2024年03月31日
いまだに 避難所生活が続いている 能登半島地震の被災者の方々
正月から3ヶ月
冬から春に移ろいもうすぐ桜も咲く季節になった
しかし、いまだに 断水は続き、トイレもままならないところがあるという。
日本国政府は、手立てをしているらしいが、どうみても現地の現状と霞ヶ関、そして、国会との意識のギャップはあまりにも大きいといわざるを得ない。
大阪では、万博の完成に向けて、やれ木造リングが 360億円だとか、トイレが
2億円だといっているが、そのカネと資材、そして人員を能登半島の被災地に投入するという英断は出来なかったのだろうか。
取り残されている 能登半島の現状は、今の日本国の縮図といえよう。
岸田文雄内閣総理大臣の現地入りも 1度しかなく、内閣総理大臣として ヤル気なし
ヤル気のない 総理大臣に対して意見するマスコミもなく、完全に独裁政治自由民主党の思うがまま の ひどい国に成りはてている。
こんな国で良いのだろうか。
そう思わずにはいられない。
Posted at 2024/03/31 12:28:41 |
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縁側日記帳
2024年03月31日
北海道 滝川 - 根室 間 443.8km を 結ぶ 北海道の幹線路線
そのうち 富良野 - 新得 81.7km が、2024年3月31日をもって 廃線となる
2016年8月31日 台風10号による降雨災害の影響 で、富良野駅 - 新得駅 - 音別駅間が運休
その後 2017年3月28日 東鹿越 - 新得 間 は代行バス運行となった。
結局 代行バス区間の 復旧はならず、富良野 - 新得 81.7 kmの廃止となってしまった。
根室本線は、札幌と、十勝、釧路 そして 最東端の根室 を結ぶ主要路線で有り、石炭産業全盛の時代には、釧路地方の石炭輸送のメインルートとして日本産業を支える路線でもあった。
青函連絡船が本州と北海道を結んだ時代
上野を出発した列車は、青函連絡船に接続し、函館からは 特別急行「おおぞら」が、札幌 滝川 富良野 を通り 狩勝峠を越えて 帯広 そして 釧路 を走っていた。
その 黄金ルート
しかし、1981年10月1日 南千歳 - 新得 間 を結ぶ 石勝線の開業 に伴い、札幌へのメインルートは、石勝線 へ遷り、滝川 - 新得 間 は、富良野を中心とするローカル路線になった。
日高山脈 を 越える 狩勝峠 は、根室本線のハイライトであったが、その狩勝峠の区間も、1966年に新路線(現行路線)に改良され、石狩地方と十勝地方の速達性が向上したのであった。
今回の富良野 - 新得 81.7 kmの廃止 は、その 狩勝峠 越えの区間の正式な廃止で有り、根室本線 の 真ん中部分の廃止である。
災害で寸断された鉄路
そのまま廃止となった
1872年10月14日(明治5年9月12日)に 新橋 - 横濱 間 に開業してから、日本全国に鉄路が延び、特別急行列車や貨物列車が峠を越え 走っていた そんな 時代 も 徐々に縮小 そして 廃止路線 とともに 日本の鉄道は 形を変えていく。
特に 北海道の鉄路は、ここ30数年間でずいぶん 減ってしまった。
国鉄時代の本線 と 呼ばれた 主要幹線 さえも、消滅する今
日本の鉄道 は 次の局面に差し掛かっているのだろう。
Posted at 2024/03/31 18:25:43 |
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