プーチン露大統領「対日交渉は憲法内で」 北方領土引き渡し否定か
という見出しのニュース
安倍晋三 前 内閣総理大臣 が、何度もロシアへ足を運んで、「ウラジミール」と、一方的に呼び続けて、ナニを話してきたのか?
2016年12月 に、来日した プーチン大統領。
あの時の、安倍晋三の日本国民への、アベロシア外交のアピール度は、最高潮という位の、アピールで、あたかも「北方領土」の一部 歯舞諸島、色丹島の2島は先行返還で、さらには、ゆくゆくは、国後島、択捉島まで返還の糸口が出来るのでは?
位の熱量だったのに、結局ロシアへカネを渡しておしまい。
2016年12月18日 日曜日 21:00~ 放送 NHKスペシャル 「スクープドキュメント 北方領土交渉」 では、安倍晋三の、プーチン大統領とのこれまでの外交成果をアピールするような、番組まで作らせて、猛烈にロシア外交、を日本国民にアピールしていたのが、最後という感じ。
今では島を返還とかの、扉はカギがかかって、交渉すらおしまい状態になってしまっている。
安倍晋三 が、ナニをプーチン大統領と話してきたのか。
安倍晋三が、内閣総理大臣の座から終わった今だからこそ、安倍晋三の、ロシア外交の事実の公表と、外交検証をするべきだろう。
安倍晋三が、北方領土 問題をどのように、交渉したのか。
交渉したのか?
ナニをしてきたんだ? 安倍晋三!
プーチン露大統領「対日交渉は憲法内で」 北方領土引き渡し否定か
2/14(日) 21:33
【モスクワ=小野田雄一】ロシアのプーチン大統領は14日に放映された露国営テレビ番組のインタビューで「ロシアは日本との関係発展を望んでおり、今後も発展させるが、ロシアの基本法(憲法)に反することは一切行わない」と述べた。イタル・タス通信が伝えた。ロシアでは昨年7月の憲法改正で領土の割譲を禁じる条項が新設されており、北方領土の引き渡しを否定した可能性がある。
プーチン氏はまた、今後の日本との北方領土交渉に関する質問に対し、「ラブロフ外相に尋ねるべきだ。彼はどこに(日露間の)境界線があるかをあなたに説明するだろう」と述べた。プーチン氏やラブロフ氏はこれまで「北方四島は第二次世界大戦の結果としてロシア領となった」とする認識を示しており、事実上、両国間に領土問題は存在せず、国境も画定済みだとする立場を強めている。
昨年7月に成立・施行された露改正憲法では、領土の割譲やそれにつながる行為を禁じる条項が新設された。条項には「隣国との国境画定・再画定作業は除く」とする例外規定が設けられているものの、ロシアは日本との北方領土交渉がこの例外に当たるかは明言していない。
いろんなことがありました…夕食会ではジョーク 遅刻は相変わらず 特別機はエンジントラブル
プーチン大統領来日2016.12.16 21:57
ロシアのプーチン大統領は16日、一連の訪日日程を終え、帰国した。
山口県長門市の温泉旅館で15日夜に行われた安倍晋三首相との夕食会では自慢の料理に舌鼓を打ち、贈り物を交換。16日には、大統領特別機がエンジントラブルに見舞われるハプニングもあった。
プーチン流ジョーク
安倍首相とプーチン氏の会談を兼ねた15日夜の夕食会では、犬好きとして知られるプーチン氏一流のジョークも飛び出した。
「日本政府が力強く続くように乾杯したい!」。プーチン氏の乾杯の発声に、安倍首相が「内閣不信任決議案が出されたが圧倒的多数で否決された」と応じたところ、おもむろに「提案があります」と切り出したプーチン氏。テーブル上の萩焼の犬の置物を手に取り、こう続けた。「また、そういうことがあれば、『ゆめ』を連れてくる」
「ゆめ」とは秋田県が平成24年にプーチン氏へ贈ったメスの秋田犬。同席した野上浩太郎官房副長官は記者団に「飼い主を純粋に守る秋田犬のことを言ったのでは」と解説した。
地酒には大満足
安倍首相とプーチン氏の15日夜の夕食会では、温泉旅館「大谷山荘」の轟木慶志郎料理長による地元の食材がふんだんに使われた会席料理が振る舞われ、2時間近く、くつろいだ雰囲気の中で会談した。
料理は、山口県の冬の味覚であるとらふぐを使った刺し身や手まりずしのほか、焼き物に長萩(ちょうしゅう)和牛のシャトーブリアンのステーキ、揚げ物にはアンコウの唐揚げなどが出された。プーチン氏は、全ての料理に口を付けたという。
プーチン氏はこの日、出された萩市の地酒「東洋美人」が、かなり気に入った様子。16日の共同記者会見では「素晴らしいお酒だ。お薦めする。ただし、ほどほどにしなければいけない」と絶賛した。
友好のプレゼント交換
安倍首相は15日夜の夕食会で、日露関係の原点である1855年の日露通好条約にまつわる「プチャーチン来航図」の複製画をプーチン氏に贈った。
プチャーチンは帝政ロシア時代の提督。来航図には、条約交渉のために来日した際、船が津波で大破し、日本人とロシア人が協力して新たな船を建造するエピソードが描かれており、平和条約締結への思いを込めたようだ。プーチン氏は、興味深く来航図の説明を聞いていたという。
プーチン氏からは、ロシアの伝統的な湯沸かし器である「サモワール」と油絵が贈られた。サモワールは1870年に製造された石炭式で、絵画は雪のモスクワ市内を走る馬車が描かれた作品だという。
遅刻は相変わらず
東京の首相官邸へと場所を移して16日に行われた日露首脳会談に、プーチン氏は前日の山口入りに続き遅刻した。
プーチン氏はこの日昼、山口宇部空港を予定より約1時間遅れて出発したため安倍晋三首相との首脳会談は開始が約30分遅れた。政府関係者によると、大統領特別機にエンジントラブルが発生したためだといい、プーチン氏は予備機で羽田空港に着いたという。
ただ、16日の共同記者会見後、柔道愛好家であるプーチン氏たっての希望で訪れた柔道の総本山である講道館へは、ほぼ予定通りに到着。「遅刻常習犯」として知られるプーチン氏だが、遅刻は相手をじらすための宮本武蔵並みの高等戦術なのかもしれない。
日本はロシアに見下げられた…安倍政権が「北方領土交渉」で失ったもの
菅政権の方向性は2つしかない
岩下 明裕
誰が首相になっても、いま以上の関係は作れない。これが異口同音に聞こえてくるロシアの関係者の声だ。
振り返れば、安倍晋三政権の7年8カ月、ほぼ一貫してロシアについては前のめりであった。日本の政治史上、稀にみる親ロシア政権が終わった。ロシアのなかの「安倍ロス」はひとしおだろう。
2012年の第2次政権以降、安倍首相は実に27回もプーチンと首脳会談に臨んだ。安倍首相がロシアに足を運んだのは9回、対するプーチンの訪日はわずか2回。特筆すべきは2016年12月の首脳会談までは実に11年の空白があったことだ。
ロシアにとって安倍政権はありがたい政権であった。
2014年、ウクライナの問題で欧米と孤立した時でさえ、プーチン大統領の機嫌を伺い、安倍首相は当時のオバマ大統領の「プーチンを信じるな」という苦言を振り切って、個人的な関係づくりにまい進する。
「G8」から除外された後も、日本のおかげで世界での孤立感をいささかでも緩和できた。2016年に東京で安倍首相と共同記者会見に臨んだのが、EU首脳会議が対ロシア制裁を延長した日であったことは記憶に新しい。
その後の顛末はご存知の通り。最近はラブロフ外相から「領土問題を解決後に平和条約を結ぶなどとは合意していない」「北方領土はすべてロシアの主権だと認めよ」「北方領土と呼ぶな」と言われても、安倍政権は抗議するどころか、沈黙するのみであった。
「答えは差し控えたい」だからと菅義偉官房長官。質問をスルーして「次、どうぞ」は河野外相(いずれも当時)。言いたい放題言われても、なおロシアの顔色を窺ってくれる。こんな素晴らしい政権はもう二度とないだろう。
2000年の就任当初のプーチンは、平和条約締結後に色丹、歯舞を日本に引き渡す、とした1956年の日ソ共同宣言の有効性を(これが撤回されて以来)、歴代のソ連・ロシア指導者のなかで初めて公式に認めた人物である。このプーチンの姿勢を見て、少なくとも「二島返還」は大丈夫だと日本側の多くが考えた。
だが、2005年9月頃からプーチンはその立場を顕わにする。11月訪日時の小泉首相との会談で、プーチンは択捉・国後はあり得ない、色丹・歯舞も無条件ではないと言った。さらに、四島の帰属を確認して平和条約を結ぶとした1993年の東京宣言も受け入れなかったとされる。
だからこそ、この会談を知る外務省関係者は、プーチンと交渉してもらちがあかない、いまは交渉すべきではないという認識を持った。




日本はロシアに見下げられた…安倍政権が「北方領土交渉」で失ったもの
菅政権の方向性は2つしかない
岩下 明裕 プロフィール
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官邸外交のインテリジェンス
どうしてこうなったのだろうか。
スタート地点からゴールとは逆方向に向かっていたように私は思う。
2000年の就任当初のプーチンは、平和条約締結後に色丹、歯舞を日本に引き渡す、とした1956年の日ソ共同宣言の有効性を(これが撤回されて以来)、歴代のソ連・ロシア指導者のなかで初めて公式に認めた人物である。このプーチンの姿勢を見て、少なくとも「二島返還」は大丈夫だと日本側の多くが考えた。
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だが、2005年9月頃からプーチンはその立場を顕わにする。11月訪日時の小泉首相との会談で、プーチンは択捉・国後はあり得ない、色丹・歯舞も無条件ではないと言った。さらに、四島の帰属を確認して平和条約を結ぶとした1993年の東京宣言も受け入れなかったとされる。
だからこそ、この会談を知る外務省関係者は、プーチンと交渉してもらちがあかない、いまは交渉すべきではないという認識を持った。
〔PHOTO〕gettyimages
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だがこのプーチンの姿勢は官邸では共有されていなかったようだ。いや、自分たちに不利な情報には耳を貸さないというかもしれない。
プーチンは共同宣言を認めているから、択捉、国後を幾分、譲歩する、あるいは完全に諦めれば二島だけは少なくとも返ってくると思いこんだ。そうではない、プーチンとの交渉に前のめりになるな、と警告する外務省や一部の専門家が邪魔だったろう。
安倍首相の意を汲んで「影の首相」と揶揄された今井尚哉秘書官が動き始める。官邸は外務省を外し、プーチン訪日と北方領土問題の解決に向けた工作を次々と仕掛けていった。
プーチン嫌いのオバマの任期の終わりが見える2016年、経産省主導の官邸は次々とプーチンが喜ぶような経済協力計画をぶちあげていく。
だが本丸の領土問題について彼は動かない。12月の訪日前に受けた日テレと読売のインタビューで、プーチンは小泉に伝えたことを繰り返した。
だがすでに「二島先行返還」「択捉、国後の共同統治」といった一部の大手紙の打ち上げ花火的な記事に煽られた世論は、プーチン来日の際、「二島プラスα」で問題が解決するのではないかと期待が高まっていた。
で成果が出ないことに焦ったのか、官邸は2つのことを仕掛けていく。
まず会談冒頭で「元島民の手紙」をプーチンに渡し、元島民がもっと島に行きやくなるようにプーチンに頼むという作戦。次に四島でお互いの主権を損なわないかたちでの「共同経済活動」を行うための交渉を開始するという提案。これをプーチンに飲んでもらい、成果として取り繕おうとした。
「元島民の手紙」とは択捉島出身の鈴木咲子さんが書いたものとされるが、実はNHKが美談として「スクープした」元島民7名(鈴木さんを含む)が署名したものもある。2つの手紙の中身はほぼ同じようだが、なぜ7人の手紙が生まれたのかは興味深い。
一人だけの手紙ではアピールが足りない(きっと一人だけの手紙では元島民の意見を代表していないと批判される)と官邸は考えたのだろう。元島民の活動家、児玉泰子さんを動かし、首脳会談直前に急遽、元島民6名を東京に招集し、鈴木さんの署名がタイプ打ちされ用意された手紙に後からこの6人に署名させる(会合の模様は岩田明子記者が解説したNHKスペシャルで報道)。
手紙の内容で特筆すべきは「島に行きたい」ことのみが強調され、「島を返せ」という言葉がないこと。この話を聞いた元島民でつくる団体、千島連盟の幹部の一人は「やらせ手紙」と怒りの言葉にした。招集された6名のなかからは「騙された」という声も聞かれる。
なぜ官邸がこのようなことをしたのかはジャーナリストの取材を待ちたいが、一つだけ言えるのは、「領土返還」の主張を消し去った手紙はさぞかしプーチンを機嫌よくさせたに違いないことだ。おそらくは「共同経済活動」に向けた交渉をプーチンに承諾させるための布石であった。
「共同経済活動」の枠組を作れれば、ロシアの主権を認めないかたちで日本の足場を島に築けるかもしれない。近い将来、これが択捉・国後でできれば、色丹・歯舞の返還に加えた「二島プラスα」となる。四島を放棄したわけではない、と世論に訴えることもできよう。
直近では、これを会談の成果として「プレス向け声明」として演出すれば、共同声明を出せなかった失敗や平和条約問題での決裂といった世論への悪印象も和らげられよう。
もっともプーチンと合意できたのは、そのための交渉を始めるというだけで、実際に活動ができるかどうか、ましてやそれが平和条約につながるかは未知数であった。
二階幹事長でさえ、成果は「物足らない」と発言した。官邸はプーチンが離日した夜に安倍首相を夜のニュース番組にはしごさせ、失敗の印象を払拭するのに懸命となった。
ここから官邸はなりふり構わない行動に出る。「共同経済活動」を一日でも早く始めなければ、成果がなかったことがばれるからだ。
せめて調査だけでも始めなければと、現地の実情を無視し、ビザなし渡航の枠組みで予定されていた訪問団に横入りをし、「調査」と称した船のチャーターに前のめりとなる。
の成果の一つとして元島民の飛行機による墓参がしばしば宣伝される。船と違って天候に左右されないし、高齢の方々の身体にやさしいからと。
官邸は翌2017年6月、中標津から国後、択捉を廻るロシアの飛行機をチャーターしての空路墓参を組織する。だが濃霧のために飛行機は飛ばずキャンセル。同乗するはずだった元島民がつぶやいた。「船ならいける天気なのに」。この時期は濃霧が多い。なぜ快晴が多い9月に実施しなかったのか皆が不思議に思った。
秋の再トライで飛行機は飛んだ。だがロシア側は空港の建物の外に元島民たちを並べ、一人一人をチェックする。長時間、外に立つのは身体にこたえるだろう。船であれば船室で待てるのに。不満を持つ元島民は少なからぬいたが、その声を伝える報道はほとんどなかった。
空路墓参に前のめりであった本音がちらりとでる。6月の出発セレモニーの中標津空港での挨拶で岸伸夫外務副大臣がこう言った。この飛行機を使って「共同経済活動」を実現したいと。元島民はやはり「共同経済活動」に向けた踏み台であった。
だが何をやろうが、何回調査に行こうが進捗はほとんどなかった。「共同経済活動」で何をやるか、観光か、養殖か、イチゴ栽培かといった話はロシアとの交渉で盛り上がった。それをどうやるかの議論はいつもストップした。
ロシアは島にモノが入ってくるときに税関を通すが、日本はこれがロシアの主権を認めることになると許容できない。人の移動も島からの出入国管理がネックとなり、話は終わり。
あまりに進展がないからか、官邸は調査団にはかん口令を引き、実情が外にもれないように徹底した。報道はただ調査が行われたとのみ報じ、まるで「共同経済活動」が進んでいるような印象操作のみが続けられた。
首脳会談から2年、タマは尽きかけていたが、安倍首相はまだプーチンに食らいついていた。
2018年9月、ウラジオストクの東方経済フォーラムに招待された安倍首相は、平和条約の締結に向けて「もう一度ここで、たくさんの聴衆を証人として、私たちの意思を確かめ合おうではありませんか。今やらないで、いつやるのか、我々がやらないで、他の誰がやるのか、と問いながら、歩んでいきましょう」と官邸が用意した挑発的な演説を行い、聴衆に拍手まで要求した。
プーチンは「年末までに前提条件なしで結ぼう」「争いのある問題は後で解決しよう」「ジョークではない」と切り返した。領土問題の解決なき平和条約の締結、このプーチンの提案は日本側に「ちゃぶ台返し」のような衝撃を与えた。
だが官邸はこれを「プーチンのやる気」と都合よく解釈し、藁をもすがるつもりで11月のシンガポールで切り札を切った。共同宣言に基づいて解決しよう。つまり、択捉・国後を放棄し、色丹・歯舞の二島のみの返還で良しとする提案がそれだ。択捉、国後を主として念頭に仕掛けてきた「共同経済活動」に向けた試みが泡と消えた瞬間でもあった。
だが共同宣言を研究し尽くしたと言うプーチンは待ってましたとばかり、ここから条件を明示していく。引き渡しされた島に米軍は来るのではないか、それに日米安保はどうなるのか? そして、(米国を念頭に)日本だけでは決められないだろうと畳みかける。
2019年初頭、ラブロフ外相の日本を馬鹿にしたかのような発言が始まる。冒頭で紹介したシーンだ。日本側はただ聞き流すのが精一杯。安倍政権下でプーチン2度目の来日となった6月の大阪G20サミット。
最後のチャンスと希望するむきもあったが、失望だけが残った。個人的な関係をいくら深めても、何度会っても、領土問題は解決しない。誰の眼にも明らかになった。
COVID19が日本とロシアのその後の不活発な関係を覆い隠した。COVID19がなければ安倍政権の対ロシア外交の失敗はもっと如実になったろう。2020年8月、安倍首相は突如、病気を理由に退陣を表明。菅官房長官が後継首相として選出された。
安倍退陣のメリットは、今井尚哉秘書官・補佐官が退任し、内閣官房参与となったことだろう。今井秘書官の仕掛けは、これまで対中国、対韓国でも様々な軋轢を引き押し、「外交の安倍」の看板に禍根を残したと言えるが、対ロシア外交の失敗こそ責任を問われるものと言える。失敗を反省し、仕切り直しを行う好機が来た。
とはいえ、今井外交が択捉、国後の主張を取り下げ、元島民に「領土返還」を言わせないようにしたツケは重い。交渉としても運動としても「四島返還」の路線にはもはや戻れまい。そう標榜することは可能であっても、覆水は盆に戻らない。また「四島」と言おうものなら、ロシアは(いや世界は)日本外交の一貫性のなさを嗤い、元島民や運動を担う団体も一度外されたはしごに上る熱意はもうない。




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菅政権のメリット・デメリット
COVID19が日本とロシアのその後の不活発な関係を覆い隠した。COVID19がなければ安倍政権の対ロシア外交の失敗はもっと如実になったろう。2020年8月、安倍首相は突如、病気を理由に退陣を表明。菅官房長官が後継首相として選出された。
安倍退陣のメリットは、今井尚哉秘書官・補佐官が退任し、内閣官房参与となったことだろう。今井秘書官の仕掛けは、これまで対中国、対韓国でも様々な軋轢を引き押し、「外交の安倍」の看板に禍根を残したと言えるが、対ロシア外交の失敗こそ責任を問われるものと言える。失敗を反省し、仕切り直しを行う好機が来た。
とはいえ、今井外交が択捉、国後の主張を取り下げ、元島民に「領土返還」を言わせないようにしたツケは重い。交渉としても運動としても「四島返還」の路線にはもはや戻れまい。そう標榜することは可能であっても、覆水は盆に戻らない。また「四島」と言おうものなら、ロシアは(いや世界は)日本外交の一貫性のなさを嗤い、元島民や運動を担う団体も一度外されたはしごに上る熱意はもうない。
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今後の方向性は2つしかなかろう。
ひとつは安倍政権以前に戻ること。2010年頃までに外務省が主導した立場は、領土に関する主張は変えないが問題解決は当面見えないので、主張はしつつもロシアとの関係強化を進め、やれることはどんどんやるというものであった。
ただ「四島」ともはや言いにくい状況でこれをどう再構築するかは課題となる。「二島」もしくは「プラスα」と言いながら、ロシアとの関係強化を進めるのだろうか。
もうひとつはあまり可能性は高くないのだが、プーチンの提案、つまり、条約を結んで、その後、二島問題を解決しようとするアプローチを受け入れることだ。
日本としては、「四島をロシア領と認めよ」というロシアが主張する前提からは交渉できない。それを受け入れれば、二島さえもどうなるかわからないからだ。
従って、日露には未画定の国境があるという立場を推すしかない。タフな交渉になるが、それでも択捉と国後をロシア領と認め、色丹、歯舞については未画定という立ち場で行くしかない。
共同宣言を下敷きに交渉するということだが、ゴールは、歯舞のみの引き渡し(領土引き渡しではなく、国境の微調整という理屈)という結論もありうる。場合によっては、歯舞諸島の一部のみかもしれない。
結論を言えば、当面、第1のシナリオで進むと思われる。ただ今井外交で失ってしまった国家としての威信へのダメージ(ラブロフにコケにされたことなど)は記憶に残る。失った威信をどのように回復するのかは難題である。
何も得るものがなく、「ロシアに見下げられた」という結末。新政権はこの現実を国民には一日も早く忘れてもらって、何事もなかったかのようにしたいだろう。だがロシアは忘れない。今井外交が失った国益は、「島の数」といった算術以上に、大きい。