2021年01月17日
発足当時のJリーグ チェアマン 川淵三郎
Jリーグ発足の時は、格好よかった。
波がきて、風が吹いて、流れがあった。
しかし、今の COVID-19 の感染拡大の最中に、世界のトップアスリートを一堂に会して、オリンピックを行う意義が有るのか?
コロナに打ち勝った証しとして
とかいっているが、打ち勝ってないから。
飲食店の営業時間短縮と、助成金を出してる時点で、異常でしょ?
皆さん外出する時点で、マスクして、変でしょ。
可笑しいでしょ。
打ち勝つって、マスクを着用しないで、外出出来る状態になるはずでしょ。
今の状態は、どうみても、凌いでる。交わしてる。耐えてる。
そんな感じでしょ?
「五輪を開催する価値は上がった。絶対に開催した方がいい」
開催する価値って?
出来ないことをやるんだから、価値は有るよね。
やったら、感染拡大するという、あまりにも大きな負の痛手を請うけど。
普通なら、そんなひどい リスクを避けるからやらない訳で。
戦争ならば、絶対勝てない相手に、無謀にも、戦いを挑むようなもので、そんなものに、価値があるか?
川淵三郎も、やきが回ってる。
東京五輪「絶対に開催した方がいい」
コロナ禍逆転の発想、選手村の川淵三郎村長
2021/1/17 10:00 (JST)1/17 15:04 (JST)updated
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延期された東京五輪・パラリンピックで、東京・晴海の選手村村長に就任した川淵三郎氏(かわぶち・さぶろう)氏(84)が、2020年12月、共同通信のインタビューに応じた。新型コロナウイルスは厳しい感染状況が続くが、大会で徹底した感染対策が成功すれば、日本から世界に先例を示すことができると強調。未曽有のコロナ禍に対し、逆転の発想で「五輪を開催する価値は上がった。絶対に開催した方がいい」と訴えた。(共同通信=長谷川大輔)

インタビューに応じる東京五輪・パラリンピック選手村村長の川淵三郎氏
―選手村村長として抱負をお願いします。
1964年の東京五輪にサッカーの選手として出場して、東京でまた57年後に五輪が開催される時に選手村村長として参加できるというのは、奇跡に近い。世界的に見ても開催国の五輪で選手をやって、村長もやった人というのは、極めて希少な存在に違いない。こんな名誉なことはない。残された人生の中で最後の大役を仰せつかったという思いだ。
―選手村は各国・地域の約1万8千人の選手団が日本に集まり、滞在し、約8千人のスタッフが動きます。どう感染を防ぐのですか。

東京五輪・パラリンピックの選手村=2020年7月、東京都中央区
ものすごい大仕事だ。うまく成功したら、世界中でコロナを征服した最初の大規模イベントになる。今回、参加するにあたっては、密閉、密集、密接の「3密」回避、マスク着用、うがい、手洗いが必須条件だということを選手に理解してもらいたい。感染しないために最低限、選手が取るべき態度というのをいかにきちっと伝えていくかだ。
―選手村の環境も過去の大会とは、大きく違って来ますよね。
スポーツを通じて友情、連帯、フェアプレーの精神を培い、相互理解を進めることにより、世界平和に向かって歩んでいこうというのが五輪精神だ。選手村の位置付けは、そういう交流の場だが、3密を頭に置くと、なかなか普段考えているような交流はやりづらい。
その中でも安心、安全で感染しにくい形での、選手の交流の場をつくることができたらと思う。選手にとって「隔離された」という感覚がないような選手村にできないかと考えている。僕らに与えられた大きな命題だ。
―世論調査結果では、開催に否定的な声もあります。
むしろコロナが発生したことにより、五輪を開催する価値が上がったのではないかと思っている。3密回避など、日本のコロナ感染に対するいろんな処置は、世界中の人がある程度認めている。それをこの五輪で成功させれば、本当にそうなんだなと、はっきり目に見える形で世界中の人にアピールできる。
五輪には、素晴らしい東京の街や日本の文化、歴史を世界中の人に知ってもらうという意味もある。だが、今回はコロナに打ち勝つため、日本社会におけるコロナ対策を世界中に広めることこそが、この五輪の持つ意味だ。絶対に開催した方がいいというのが僕の強い思いだ。これを突破しないでどうするの、と。逃げて、コロナに負けて、それでいいのか、と思う。
―観客をどこまで入れられるかも焦点です。
お客さんを入れないで五輪をやる意味は、ゼロだと思う。世界一流の選手が集まる大会にお客さんがいないというのは、料理をした時に味付けがないのと全く同じ。素晴らしい食材なのに調味料がなかったら、うまくもなんともない。観客がいることで全てが盛り上がり、選手も頑張る気持ちになる。観客の与える力ははるかに想像を超えている。観客がいて、初めて完成したスポーツができる。
―1964年の東京大会の思い出を教えてください。
国立競技場での開会式の入場行進で、ゲートから競技場の中に入った途端、突然、大歓声とオリンピックマーチが聞こえてきた。その時、どう表現していいか分からないぐらいの感動と興奮を感じた。

1964年10月10日、東京五輪の開会式で入場行進する日本選手団=旧国立競技場
日本選手団の服装は上着が真っ赤で、下が白。その色合いがまた興奮度を高めた。日本で、こんなに日本人が多く見ている中で、俺が選手として選ばれてここに参加できているといういろんな思いも、一挙に去来した。その感動に勝るものは僕の一生の中ではない。
―東京大会では、入場行進の参加人数削減も議論されています。
入場行進の感動というのは一種独特なものだ。五輪の開会式のメインイベントは選手の入場。見ている人もそうだろうし、選手自身がそれを一番強く感じる。今回、選手村での滞在は、競技の開始5日前からに制限された。なるべく選手村の滞在者を減らすという点においては大賛成だけど、大会後半の競技の人は開会式に出られないわけで、それは何とかならないのか、と思う。選手には開会式に参加する権利がある。(おわり)
Posted at 2021/01/18 05:53:00 |
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