
2011年3月11日14:46に発生した
「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」 は、その後、気象庁によって大津波警報が発令され、その後東北地方の太平洋沿岸を中心として、大津波が多くの人々と、財産をを飲み込んでいった事実は日本国民の脳裏に焼き付いている。
日本で地震発生により大きな津波被害を受け記憶に残る事案が、四半世紀で2度あった。
1983年(昭和58年)5月26日、秋田県能代沖で起こった「日本海中部地震」と、1993年(平成5年)7月12日、北海道奥尻島を襲った「北海道南西沖地震」地震である。
特に「北海道南西沖地震」は、奥尻島の海岸沿いの集落を津波が呑み込み、多くの奥尻島民が一瞬にして犠牲となった。地震翌朝の生中継映像は、我々人間に自然の脅威を見せつけたはずである。
津波は恐ろしいものだと!!
しかし、人間は自然の脅威すぐ忘れる。どうして自分は大丈夫と思ってしまうのだろうか。
2010年2月27日(土)日本時間17:34(チリ現地時間03:34)チリ国で地震が起きた。
マグニチュード8.8と大きな地震である。
翌2月28日(日)09:33日本の気象庁は、日本沿岸への津波警報及び注意報を発表し、青森県太平洋沿岸、岩手県、宮城県に大津波警報(3メートル予想)を発表したのである。
テレビ局各局は、津波に対しての災害報道がなされ、津波到達予想時刻にあわせ、北海道・東北沿岸の海岸線の様子を中継していた。
沿岸部に住んでいるであろう住民や、漁業関係者らしき人々が、大津波警報が発令されている海岸へ、津波の様子を見にいっている姿が、多数テレビ中継映像に映し出されていた。
津波がくれば確実に危険なのだが、人間の心理は恐ろしいもので、津波がくるといわれると、どうして見に行ってしまうのだろうか。??
結局この時の津波は、我々日本に対して直接大きな被害をもたらす事はなく終わった。
翌3月1日(月)、気象庁は会見で、津波の予測が過大であったとし、警報・注意報が長引いたことを謝罪したのである。
なお、仙台管区気象台と盛岡地方気象台が3月1日〜2日に岩手県久慈市や宮城県気仙沼市など4市3町・19地点で行った、建物に残った津波の痕跡から高さを推測する方法による現地調査では、岩手県陸前高田市の両替漁港で1.9m、気仙沼魚市場で1.8m、岩手県大槌町の大槌漁港で1.3mと、津波の高さを推定したのであった。
実はこの2010年チリ地震の際に発表した、大津波警報の結果が、今回の3・11地震の際に発表された、大津波警報で逃げることをためらった人々と、関連する要因の一つではないだろうか。
時間が経って風化した津波の記録より、直近で経験した、津波情報の現実を信じて・・・
人間 楽な方へ流れる生き物だ。
今回これだけ大きな地震と津波が来たから、これでしばらくは、大きな地震は来ない。津波は来ない。という根拠のない確率論でいてはならないのである。
我々は自然に対してもっと謙虚に対峙しなければならない。と思う。
Posted at 2011/12/20 07:31:09 |
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