰宅した伊東は、事務所の担当者から小松さんの訃報を伝え聞いた。驚いた表情で「えっ、何でなの?」としばらく言葉を失って声が出なかったという。
小松さんは伊東と共演したテレビ朝日系「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」(1976~78年)で「しらけ鳥音頭」「電線音頭」などの軽快な歌で笑わせてきた仲間だ。
今年5月には伊東主催のトークライブ「あたシ・シストリー」に小松さんをゲストで招待していたが、コロナ禍で中止となり、再会を果たせずにいた。最後に会ったのは昨年夏でテレビ局のクイズ番組で顔を合わせていたという。小松さんが、闘病生活を送っていたことも知らされていなかったようで、急な悲報に肩を落とした。
伊東は12日に文化放送「伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛」(土曜午後3時)の生放送に出演する。当日は偶然にもゲストで元キャンディーズの伊藤蘭(65)が出演予定。伊藤蘭も「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」に出演しており、小松さんとの縁が深い。
78歳で亡くなった小松政夫さん、芸能界の裏話はその人の存命のうちにがポリシーだった…今年3月のインタビュー再録
2020年12月11日 18時36分スポーツ報知
# 芸能
3月29日付スポーツ報知首都圏版に掲載された小松政夫さんのインタビュー
コメディアンの小松政夫(本名・松崎雅臣)さんが7日午前6時45分、肝細胞がんのため東京・三鷹市の病院で死去した。78歳だった。
小松さんは、今年3月に故郷・博多のタウン誌「月刊はかた」で連載していたエッセーをまとめた「みーんな ほんなごと!」(さくら舎、1650円)を出版し、スポーツ報知のインタビューを受けていた。その一部を再録し、故人を悼む。(高柳 哲人)
「月刊はかた」で12年前から連載が続いているコラム「ながーい目でみてくれんね」の傑作選「みーんな ほんなごと!」は小松の少年時代の思い出や芸能界での交遊などがあふれている。独特な博多弁の言い回しも手伝って目の前に情景が浮かんでくるような内容は、小松が「ほんなごと(本当のこと)」にこだわったからこそ、生まれたものといえる。
「『面白いことを書いてやろう』という気持ちではやっていません。自分に文才があるとは思っていないし、素直に書こうとは思っている。それが良かったのかもしれませんね」
書く時には、頭の中にポンと浮かんできたトピックや思い出などを基に、そこに肉付けをしていく。少年時代の話もよく登場するが、編集担当は小松の記憶力を疑いながらも毎回、感心するという。
「自分でも『まあ、よく思い出したもんだ』と感じることもあります。不思議ですよね。何で過去の風景を覚えているのか。でも、編集者も私の書いたのを見て、登場人物の名前とかを全部調べに行く。結果、私の記憶は正しくて『よく覚えてますね~』と。だから私は『イヤなことやるねえ』と言うんです(笑い)」
芸能界の「交遊録」ともいえる項目の中で、最も登場するのは付き人兼運転手で、デビューの後押しをしてくれた植木等さん(2007年死去、享年80)の話。同じ福岡県出身の高倉健さん(14年死去、享年83)やタモリ(74)らの極上エピソードもつづられている。
「植木は亡くなってからもう13年近くですか…。それでも、いまだに(エピソードを)聞かれますね。自分はそれを自慢っぽく話すのはなあ…と思っていたけれど、ある時テリー伊藤に『語り部として長く伝えてほしい』と言われてね。『なるほど、語り部なら』と思ったんです」
ただ、他の登場人物に関しては、小松の中で一つのポリシーを持って書いているという。
「『亡くなったから書ける』というのはイヤなんですよ。何かズルいというか。既に亡くなった方も登場しますが、書いた(『月刊はかた』に掲載された)時には、ご存命でした」
小松自身は昨年、芸能界デビューから55年を迎えた。自称「目立たず、隠れず、そーっと」活動してきたコメディアンとして、今後は何を目指していくのか。
「ギャグがスラスラ出てくるうちは、これまで通りやっていきたいと思いますね。オヤジがバカをやるということが面白いんですから」 =今年3月に取材=
◆小松 政夫(こまつ・まさお)本名・松崎雅臣。1942年1月10日、福岡市生まれ。78歳。19歳の時に役者を目指して上京。俳優座の試験に合格も、入学金が払えず断念。さまざまな職を経て横浜トヨペットのトップセールスマンになった後の64年、クレージーキャッツ・植木等さんの付き人兼運転手に。コメディアンとしてのテレビデビューは日本テレビ系「シャボン玉ホリデー」。伊東四朗との「電線音頭」や映画評論家・淀川長治さんのモノマネなどで人気に。俳優としても数々の作品に出演。2011年から日本喜劇人協会の会長を務める。
Posted at 2020/12/11 18:05:00 |
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