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2020年08月10日 イイね!

渡哲也 さん 死去 78歳 20200810



石原プロモーション の 解散の発表があったのが、確か先月の 2020年7月 だった。

それから一月も経たずに、渡哲也さんの訃報。

石原軍団といえば、鉄の結束 深い絆で結ばれた集団 というイメージだった。

石原裕次郎亡きあと、その石原軍団をまとめてきたのが、渡哲也さん。

昭和 の スター 、昭和 の 時代 が また一つ 消えた 感じがする。


そんな、渡哲也さん。 葬儀も故人本人の希望で、家族葬だったという。

舘ひろしさんや、神田正輝さんも、渡哲也さんが亡くなったことを知らなかった
という。

そして、お別れの会なども無いと聞く。

スターは、流れ星のごとく、輝いて去って行った。


合 掌




以下、転記


渡哲也さん、10日に肺炎で死去していた

8/14(金) 19:20 

Yahoo!ニュース

 「大都会」「西部警察」など数々のドラマや映画で存在感を示した俳優、渡哲也さんが10日に肺炎で死去していたことが14日、分かった。78歳だった。この日、近親者のみで密葬が営まれた。

【写真】石原裕次郎さんにドラムのスティックさばきを伝授される渡哲也さん

 複数の関係者によると、入院先の東京都内の病院で親族に看取られ、静かに息を引き取ったという。2015年6月に心筋梗塞の手術を受けて以降、入退院を繰り返し、ここ数年は呼吸器疾患などで自宅療養を続けていた。

 今年6月、石原プロモーション創業者でもある俳優、石原裕次郎さんの生前の映像と共演した宝酒造CM「よろこびをお伝えして50年~幻の共演~」のナレーション録りを自宅で行ったのが最後の仕事だった。

 7月27日に完成作を見た際には何度もうなずき、書面で「最後のコマーシャルを裕次郎さんとの共演で終わらせていただきますのは感慨深いものがあります」とコメントを寄せた。

 その10日前には、渡さんが2代目社長を務め、現在相談役を務める石原プロが来年1月に解散することを発表。渡さんは周囲に「時代の流れで新しい人たちが出てくる。我々は一歩下がって生きていかないと」と話していた。裕次郎さんが亡くなる直前、渡さんに託した「石原プロを畳んでくれ」という遺言を果たして天国へ旅立った。

 渡さんは1941年に島根・安来市に生まれ、兵庫・淡路島で育った。青学大在学中の64年、浅丘ルリ子(80)が主演した映画「執炎」の相手役に実弟、渡瀬恒彦さん(のちに俳優、2017年死去、享年72)がこっそり応募。それがきっかけで日活にスカウトされ、65年に映画「あばれ騎士道」の主演で俳優としての一歩を踏み出した。また、同年に「純愛のブルース」で歌手デビューも飾った。

 裕次郎さんとはデビュー前、日活の食堂で初対面した際に励ましの言葉をもらい感激。給料の交渉までしてくれたことを知って、さらに心酔し、背中を追い続けた。

 日活がロマンポルノ路線へ転換した71年には、裕次郎さんが設立した石原プロへ迷うことなく入社。同プロ制作の日本テレビ系「大都会」シリーズ、テレビ朝日系「西部警察」では角刈りサングラスの大門圭介部長刑事を演じ、巨悪との銃撃戦やカーチェイス、爆破シーンの数々は国民をくぎ付けにした。

 歌手としても、73年に「くちなしの花」が150万枚の大ヒットを記録し、74年と93年のNHK紅白歌合戦に出場して同曲を歌った。

 一方で病に悩まされ続けた。74年に胸膜炎を患い、主演を射止めたNHK大河ドラマ「勝海舟」を途中降板。91年には直腸がん手術でオストメイト(人工肛門使用者)になったことを告白した。

 天国では、石原軍団の看板を下ろして安堵した渡さんと裕次郎さんが酒を酌み交わして思い出話に花を咲かせているに違いない。





2020/8/16 05:30神戸新聞NEXT

「体調ごまかしながらやってる」が渡哲也さんとの最後の言葉に 旧友が5月に電話
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2010年、森井さんが東京で開いた写真展に駆け付けた渡哲也さん(右)(提供)
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2010年、森井さんが東京で開いた写真展に駆け付けた渡哲也さん(右)(提供)
渡さんから森井さんに届いた写真集出版祝いの手紙(提供)
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渡さんから森井さんに届いた写真集出版祝いの手紙(提供)
渡さんがボランティアで登場した県警のポスター=2008年4月、神戸市中央区下山手通5、兵庫県警本部
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渡さんがボランティアで登場した県警のポスター=2008年4月、神戸市中央区下山手通5、兵庫県警本部
 今月10日、肺炎のため78歳で亡くなった俳優の渡哲也=本名・渡瀬道彦=さんの訃報を受け、渡さんが中学・高校時代を過ごした三田学園(兵庫県三田市南が丘2)の旧友からは、別れを惜しむ声や在りし日を懐かしむ声が上がった。

 中、高の同級生だった三田市の写真家森井禎紹(ていじ)さん(79)は「本当に残念だけれど、多忙な中で頑張って生きたと思う」と話す。渡さんは在学中、あまり前に立って話すタイプではなかったが、身長が学年で3番目ぐらいに高く、存在感があったという。俳優になってからは卒業生全員のあこがれだった。

 本格的に交流が始まったのは卒業後。森井さんが1989年に出版した写真集に序文を寄せてくれたことがきっかけだった。東京で写真展をすると見に来てくれたり、育てた野菜を送ると、お礼に新鮮な魚介類を送ってくれたりした。「5月ごろに電話で体調を聞くと『ごまかしながらやってるよ』と笑っていた。いつも丁寧な言葉遣いで、謙虚な姿勢が印象的だった」

 後輩思いでもあった。2008年には兵庫県警の警察官に卒業生の畑雅弘さんがいた縁で、ボランティアで防犯ポスターに登場。畑さんは神戸市内の同窓会長を務めて今年5月に65歳で亡くなった。渡さんの大ファンで「お願いすると、ふるさとの役に立てるなら-と快諾してくれた」と喜んでいた。

 同級生の男性(78)=尼崎市=は浪人生時代や大学時代にも交流を続けた。「大学時代に一緒に神戸で遊んでいたら淡路島に帰る船がなくなり、大阪のわが家に泊まったこともあった」と振り返る。

 東京に会いに行くと、忙しい合間を縫って食事をしてくれたといい「本当に友達思いのいい人だった。よう頑張ったなと伝えたい」と話した。(喜田美咲、安藤文暁)




舘ひろし、神田正輝らショックで沈黙 渡哲也さんの「静かに」の思い尊重
2020年8月16日 04時00分


石原裕次郎さん二十八回忌に臨んだ(前列左から)神田正輝、石原まき子・石原プロ会長、渡哲也さん、舘ひろしら。渡さんは翌年心筋梗塞を発症し、裕次郎さんの法要に出席したのはこれが最後となった=2014年7月17日、横浜市鶴見区の総持寺で
石原裕次郎さん二十八回忌に臨んだ(前列左から)神田正輝、石原まき子・石原プロ会長、渡哲也さん、舘ひろしら。渡さんは翌年心筋梗塞を発症し、裕次郎さんの法要に出席したのはこれが最後となった=2014年7月17日、横浜市鶴見区の総持寺で

石原裕次郎さん二十八回忌に臨んだ(前列左から)神田正輝、石原まき子・石原プロ会長、渡哲也さん、舘ひろしら。渡さんは翌年心筋梗塞を発症し、裕次郎さんの法要に出席したのはこれが最後となった=2014年7月17日、横浜市鶴見区の総持寺で

 俳優の渡哲也(本名・渡瀬道彦=わたせ・みちひこ)さんが亡くなっていたことが発表され一夜明けた15日、「石原軍団」の舘ひろし(70)、神田正輝(69)らは追悼のコメントなどは出さず沈黙を続けた。
 渡さんは10日午後6時30分に肺炎のため78歳で亡くなったが、渡さんの訃報は所属事務所「石原プロモーション」でもごく一部にしか知らされておらず、多くの関係者は14日に連絡を受けたという。渡さんの「静かに送ってほしい」と遺志を尊重し、葬儀も14日に少人数で家族葬で済ませ、舘らも出席を控えた。香典や供物、弔電、供花なども辞退。大物タレントが死去した際には後日あらためて大規模なお別れ会・しのぶ会を開くことが多いが、いずれも実施しない。石原プロは14日の発表の際「皆さまのお心の中にて故人への祈りをささげていただけますことを心よりお願い申し上げます」と渡さんの思いを代弁していた。
 舘、神田とも15日は休みだったが、尊敬していた渡さんの死にかなりのショックを受けていることと、「静かに」という渡さんの遺志を尊重し、訃報が発表された後も一切コメントせず、石原軍団の“鉄の結束”を見せている。
 関係者は、しばらくはコメントを出す状況ではないと言い、「静かに」という思いを残した故人に対し「渡さんらしい」と実直な人柄に思いをはせた。




解散決めた石原軍団、商号を裕次郎さん墓前へ返還
[2020年7月18日7時30分]


14年7月、故石原裕次郎さんの二十八回忌に出席した、前列左から神田正輝、石原まき子夫人、渡哲也、舘ひろし、後列左から金児憲史、池田努、宮下裕治、徳重聡
14年7月、故石原裕次郎さんの二十八回忌に出席した、前列左から神田正輝、石原まき子夫人、渡哲也、舘ひろし、後列左から金児憲史、池田努、宮下裕治、徳重聡
石原プロが関係各所に送付したあいさつ状

石原裕次郎さんが1963年(昭38)に設立した石原プロモーションが来年1月16日に看板を下ろす。裕次郎さん34年目の命日に当たる17日、石原プロが発表した。渡哲也(78)舘ひろし(70)神田正輝(69)ら俳優のマネジメントを行う芸能部門はなくなる。広く親しまれてきた「石原プロ」の名前は消え、「石原軍団」は解散し俳優はそれぞれの道に進む。

   ◇   ◇   ◇

石原プロはこの日、関係者、報道各社に、今後の方針を記したあいさつ状を送付した。来年1月16日に石原プロモーションの商号を「裕次郎さんの仏前に返還する」という表現で、58年にわたる歴史に幕を下ろすとした。著作権や版権管理、裕次郎さんの遺品管理は2つの法人が引き継ぐが、芸能部の業務、所属俳優の契約は終了する。固いきずなを誇る俳優集団、石原軍団は解散することになる。

関係者は「18日以降に臨時取締役会などを開いて、今後について詰めていく」と話し、現時点で俳優の今後について正式に発表できることはないとした。移籍、フリーでの活動などの方向で調整するという。

代表取締役会長で、裕次郎夫人のまき子さんは、あいさつ状で、石原プロの看板を下ろす決断に至った理由を記した。87年7月17日に亡くなった裕次郎さんの遺言が「俺が死んだら即会社をたたみなさい」だったが、俳優、スタッフがいきいきと働き会社に愛情を注ぐ姿を見て実行できなかったとした。しかし、まき子さん自身が高齢になり実務が難しくなったこともあり、周囲と相談し遺言を実行できたという。

まき子さんも俳優たちの今後を気に掛け「しっかり責任をもって対応してまいる所存でございます」と記している。

石原プロは裕次郎さんが、大手映画会社ではできない作品の製作を目的に設立、映画「黒部の太陽」「栄光への5000キロ」などスケールの大きな作品を製作し、ヒットさせた。「大都会」「西部警察」など、人気シリーズドラマも手掛けた。北海道小樽市の石原裕次郎記念館の運営や、被災地での炊き出しボランティアでも知られ、広く親しまれた。しかし、新たな世代のファンの掘り起こしは、長年の課題でもあった。

来年1月以降は、石原音楽出版社と一般社団法人ISHIHARAが版権管理業務、遺品の管理、保管業務を行う。石原プロの清算完了は来年12月だという。

<石原プロモーションの歩み>

▼1963年1月16日 石原裕次郎さんが設立、社長就任。社員9人スタート

▼同10月 石原プロが手掛ける映画第1作目「太平洋ひとりぼっち」公開

▼68年2月 映画「黒部の太陽」公開。観客動員733万人

▼69年7月 映画「栄光への5000キロ」公開

▼70年 映画「ある兵士の賭け」が興行的に失敗し、倒産の危機に陥る

▼71年 渡哲也入社

▼73年 神田正輝入社

▼76年 1月に日本テレビ系で、初めてドラマ制作を手掛けた「大都会 闘いの日々」放送開始。パート3まで

▼79年 テレビ朝日系「西部警察」放送開始。パート3、スペシャルまで

▼81年4月 裕次郎さん、解離性大動脈瘤(りゅう)破裂で入院、手術

▼83年 2月に舘ひろし入社。5月に創立20周年パーティー

▼84年 裕次郎さん、幹細胞がんの診断を受けハワイで静養

▼87年7月17日 裕次郎さん死去。渡が社長に就任

▼88年12月 日刊スポーツ映画大賞/石原裕次郎賞が始まる

▼91年7月 小樽市に石原裕次郎記念館オープン

▼95年2月 阪神淡路大震災被災地で炊き出し

▼99年7月 鶴見・総持寺で裕次郎さん十三回忌法要。20万人参列

▼00年8月 21世紀の石原裕次郎を探す「1億人の心をつかむ男」オーディションで徳重聡がグランプリ

▼09年7月 東京・国立競技場で二十三回忌法要。献花まで最大6時間

▼11年 渡が社長を退任、俳優業専念。まき子夫人が会長就任。同4月、東日本大震災被災地で炊き出し

▼16年6月 熊本地震被災地で炊き出し

▼17年8月 石原裕次郎記念館閉館

▼19年7月 三十三回忌で弔い上げ

▼21年1月 商号返還(予定)



「石原軍団」解散の裏側 渡哲也は存続に反対、今後は版権管理が中心に
7/23(木) 5:57配信

デイリー新潮
渡哲也

 株式会社石原プロモーションが来年1月に解散し、所属俳優のマネジメント業務を終了することを発表した。昭和、平成を彩る数々のエピソードを残した「石原軍団」解散までの道程に迫る。

 ***

 無論、石原裕次郎が芸能界に大きな足跡を残した不世出のスターであることに疑問を差し挟む余地はないが、彼を伝説めいた存在たらしめている理由の一つは、晩年の凄まじい闘病にあるのではないか。「生還率3%」と言われた解離性大動脈瘤を奇跡的に克服したものの、ほどなくして肝臓がんが発覚。入退院やハワイでの静養を繰り返しながら「太陽にほえろ!」や「西部警察」などのテレビドラマの撮影やレコーディングの仕事を続けた裕次郎。不帰の人となったのはがんが発見された3年後、1987年7月17日のことだった。

盟友が語る裕次郎の凄さ
 そんな裕次郎の晩年の姿を間近で見続けた人物がいる。映画「黒部の太陽」や「栄光への5000キロ」などの撮影監督を務め、裕次郎から「満(まん)ちゃん」と呼ばれた金宇満司(かなうみつじ)氏(87)だ。裕次郎が設立して自ら社長に就任した「石原プロモーション」の役員を務めたこともある同氏について、石原プロ関係者はこう語る。

「裕次郎さんは周囲の多くの人に支えられましたが、金宇さんの『裕次郎愛』は別格。裕次郎さんが大動脈瘤で緊急入院すると映画を撮影するためのカメラを置いて裕次郎さんと寝食を共にして身の回りの世話に専念。裕次郎さんのがんが悪化してからは、金宇さんが献身的に介護していました」

 金宇氏の著書『社長、命(いのち)。』にはこうある。

〈社長に仕えることによって、キャメラを置いて家族と離れて暮らすことになりましたが、わが人生に悔いはありません。なによりも社長は、私の命でありました〉

 金宇氏本人が言う。

「普通の役者にはないものを持っているから裕次郎ってのはカメラを回していて楽しかったんだよ。普通の役者は一生懸命勉強して教科書通りの演技をするんだけど、裕さんってのはそうじゃないからね。自然体なんだよ。カメラを回せばそこに石原裕次郎がいるの。俺も記録映画の出だからそれが魅力だった」

 裕次郎に人生を捧げた理由については、

「あの人は俺じゃないとダメなんだよ。座薬を入れるのだって奥さんより俺がやった方がいいだろう」

 と、多くを語らないものの、今も「裕次郎愛」は不変のようで、

「ずっと一緒にやってきたから。部屋に裕さんの写真を飾っているから朝晩話してるよ。一緒に酒飲んだりしながら『すぐそっちに俺も行くから待ってて』なんて言ってるよ」

 金宇氏は先の著書の中で石原プロについて次のように書いている。

〈社長亡きあと、石原プロをどうするかという問題が残った。「満ちゃん、これで会社は終わりだ」と専務が言った。私もそれに異存はない。専務も、渡さんも、私も、石原プロに就職したのではなく、石原裕次郎さんに惚れてついて行った先が、たまたま石原プロだったのだ〉

 ここに登場する「専務」とは「コマサ」の呼び名で知られた小林正彦氏のこと。「渡さん」とは、裕次郎亡き後石原プロの社長に就任した俳優の渡哲也のことである。ちなみにコマサ氏は、長らく石原プロの番頭を務めたが、2011年に専務を退任し、業界から引退。その背景には、テレ朝の女性プロデューサーとの癒着問題の発覚があった。

「元々裕次郎さんは『自分が死んだら石原プロを閉じろ』との遺言を残していたと言われており、渡さんをはじめとする『石原軍団』のメンバーにも、“なるべく早く会社を畳むべきだ”との考えを持つ人が多かった」(先の石原プロ関係者)

渡哲也は事務所存続に反対だった
 にもかかわらず、裕次郎の死後三十余年が経った今も石原プロが存続している背景には、まき子夫人(87)の存在があるという。

「石原プロを続けていれば、裕ママ、つまりまき子夫人を食わせることができる。石原プロの面々は、裕次郎さんを中心に集まり、裕次郎さんに仕えてきたという思いが強い。そのため、裕次郎さん亡き後は、石原プロのメンバーで未亡人となったまき子夫人を支えるべし、との考えが強かったのです。それを受けて彼女も会社を閉じたくないと考えるようになった」(石原家のことを知る芸能界関係者)

 その一方、

「渡さんは石原プロ解散に向けた準備を早く進めるべきだという考えをこの十数年ずっと持ってきました。さらに、最近は渡さん自身が体調を崩し、会社の手仕舞支度を一層強く意識するようになった」(同)

“弔い上げ”を機に
 先述した通り、裕次郎の命日は7月17日である。

「昨年、横浜の總持寺で裕次郎さんの三十三回忌の法要が営まれた際に、まき子さんから『今年をもって弔い上げとします』との話がありました。そのため今年の法要はなく、まき子さんから関係者に対して『今年の命日は成城の家に集まらないで下さい』との手紙が送付されたそうです」(同)

 昨年、「弔い上げ」となったことも解散が決定した要因の一つに違いない。また、石原プロの関連会社の登記簿謄本を確認しても、解散に向けた準備が着々と進んでいることが分かる。

関連会社を清算
 例えば、音楽関係の版権などを管理する「石原音楽出版社」の登記簿の目的欄には、この7月3日付で新たに「石原裕次郎の遺品の維持管理、展示及び賃貸」という一文が加わり、登記されている。「石原インターナショナル」の登記簿を見ると、同じくこの7月3日付で「清算結了」したことが分かる。

「石原プロにはいくつかの関連会社がありますが、そのほとんどは稼いでいた頃に税金対策のために作られたもの。『石原インターナショナル』は映画を海外に輸出するために作られた会社ですが、実質的にはほとんど業務はない。石原プロ解散が決まったので『石原インターナショナル』を清算したというのは納得できる話です」(先の石原家のことを知る芸能界関係者)

 裕次郎の存命中に設立された「アイ・ピー・エフ」という関連会社は、先の金宇氏の著作によれば、映画製作で多額の負債を抱えることになった石原プロ「再生」のために作られたという。石原プロは裕次郎が「太陽にほえろ!」などのテレビドラマに出演するようになったこともあって復活を果たす。そして渡哲也をはじめ、舘ひろしや神田正輝など主力俳優の活躍等で順風満帆に運営されるのだ。件の「アイ・ピー・エフ」社は人気ドラマシリーズ「西部警察」の制作にも関わった。なお、映画の失敗で石原プロが苦境に陥った時、まだ日活の所属だった渡哲也が全財産の180万円を「使って下さい」と裕次郎に差し出したのは、知る人ぞ知るエピソードである。そうした経緯もあり、裕次郎に惚れ込んでいた渡は後に石原プロに所属することになるのだ。そんな歴史と由緒ある「アイ・ピー・エフ」社が昨年、石原プロに合併されたことも、今回の「解散」に繋がる布石だったに違いない。

 昨年には「石原ミュージック」という会社の清算も行われており、関連会社で現在も残っているのは石原プロと先の石原音楽出版のみ。

 前出の石原家のことを知る芸能界関係者によると、

「石原プロを解散した後は、石原音楽出版に一本化して、版権収入やカラオケの歌唱印税の管理などをすることになるでしょう」

 この関係者の証言通り、版権管理は「石原音楽出版」に、遺品管理業務は7月3日に設立された一般社団法人に移管されることが17日に明らかにされた。

 事務所の歴史には終止符が打たれたが、石原軍団が残した豪快な伝説は永遠に語り継がれるだろう。

「週刊新潮」2020年7月23日号 掲載







Posted at 2020/08/16 17:32:42 | トラックバック(0) | NEWS | 日記
2020年08月07日 イイね!

梅雨明けはしたものの? 20200807

梅雨明けはしたものの? 20200807

梅雨明け舌先し、梅雨前線は去った。

しかし、梅雨前線上空復活!?

本来ならば、太平洋高気圧が

「ドッカーン」とやって来て、暑い真夏になるハズなのに?

梅雨前線がいまだにウロチョロ。

まだ梅雨終わってない感じ!



Posted at 2020/08/07 19:02:17 | トラックバック(0) | weather
2020年08月06日 イイね!

AVANTI の常連さん に聞き耳を ? 20200806

AVANTI の常連さん に聞き耳を ? 20200806

TOKYO FM 『TOKYO SPEAKEASY』毎週月~木曜深夜25:00~26:00

で、先日、『TOKYO SPEAKEASY』今夜は馬場康夫さんと石原隆さんが来店!

『AVANTI』の生みの親、ホイチョイ・プロダクションズ馬場康夫さんと、AVANTIに最多登場された石原隆さんとの会話を盗み聞き。名作はパクりパクられ出来ている!?

と、なっているが、パクられた番組に、パクられたご本人、ホイチョイ・プロダクションズ馬場康夫さんとそのパクられた番組に、これまた常連さんで来店していた、テレビ番組製作会社 石原隆さん が登場!!

バーテンダーと、教授が出てこない AVANTI だ!!

是非、聴き耳を!!


Posted at 2020/08/08 16:02:41 | radio | 音楽/映画/テレビ
2020年08月06日 イイね!

原子爆弾 投下から 75年 20200806



今日は、8月6日 広島に原子爆弾がされた日だ。

悲惨な状況になったのだが、そうんな悲惨な状況になっても、時の政府は、まだ戦争をやめようとはしなかった。

戦争をやめる勇気も、判断もなにもなかった。

ズルズルと、戦争を続けて、多くの日本国民は、命を落とし、生死をさまよい、地獄絵図をみた。


玉砕、転進なんていっていた頃に、敗北を認めていれば、いまみている景色も違っていただろう。


そんな8月6日。


今日のCOVID-19 対応も、今の対応と違っていたならば、絶対に違う明日がやってきているハズだ。







Posted at 2020/08/06 12:35:40 | トラックバック(0) | つぶやき
2020年08月06日 イイね!

GoTo Obon 20200806


GoTo travel の花火は、ドッカンドッカンと、強引に打ち上げて、COVID-19 感染拡大に、大変大きく寄与した、安倍晋三 内閣。

感染者数は、うなぎのぼり。

医療従事者の皆さんは、休む暇もないのだろうと推察する。

というか、マスコミよ、医療現場はどうなっているのか、取材して伝えろよ。

緊急事態宣言を発令して、ステイホームをしろとは言わないが、旅館に宿泊するのは良いが、実家へ帰るのは、ちょっと? って、どうゆうことよ?


場当たり的な、ご都合主義でしかないのでは?


マスクをして、手洗いすれば?

フェイスシールドと、ビニールやアクリルで仕切って終わり。

みたいな、策しかないのに・・・


新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長が自ら、提言内容を公表したが、政府はここのところ、沈黙状態。

政府は、夏休みなのか?

そんな能無しジジイたちは、即刻 クビ!

1日でも早く、新しいシステムで動かないと・・・

というより、もはや、デッドゾーンを越えてるとしか思えない。


無知無能の、安倍晋三 政府。


残念でならない。


そして、マスコミを通して、デマも拡散している。

大阪府知事はアホか。「イソジン」がどうのといっているが、デマの何物でもない。

大阪維新の会 も、アホ 決定。

大阪府民の皆さん、考えた方がいいですよ。







分科会の尾身会長、帰省について政府に提言した内容を公表

8/5(水) 17:24 

Yahoo!ニュース

 政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長は5日夕方、臨時の記者会見を開き、「お盆休みが近づく中、次回の分科会の開催を待たず、政府に対して帰省に関する提言をすることが責任、役割だと思った」とし、政府への提言内容を公表した。(ANNニュース)



■提言全文

もうすぐお盆休みです。多くの人が帰省をお考えになっているかと思います。お盆休みに帰省した場合、高齢者と接する機会や飲酒・飲食の機会も多くなることが考えられます。したがって、新型コロナウイルス感染が広がっている現状では、帰省する場合には、「基本的感染防止策(手指消毒やマスク着用、大声を避ける、十分な換気など」の徹底や三密を極力避けるとともに、特に大人数の会食など感染のリスクが高い状況を控えるなど、高齢者等への感染につながらないよう注意をお願いします。

そうした対応が難しいと判断される場合には、感染が収まるまで当分の間、オンライン帰省を含め慎重に考慮していただきたいと思います。また、そもそも、発熱等の症状がある方は、帰省は控えて下さい。感染リスクが高い場所に最近行った方は、慎重に判断して下さい。

以上のメッセージを政府として国民に是非発信していただく必要があると考えています。





うがい薬の効果「根拠不足」 今後検証、と日医会長

8/5(水) 17:48 

Yahoo!ニュース

 日本医師会(日医)の中川俊男会長は5日の記者会見で、新型コロナウイルスの感染拡大防止策として大阪府知事が使用を呼び掛けた市販のうがい薬の効果について「現時点ではエビデンス(根拠)が不足していると考えている。日医の有識者会議などでも今後検証していきたい」と述べた。

 商品が品薄になったり、高額で転売されたりしていることに関し「慌てて行動しないようにしましょうということに尽きる」とした。





Posted at 2020/08/06 06:18:29 | トラックバック(0) | JOURNAL

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