2023年02月06日
B747
通称 ジャンボジェット
日本の空にも多数の B-747 が、かつて飛んでいた。
そして、B747 が墜落して500名を越える、乗客、乗員が死亡という痛ましい事故もあった。
その B747 の最終機がロールアウトし、生産終了となった。
500名を越える乗客が搭乗可能で、一部2階建て
たくさん乗れるのはいいのだが、実際乗ると 窓側の座席は、全体の2割程度しかなく、単に椅子に座って運ばれてるだけ で、楽しくない機体だった。
飛行機に乗るなら 窓側の座席がいい。
窓から見られる雲や下界の地形
夕日に染まる雲の空
富士山が望めれば楽しいに決まってる。
そんな座席を確保するには、ジャンボジェット は 広すぎる
でも、空飛ぶ 飛行機をみるだけなら、4列に棚引く飛行機雲 は 見ごたえがある。
そんな B747 今ではなかなかお目にかかることがないが、機体の生産終了により、この世から B747 もいずれ終焉の時が、来ることが決まった。
日本では、YS11 以来の旅客機の製造を目指して、三菱重工業が航空機の新規生産をしようとした のだが・・・・
ことの出発点は、経済産業省が、2002年に、「環境適応型高性能小型航空機」の開発プロジェクトを立ち上げた。
まあ、経済産業省単独で事を起こすわけはなく、多分その時点で三菱重工業に、曽野木があって、国を動かした結果だろう。
その後 2008年には、三菱重工業での事業化になり、全日本空輸がローンチカスタマーとなり、正式に動き出した。
2013年には、試作機の組み立てが始まり、2014年10月18日ロールアウトした。
2015年11月11日は、名古屋空港で、試験飛行が行われ、日の丸ジェット が空を飛んだ。
しかし、その後 アメリカの型式認定で不備が多数あり、型式認定を取得出来ず、納期が、延び延びになり、結局、事業は縮小、そして結局旅客機として、空を飛ぶ事なく終わるらしい。
日本の航空機産業の夢は夢で終わるようだ。
残念だが世の中そんなに甘くはないということだろう。
ジャンボ機” 製造終了 最後の機体は米貨物航空会社へ
2023年2月1日 12時31分
ジャンボ機の愛称で親しまれたボーイング747型機の製造が終了し、最後の機体がアメリカの貨物航空会社に引き渡されました。海外旅行の普及をけん引し、世界の大量輸送時代を支えた航空機の製造が幕を閉じました。
アメリカの大手航空機メーカーボーイングは31日、アメリカ西部ワシントン州シアトル近郊にあるエバレット工場で、最後の機体の引き渡しを記念する式典を開きました。
1574機目となる機体は貨物専用タイプで、アメリカの貨物航空会社に納入されました。
式典でボーイングのカルフーンCEOはこの機体に関わった世界の人たちに感謝すると話しました。
ジャンボ機と呼ばれた747型機は1970年に日本の空に登場しました。
最大で500人以上が乗ることができ、一度に多くの乗客を運べることから航空運賃の引き下げにもつながって、海外旅行を身近なものにし、世界の大量輸送時代を支えてきました。
【独自】スペースジェット、開発中止決定 次期戦闘機に知見生かす 2/6(月) 16:23
三菱重工業(7011)は、ジェット旅客機「三菱スペースジェット(旧MRJ)」の開発を中止する方針を固めた。近く正式発表する。同社は取材に対し「開発を中止した事実はない」とコメントした。国が機体の安全性を証明する「型式証明(TC)」を取得しても事業として成立しないため、これ以上の投資は難しいと判断した。スペースジェットの開発で得た知見は、日本と英国、イタリアの3カ国で共同開発する次期戦闘機などに生かす。
三菱重工は「一旦立ち止まる」との表現で、スペースジェットの開発を2020年10月30日 に事実上凍結。関係者によると、TC取得に関する費用は今後も数千億円規模でかかる見通しで、開発を続けても事業として成立しないとの結論に至ったという。 スペースジェットの納期は当初、2013年だった。2008年に開発がスタートし、納期は6度もの延期で2021年度以降としていたが、ついに未完の航空機となった。 開発する子会社の三菱航空機は、三菱重工に資産を移管するなどの準備を経て清算する見通し。 すでに米ワシントン州にあるスペースジェットの飛行試験拠点「モーゼスレイク・フライトテスト・センター(MFC)」は2022年3月末で閉鎖。米国で試験を行っていた4機の飛行試験機のうち、3号機(登録記号JA23MJ)の日本国籍機としての登録は3月で抹消され、機体は解体された。 三菱重工の泉澤清次社長は、2022年11月1日の決算会見でスペースジェットの開発で得た知見などについて、「設計ツールとか、シミュレーションツール、検証ツールを再整備をして色んな所に使えるように準備している。次期戦闘機などにも活用を検討していくことも進めており、作ったものは使えるようにしていく」と、航空自衛隊の次期戦闘機開発などに役立てたいとしていた。 スペースジェットは、これまでに少なくとも約500億円にのぼる補助金などの公的資金が投じられている。また、国内ではローンチカスタマーである全日本空輸(ANA/NH)などを傘下に持つANAホールディングス(ANAHD、9202)が確定15機とオプション10機の最大25機を発注し、日本航空(JAL/JL、9201)は32機をすべて確定発注で契約しており、各航空会社への補償などの対応も必要になる。 Tadayuki YOSHIKAWA
ついえた「日の丸ジェット」 露呈したノウハウ不足 2/8(水) 7:09
三菱重工業が国産小型ジェット旅客機「スペースジェット」からの撤退を決め、2008年に始まった「日の丸ジェット」の開発構想はついえた。 航空機事業は品質管理や安全性の要求水準が厳しく、初期投資もかさむことから事業化のハードルが高い。三菱重工は航空部品の分野では豊富な実績を持つが、完成機の組み立てではノウハウ不足が露呈した。 「『技術』を『事業』にするところの十分な準備や知見が足りなかった」。三菱重工の泉沢清次社長は7日の記者会見で、「スペースジェット」の敗因をこう語った。「一定の水準の機体を開発できた」といい、技術面での成果があったことも強調。しかし、運航に必要な型式証明の取得手続きに関する理解や経験が不足し、子会社の三菱航空機は商用化にこぎ着けることができなかった。 型式証明の取得にこだわれば、今後数年にわたり年1000億円前後の出費が必要になる可能性があった。一時は国内外の航空会社から427機の受注を集めたが、開発に手間取る間に失速。また、米ボーイングなどの海外大手と比べ、新規参入の三菱重工は航空事業の規模が小さい。海外企業から装備品を調達する際の交渉力が弱く、有利な条件を引き出すことが難しかった。 日本はかつて零式艦上戦闘機(ゼロ戦)に代表される世界最高水準の航空技術を誇っていたが、敗戦後は連合国軍総司令部(GHQ)に製造を禁じられて衰退。1960年代には国家プロジェクトでプロペラ旅客機「YS11」を生み出したが、採算を確保できずに姿を消した。実現すれば約半世紀ぶりの国産旅客機となるスペースジェットは、日本の航空産業復活の象徴になるはずだった。 航空機は100万点もの部品を使うため産業の裾野が広く、経済への波及効果も大きい。日本は主要国と比べて航空産業の規模が小さく、成長性に対する官民の期待は高かった。西村康稔経済産業相は7日、記者団に対し「当初の目的を達成できなかったことは極めて残念であり、重く受け止めている」と語った。
Posted at 2023/02/07 05:12:49 |
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