2012年12月26日、安倍晋三内閣が発足した。
安倍内閣ではあるが、実際は安倍・麻生二度目の、双頭内閣というところだろうか。
安倍首相は、外交と防衛担当で、麻生大臣が、経済財政担当という分業体制になっている。
更に、これら国論が二分化して大変な農水大臣や環境・原発担当大臣には、先の自民党総裁選の対立候補に、汗をかかせる布陣となった。
相当安倍首相の参謀が、練り上げた人事であろう。
しかし、なんとか会議や、なんとか担当と、尾ひれの多いこと。
会議大好きニッポンの見本市のようである。
多くの日本国民が期待した、安倍晋三がよく口にする「戦後レジュームからの脱却」イコール「自由民主党レジュームからの脱却」は結局出来なかった。
結局政治は自由民主党と霞ヶ関で数十年にわたって築き上げたレールの上を走るしか無さそうである。
3年3ヶ月で幕を閉じた民主党政権。
気がつけば、自由民主党の悪しき派閥順送り的な人事になっていた事も、国民に見放された要因の一つだったのだろう。
2012年12月26日の、野田政権最後の記者会見で、前原国家戦略相は、「2大政党制の一極を占めているというのは、もう幻想になっている。我々は、へたをすれば消え去る運命にある党だ。」と語ったという。
気がつけば、旧社会党系と松下政経塾の顔ぶれになってしまった民主党。
来年7月の参議院選挙の結果によっては、本当に消え去る可能性が大きいと言えよう。
民主党が民主党で居続けるには、この数ヶ月の働きにかかっている。
最後に第三極と呼ばれる竹の子党であるが、
まず、未来の・・・ 未来どころか明日にも、分裂決定となった。党として理念も何もなく、選挙を戦うために、ドタバタして集まっただけの、集団に明日はあるはずもなく。
大阪からやってくるはずだった維新軍団も、竹槍で箱根の山どころか、鈴鹿山脈も越えられず、東の太陽にお願いして、戦の指揮をとってもらうも、こちらも無理矢理戦ったものだから、今にも内輪もめして空中分解しそうである。
民主党の刀ですら、抜いたら錆びていて1度の戦しか戦えなかった。
政局の主導権を得るには、戦う道具をしっかり揃え、道具がしっかり使いこなせるように日々訓練し、実践を積む努力をしないと、いつまで経っても、自由民主党しか政権を担う事が出来ない状態のままになる。
時間はかかるが一歩一歩確実に力をつけるしかない。
それは、政局だけの事ではなく、日本経済の再生も同じであろう。
地に足付けて地道に確実に物事を取り組んでいかないと、もっと痛い目に遭うだろう。
Posted at 2012/12/27 06:59:18 |
JOURNAL | 日記