1989年 平成元年 リクルート事件と、消費税導入により、支持率が急落した、竹下登内閣 そして、竹下登内閣の総辞職
安倍晋太郎、宮澤喜一、渡辺美智雄など、各派閥の長はリクルート事件に絡んでいて、自由民主党総裁選挙に出馬出来ず、河本敏夫、伊東正義、後藤田正晴には断られ、渡辺派のナンバー2 宇野宗助 が、総理大臣になるも、1989年7月の参議院選挙で、自由民主党は、過半数を割り込む大敗をし、宇野宗佑は2ヶ月あまりで総辞職となった。
そして、1989年8月自由民主党総裁選挙で、竹下登など、主力派閥が担ぎ上げたのが、海部俊樹
この時の総裁選に立候補したのが、海部俊樹、林義郎、石原慎太郎だったのだが、林義郎の息子は、今の外務大臣、林義正 であり、石原慎太郎の息子は、2021年の総選挙で失職した 石原伸晃だ。
ちょつと、脱線するが、林義郎の息子は、内閣総理大臣の椅子を目指して、2021年の総選挙で、とうとう 参議院から衆議院へ鞍替えした。
そのうち、自由民主党総裁選に立候補するのだろう。
父、林義郎が果たせなかった、自由民主党総裁選の椅子 どうなるのだろうか?
石原伸晃は、どうなるのだろうか。
話を戻す
海部俊樹 は、竹下派など、自由民主党の主力有力者のコントロールの元に、1991年まで、内閣総理大臣を続けたのだが、政治改革関連法案 が廃案となり、内閣総理大臣の特権である、解散総選挙 にうって出ようとした。
しかし、自由民主党内部から、解散総選挙の反発をくらい、内閣総理大臣の辞職となる。
首相在任日数818日間だったが、内閣支持率が50%台と高いままの辞任となった。
海部俊樹内閣は、世が昭和から平成にうつろい、湾岸戦争に対処した内閣総理大臣だった。
海部俊樹 といえぱ、水玉模様のネクタイがトレードマークであり、河本派という、小さな派閥からの、内閣総理大臣であったために、常に竹下派の糸が見える内閣だったといえよう。
リクルート事件がなければ、内閣総理大臣の座が海部俊樹に回っては来なかったと思うが、そんな巡り合わせで内閣総理大臣になった海部俊樹さん。
その後、海部俊樹は、小沢一郎、羽田孜など、旧田中派の一部の国会議員と共に、自由民主党を離党して、細川政権誕生へと、向かっていく。
リクルート事件は、自由民主党のダークな部分が表にでて、自由民主党自体の存亡の危機であったが、その後、自由民主党の恐ろしいほどのソコ力で権力をさらに強固にしていった。
そして、最終的には、自由民主党へ復党 となる。
そんな時代を生きた 海部俊樹さん
今振り返ると、そこそこ 内閣総理大臣として、仕事をしたのか。
と 思う。
合 掌
以下 引用
海部俊樹元首相が死去 91歳 1/14(金) 8:48
海部俊樹元首相 海部俊樹元首相が9日に死去したことが14日分かった。91歳だった。関係者が明らかにした。
以上 転記おわり
Posted at 2022/01/14 10:49:02 |
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