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2024年01月31日 イイね!

能登半島地震 から 明日で1ヶ月 20240131


能登半島地震 から もうすぐ 1ヶ月


① 地震そのもの について

② 被災地交通アクセス について

③ 原子力発電所 について


まずは

① 地震そのもの について

M7.3 相当 の 地震が 約13秒差で連続して 発生している 可能性が大きい という 点だろう

2016年4月 に 発生した 熊本地震の時には 14日 M6.3 と 16日 M7.3 の 二度 の 地震が起きたが、今回の能登半島地震は、時間差 13秒という短期間に連続して地震が発生しているという点に注目したい。

これによって 横揺れ揺れは60秒程度の大きな揺れとなり、地表に大変大きなダメージを与えたと思われる。

しかも、今回の断層の移動範囲は160km 以上と広範囲であり、横揺れの周期と大きさが石川県を始め、富山県、新潟県、長野県に被害を及ぼし、特に 液状化現象は、新潟県 新潟市でも甚大な被害となっている。

この、能登半島地震は、2007年 にも輪島市門前町付近を中心に発生いていて、その後 2020年頃から、珠洲市で度々M6クラスの地震が起こっていた。

つまり、2011年の、東北大平洋地震 前から ここ 能登半島周辺で、大規模活断層のエネルギー変調が見受けられ、さらには、2004年の中越地震、2007年7月の中越沖地震 と 合わせると ユーラシアプレート と 北米プレート の 境界付近 であり 新潟から静岡 へ 延びる フォッサマグナ (糸魚川 - 静岡構造線) の 延長線上付近で 2004年から 断層の動きが活発化しているといえよう。

この20年で 新潟から 能登半島、佐渡島一帯の フォッサマグナ周辺域で、マグニチュード 6~7 クラスの地震が複数起こっていることになる。

これらの地域の地震はこれで終わるとは思えない。

総合的に、どれくらいの地震を引き起こすエネルギーがまだ溜まっているのか、素人では判断材料が乏しすぎるのだが、まだまだこの先、エネルギーの放出は続くだろう。



② 被災地交通アクセス について

能登半島は、北陸 加賀と富山から細長く突き出した半島であり、丘陵地が主体の半島である。

石川県の主要都市、金沢市から北へ西側の海岸沿いに道路、鉄道が延び、能登半島中央の七尾市から先へは、海岸沿いに延びる道路と、穴水から内陸の丘陵地帯を珠洲市へ向かう道路と、輪島市へ向かう道路という感じでしか道路が無い。

この道路を通って救助隊や救援物資が行くのだが、この能登半島へ向かう道路の至る所で地震による被害が発生し、思うように被災地へ行くこともままならず、また、被災地から安全な場所へ避難するにも、また同じで、簡単に脱出も出来ない。

このような事象は、能登半島だけでは無い。

伊豆半島にしろ、下北半島など、日本には多くの半島があるが、その半島の多くが同じように通行できる道路には限りがある。

そして、今回の能登半島の地震のように、津波が発生し、地盤が隆起(もしくは沈降など)して沿岸部が被災すると、海上からのアクセスも難しくなる。

今回の能登半島地震のような、地震によって、陸路、海上両方からのアクセスが困難になることも考える必要があるだろう。


③ 原子力発電所 について

今回の、能登半島地震で、北陸電力 志賀原子力発電所の50万ボルト送電線から電気を受けるための変圧器が壊れ、燃料プールの水漏れなど、地震による様々な損傷を受けている。

一連の東日本大震災の原子力発電所の停止措置の結果、この志賀原子力発電所も運転を停止していたので、運転稼働していなかったのだが、これが、運転営業中だったとしたら、志賀原子力発電所はどうなっていたか。

志賀原子力発電所の建屋自体に地震による直接的な影響は無かったようだが、外部電源は喪失し、原子炉冷却がどうなっただろうか?

しかも、志賀原子力発電所の立地場所の志賀町は、道路、電力などライフラインは大打撃を受け、志賀原子力発電所周辺の住民は志賀町から避難することすら不可能に近い状態に陥り、また、志賀原子力発電所へ、復旧作業をおこなうにも、外部から志賀町へ入ることも、困難な状況であること、志賀町の地震計自体が、震度7を観測し、志賀町周辺の土地は、4mも隆起している状況を考えると、この志賀町が、原子力発電所立地場所としてふさわしいとは、とても思えない。

しかも、珠洲市や能登町、輪島市、穴水町などの奥能登や志賀町より北に位置する 自治体は、志賀原子力発電所が、福島第一発電所のような事態に陥った際に、原子力発電所事故から避難する、避難経路も絶たれる事になるというこことが 今回の地震の状況で改めて思い知ることとなった。



今回の 能登半島地震は、単に 能登地方といういち地域で起こった地震として捉えること無く、今後起こりうるであろう様々な地震に対しての大きな警告の一つとして捉え、今後の自然災害に対応できるように、今一度、国の備え、対策を講じる必要があると考えられる。







能登半島地震、13秒差でM7・3相当が連続発生か…揺れ収まる前に2度目で被害拡大

2024/01/30 11:28


 元日に起きたマグニチュード(M)7・6の能登半島地震は、M7・3相当の二つの地震が震源域近くでわずか13秒差で発生した可能性があることが、京都大防災研究所の解析でわかった。1回の地震と比べ、地震のエネルギーは約2倍に増大したと推計される。最初の揺れが収まる前に2回目の地震が起き、1分程度の激しい揺れとなって甚大な被害につながったとみられる。

 今回の地震について、政府の地震調査委員会は15日、「複数の断層帯が連動した可能性が高い」との見解を公表。京大防災研の浅野公之准教授(強震動地震学)らのチームは、複数の断層がどのように連動したのか、地震計で観測された波形データを基に推定した。

 その結果、震源となった石川県 珠洲すず 市付近から南西方向に延びる断層が1日午後4時10分過ぎに動き始めて地震が発生。その13秒後には、震源付近から北東方向に走る断層が動く別の地震が起きていた。

 2回の地震はいずれもM7・3相当と推計され、1回目の揺れが収まる前に2回目が発生したことで激震となったという。チームは、1回目の地震で半島沿岸部の隆起が起き、2回目の地震が津波の主な原因となったとみている。

 2回連動した地震の4分前には、M5・5の地震も起きていた。

 最初の地震が引き金となり、別の断層が動いて地震が連続する現象は「連動型地震」と呼ばれる。2011年の東日本大震災では少なくとも三つの断層が連動し、M9・0の巨大地震になったと考えられている。

 チームは今回の解析結果を地震調査委に報告。浅野准教授は「規模が大きくなる連動型地震は他の地域でも起こりうる。現地調査で詳細を突き止め、対策の強化につなげたい」と話す。

Posted at 2024/01/31 19:43:58 | トラックバック(0) | JOURNAL | 日記
2024年01月24日 イイね!

能登半島地震で原発は「警戒事態」だった 20240124



能登半島地震 の 震源地に最も近い距離にある 北陸電力志賀原子力発電所

現在 志賀原子力発電所 は 運転停止しているが、その運転停止中の原子力発電所の変圧器の油漏れや電源喪失といった トラブルが多数発生していて、これが、原子力発電運転中であったならば、どうなっていたのか?

という疑問が残る。

本当に、賀原子力発電所は立地場所を考えたときに、安全な発電所なのか、疑問がのこる。






能登半島地震で原発は「警戒事態」だった…政府と自治体の対応を振り返る 指針に書かれた「避難の準備」は

2024年1月24日 12時00分

 能登半島地震では北陸電力志賀原発を巡る危機も看過できない。実は今回、立地する石川県志賀町で震度6弱以上を記録したため、国の原子力災害対策指針が定める緊急事態区分の一つ「警戒事態」に当たると原子力規制庁は判断していた。関連情報の周知や避難の準備が求められたが、震災対応に追われた地元自治体は手が回ったのか。複合災害に対応できるのか。(曽田晋太郎、西田直晃)

◆自治体職員も多くが被災して登庁ができない大混乱


能登半島地震では、災害対応の拠点となる石川県庁にも避難した人が集まった

 そう話すのは神戸市危機管理室の課長、渡辺智明さん(58)。6日から11日にかけて能登半島先端にある石川県珠洲市役所に入り、避難所運営のニーズ調査を担った。都市部で起きた阪神大震災とは異なる混乱ぶりがあったという。

 珠洲市は地方の過疎地。人口は約1万2000人。職員数も神戸が2万人だったのに対して400人ほど。3〜4割は被災して市役所に来られない状況だった。

 渡辺さんが現地入りした段階でも被害の全体像がつかめておらず、避難所の数や避難者数も不明だった。情報発信もままならず、飲料水などの物資が必要量以上に届く事態に陥った。

 「珠洲市は人手不足で満身創痍(そうい)だった。体系的に動けておらず、機能不全の状態だった。初動の局面からなかなか先に進めない状況になっていた」

◆震度6弱以上で「警戒事態」 原子力災害対策指針

 震災対応で大混乱した今回の地震。原子力災害でも重要な局面が迫っていた。



 志賀原発は停止中だったものの、立地する志賀町では元日に震度7、6日に6弱を記録した。その一方、原子力災害対策特別措置法に基づく原子力災害対策指針では「原発所在市町村で、震度6弱以上の地震が発生した場合」などを「警戒事態」と判断する基準の一つに定めている。

 警戒事態は事故対応の初期段階に当たる。住民対応を円滑に進める名目で規制庁や自治体は少なくない業務を強いられる。指針などによれば、職員の参集、関連情報の収集や周知のほか、環境モニタリングや避難の準備が必要になる。

 避難の準備で対象になるのが、原発の5キロ圏の高齢者や妊婦ら。搬送先や輸送手段の確保も求められる。

◆警戒本部を約5時間半で「廃止」 何を急いだのか




 規制庁によると、警戒事態に該当するかの判断は同庁が行う。今回のケースでは、志賀町で震度6弱以上を観測した2回とも警戒事態に認定し、原子力規制委員会・内閣府原子力事故合同警戒本部が設置された。

 ただ警戒本部は1日が約5時間半、6日が約40分で廃止された。この間、原子炉の「止める・冷やす・閉じ込める」の機能や使用済み核燃料の冷却状態を確認したという。

 富山大の林衛准教授(科学技術社会論)は「志賀原発に異常はないとしつつ、変圧器の油漏れや電源喪失などの情報がどんどん出てきた。規制庁は異常の把握を途中でやめ、『大丈夫でしょう』と決めたように見える。なぜ本部を急いで廃止したのか。信頼性を失う判断ではなかったか」と疑問を呈する。

 「情報が錯綜(さくそう)すれば自治体の混乱を招きかねない。不具合の原因が究明できていないので、いつ危険な状態になるか分からない。規制庁はきちんと地震の影響をチェックすべきだった」

◆石川県「国からの指示が特になかった」



 国もさることながら気になるのが、志賀原発を巡る地元自治体の動き、特に石川県の対応だ。

 志賀町出身で社民党県連代表の盛本芳久県議は「県は北陸電力の発表を追認するだけで、原発に関する独自の情報発信がほとんどない」と不信感を示した上で「タブー視されているかのようで、県の動きが見えないことに不安を感じている」と嘆く。

 実際のところ、県はどのように動いたか。

 県原子力安全対策室によると、元日の地震発生の約45分後、「事故現地警戒本部」の設置を国から文書で要請される直前、県独自の判断で拠点の志賀オフサイトセンターに職員2人を派遣した。地域防災計画では震度5以上なら全職員登庁と定め、担当者は「すぐに県庁の受け入れ態勢をとった」と説明する。




 その後、北電から安全性の情報提供を受けながら、周辺の空間放射線量を測る緊急時モニタリングの準備を整えたが、道路の陥没や隆起が相次ぐ中で様子見に徹した。担当者は「初動の迅速さ」を強調し、原子力災害対策指針が定めた通りの対応を説明。「規制庁と相談しながら対応を判断していた」とのことだった。

 ただ、5キロ圏の高齢者や妊婦らの避難準備は、立地町の志賀町に呼びかけていない。「国からの指示が特になかった」(県危機対策課の担当者)ためという。

◆地震に原子力災害が加わると「対処できるレベルをはるかに超える」

 志賀町によると、警戒事態で避難準備する対象者は少なくとも233人(2023年11月時点)が該当し、5キロ圏で生活する住民の約7%を占めている。実際に避難となると、震災対応と並行した動きが求められる。



 今回の地震でこうした原発対応に追われた県と志賀町に対し、盛本氏は「災害対応は本当に大変だった」とねぎらいつつ「原発の様子が気になる県民は多い。余震の際には『原発は大丈夫か』と不安が募る。もっと情報を集約してほしかった」と注文する。

 警戒事態からさらに状況が悪化すると、自治体などの負担がはるかに増す。

 避難を強いられた住民の誘導、避難者の体に付着した汚染の程度を調べるスクリーニング、甲状腺被ばくを軽減する安定ヨウ素剤の配布なども必要に。目の前の災害対応の中、対処しきれない事態が待ち受けている可能性が高い。

 新潟国際情報大の佐々木寛教授(政治学)は「能登半島地震では、水道破裂や道路陥没、電気不通が相次いだが、そこに原子力災害が加わると、単一の自治体が対処できるレベルをはるかに超える」と指摘する。



 「原発事故は十中八九、地震や津波と併発する複合災害。どの自治体も人員、物資ともに不足する」

◆国民を守るための方策が「簡略化」される懸念

 さらに佐々木氏は「原発事故の対応に手が回らないという理由を付け、防護策の簡略化に向かうのが怖い」とも警戒する。

 5キロ圏を例に取れば、今の指針では警戒事態よりも深刻な「施設敷地緊急事態」や「全面緊急事態」で避難の開始を想定するが、労力の問題から「5キロ圏でも屋内退避になってしまうかもしれない」と見通す。

 5キロ圏外でも「頑丈な建物に退避」が原発対応の基本とされかねない一方、今回の地震で建物の損壊リスクが明らかになっている。そんな中、屋内退避で難を免れるのに限界があるのは明白だ。飛散した放射性物質にさらされたり、体内に取り込んだりすることで、被ばくを強いられる可能性が高くなってしまう。

 佐々木氏は「原発が重大な事態に至らなくとも近くに住む人は不安を抱え、外に逃げてもいいか、屋内にとどまるべきか、迷いを生じさせる。それほど原発は厄介な存在だ」と訴える。

◆デスクメモ

 地震や津波の対応に奔走する自治体には頭が下がる。自身や身内が被災した例もあるだろう。彼らに原発対応まで求めるのは申し訳ない。災害時に負担を強い、疲弊を加速させるのが原発という存在。佐々木さんの言うように厄介であり、罪深くもある。そんな原発は本当に必要なのか。 (榊)

Posted at 2024/03/31 08:54:53 | トラックバック(0) | JOURNAL | 日記
2024年01月17日 イイね!

阪神淡路大震災 から 29年 20240117

阪神淡路大震災 から 29年 20240117
阪神淡路大震災

1995年1月17日午前5時46分 発生

兵庫県南部地震

それから29年

その後 新潟の 中越地震や

2007年 の 能登半島地震

2011年 の 東日本大震災

2016年 の 熊本地震

2018年 の 北海道胆振東部地震

など

幾度も 地震 が 日本の国土を襲っている


阪神淡路大震災 は

大都市圏 の 直下型地震 で 神戸の都市部 を 壊滅させるエネルギー が 襲った


都市部の人口密集地 を 襲った ため 多くの人々が 犠牲になり

多くの方々が被災した



同じ直下型地震 ともいえる 今回の

2024 能登半島地震

しかし、能登半島地震 の 断層の移動範囲と移動量は凄まじく、広範囲に短時間で 4m 以上も縦方向は隆起 し 横方向にも動いている

マグニチュード 7.6 ではあるが

それ以上の 地表の破壊だ

能登半島は 陸路の侵入経路が複数ない

とか

高規格道路が十分整備されていない

とか

いろいろ

道路事情 について 言われているが、能登半島の先端にまで 立派な道路を作るか?

需要と供給 の バランスを考えれば 現状が妥当では??

確かに 今回のような 災害時には 貧弱だと思う

しかし、平時ならば 今の道路インフラが貧弱なのか とは言えないと思う

しかも、複数の道路が無い と いう意見もあるが、複数の道路を作るほど 平場の土地が有るわけでもなく

海岸線 の 反対側は丘陵地が迫り拡がる地形

そんな所に 巨費を投じて 複数の道路を作ることは 現実的ではないだろう。

道路を作れば 作るカネ も 必要だが、もっと 大変なのは その作った道路の恒久的な維持管理だ。

道路のメンテナンスや、積雪時の除雪など、道路を作れば終わりではない。

今回のように、自然災害で損傷すれば、補修もしなければならない。

能登半島のように、末端の道路にどれだけの費用が使えるのか?

そう 考えると 残念ですが

能登半島のインフラは、現状のままが適正なのだろうと思う。

能登半島はこれから 真冬の寒さと積雪が暫く続く


阪神淡路大震災 の 厳しい現状があったとは思うが それより さらに厳しい と 思う

2024 能登半島地震

阪神淡路大震災 の 経験 教訓 をいかしつつ 能登半島の被災された皆様に 希望の灯火が見える日が一日でも早く来ることを願わずにはいられない。


そんな 事を思う 1月17日 という 一日であった。











Posted at 2024/01/17 16:07:47 | トラックバック(0) | JOURNAL
2024年01月04日 イイね!

篠山紀信さん 死去 83歳 20240104


篠山紀信 日本を代表する 写真家

特に人物写真 の 数々 は 誰もが目にしている

篠山紀信 の 腕が凄いのか

それとも

その場数 が 篠山紀信 を 育てたのか

多分 仕事が 篠山紀信 を 育てたんのだろう

オリンピック アトランタ 大会 の 有森裕子 の 撮影秘話 を 聞いていると まあ 運もあるんだろう

しかし、その運を モノに出来るか どうか が 腕なのだろう



合 掌




写真家・篠山紀信さん死去、83歳 「週刊朝日」や「激写」シリーズ 1/5(金) 5:00


三島由紀夫さんやジョン・レノンとオノ・ヨーコ夫妻、山口百恵さんら、60年以上にわたって時代を象徴する人物やものごとを撮影し、「激写」シリーズなどで知られる写真家・篠山紀信(しのやま・きしん、本名・紀信=みちのぶ)さんが4日、亡くなった。83歳だった。妻は元歌手の南沙織さん、次男はタレントの篠山輝信(あきのぶ)さん。


東京都新宿区の真言宗の寺に生まれ、日本大学芸術学部写真学科に在学中の1961年に、広告制作会社ライトパブリシティに入社。広告写真を撮るかたわら、造形的なヌード写真をカメラ雑誌などに発表して注目された。68年に独立。 青年誌「週刊プレイボーイ」にヌード写真を発表するほか、70年代初期からは月刊「明星」の表紙で、時代のスターを次々に活写。さらに、青年誌「GORO」での市井の人から芸能人までを撮った「激写」シリーズや、「週刊朝日」の表紙連載「女子大生」シリーズなどを、各種週刊誌や女性誌、美術誌に発表した。 70年には、作家・三島由紀夫さんに依頼され、自決直前の姿を撮影。三島さんを介して出会った歌舞伎俳優・坂東玉三郎さんを写した72年の写真集「女形・玉三郎」で芸術選奨文部大臣新人賞。76年には国際美術展「ベネチア・ビエンナーレ」に参加し、建築家・磯崎新さんの構成で「家」シリーズを展示した。 海外でも精力的に撮影した。磯崎さんとコンビを組み、古代エジプトから米ニューヨークの名建築を写した「建築行脚」シリーズ(80年)、シルクロードを走破した「篠山紀信 シルクロード」シリーズ(81年)などを刊行。80年代、複数のカメラを連結して同時撮影し、パノラマ的な風景を見せる手法「シノラマ」を編み出すと、都市から山の噴火まであらゆるテーマに取り組んだ。 写真集を中心とする著書は300冊を超える。91年には、俳優の樋口可南子さんをモノクロで撮影した「water fruit」、トップアイドルだった宮沢りえさんを被写体にした「Santa Fe」とヌード写真集を立て続けに刊行。後者は写真集としては異例の165万部に達し、社会現象になった。 2012~19年に全国巡回した個展「写真力」は計100万人以上が来場。21年には東京都写真美術館でも大規模個展「新・晴れた日 篠山紀信」を開いた。 朝日新聞社
Posted at 2024/01/05 07:55:06 | トラックバック(0) | 墓標
2024年01月02日 イイね!

羽田空港 C滑走路 重大事故 20240102

羽田空港 C滑走路 重大事故 20240102

羽田空港 で 火災が発生!!

しかも 空港内 に 拡がる 炎 ?

その映像をライブで見たのが 最初だった。

映像が 羽田空港 とは 知らず 地震のニュースの延長線上 だと ばかり 思っていたので、能登空港 は 閉鎖中だし 小松空港 なのか??

と 思ったが 場所は羽田空港 だという

そして そのうちに 大型旅客機が 左エンジン周辺一帯から大きく燃えて キャビンまで延焼している。

フロントギア が 出ていないのか 前に傾き 胴体着陸したように見られた。

そのうち 画面上では 乗客が未だに機内に居るのでは? という テロップが流れ

大惨事であろうことが 読み取れる


そして、時間がたつに従って、海上保安庁の固定翼機 と JAL 機 が 接触したこと

乗客 乗員は全員 機体から脱出して無事であること

が 明らかになった。


なぜ 海保機 と JAL 機が 滑走路で接触 いや 衝突 する という 事態になったのか

両機の 動き と 管制 の 間に 何らかの ミス エラー が あったのだろう

絶対に 同一滑走路に 2機種 が 入る筈がない

この痛ましい 事故 二度と起こらないように 原因究明され 対策が講じられる事を今は願う






【日航機・海保機衝突事故】公開された管制塔との交信記録の日本語訳(公開部分の全文)
1/3(水) 18:32配信

FNNプライムオンライン(フジテレビ系)
FNNプライムオンライン

国土交通省が3日午後公開した管制塔と日航機、海保機、空港を発着する別の航空機との交信記録の日本語訳は以下の通り(実際の交信は英語)。

【写真】炎に包まれる日航機と海保機

17:43:02 
JAL516(衝突した日航機):
東京タワー、JAL516 スポット18番です。
東京タワー(管制塔):
JAL516、東京タワー こんばんは。滑走路34Rに進入を継続してください。風320度7ノット。出発機があります。

17:43:12 
JAL516(衝突した日航機):
JAL516 滑走路34Rに進入を継続します。

17:43:26 
DAL276(出発機2番目):
東京タワー、DAL276 誘導路上Cにいます。停止位置に向かっています。
東京タワー(管制塔):
DAL276、東京タワー こんばんは。滑走路停止位置C1へ走行してください。
DAL276(出発機2番目):
滑走路停止位置 C1 DAL276。

17:44:56 
東京タワー(管制塔):
JAL516 滑走路 34R 着陸支障なし。風310度8ノット。

17:45:01 
JAL516(衝突した日航機):
滑走路 34R 着陸支障なし JAL516。

17:45:11 
JA722A(衝突した海保機):
タワー、JA722A C誘導路上です。
東京タワー(管制塔):
JA722A、東京タワー、こんばんは。1番目。C5上の滑走路停止位置まで地上走行してください。

17:45:19 
JA722A(衝突した海保機):
滑走路停止位置 C5に向かいます。1番目。ありがとう。

17:45:40 
JAL179(出発機3番目):
東京タワー、JAL179 滑走路停止位置 C1へ走行しています。
東京タワー(管制塔):
JAL179、東京タワー 3番目。滑走路停止位置 C1へ走行してください。
JAL179(出発機3番目):
滑走路停止位置 C1 へ走行、離陸準備完了。

17:45:56 
JAL166(到着機2番目):
東京タワー、JAL166 スポット21番です。
東京タワー(管制塔):
JAL166、東京タワー こんばんは。2番目、滑走路 34R進入を継続してください。風320度8ノット。出発機あり。160ノットに減速してください。

17:46:06 
JAL166(到着機2番目):
減速160ノット、滑走路34R 進入を継続。こんばんは。

17:47:23 
東京タワー(管制塔):
JAL166、最低進入速度に減速してください。
JAL166(到着機2番目):
JAL166。

17:47:27 
(3秒無言)

フジテレビ,社会部



衝突した海保機、事故前24時間以内に震災対応で2回飛行=関係者 1/5(金) 12:56

Nobuhiro Kubo [東京 5日 ロイター]

- 2日に日本航空(JAL)機と衝突した海上保安庁の航空機が、事故前の24時間以内に2回、能登半島地震の対応で被災地方面へ派遣されていたことが分かった。年始で羽田空港が混雑する中、民間機の離発着の合間を縫って緊急フライトが複数回発生していたことになる。

海保関係者によると、海保のMA722固定翼機は地震発生から約2時間後の1日午後6時ごろ、東京の羽田空港を出発。地震の被害状況を確認するため富山県、佐渡島、新潟県の沿岸を飛行し、午後9時半ごろ羽田へ帰投した。さらに午後11時ごろ、特殊救難隊を乗せて石川県の小松空港へ出発し、2日午前2時半ごろ羽田に戻った。

事故が起きたのはそれから半日以上過ぎた2日午後5時47分。MA722は午後4時45分に羽田航空基地の格納庫を出て、新潟航空基地へ被災地向けの物資を運ぶため離陸準備をしていたところ、着陸してきたJAL516便と滑走路上で衝突した。 ロイターは、フライトデータ追跡サイトのADS-B Exchangeでもこれらの飛行があったことを確認した。前出の関係者によると、3回ともそれぞれ異なる機長がMA722を操縦していた。

<世界で3番目に混雑する空港>

英国の旅行データ調査会社オフィシャル・エアライン・ガイドによると、羽田は世界で3番目に混み合う空港で、航空業界の情報を扱うシリウムのデータをロイターが分析したところ、昨年12月は1日当たり1290回の離発着があった。 年末年始や大型連休は特に混雑する傾向にあり、事故について2日夜に会見した国土交通省の平岡成哲航空局長は「羽田は日本で一番忙しい空港。当日は容量いっぱいで使われていた」と説明した。

震災を受けた緊急フライトや、空港が混雑していたことが事故発生に何らかの影響を与えたかどうかは分かっていない。国の運輸安全委員会と警視庁が事故の調査・捜査を進めている。 元JAL機長で航空評論家の小林宏之氏は3日、ロイターとの取材で「航空機の事故というのは1つの不具合、トラブルで即事故になるということは非常に少なく、今回も2つ3つの不具合が重なったのだと思う」と指摘していた。


<事故前日に中国船対応で沖ノ鳥島へ>

国交省が3日に公表した管制官との交信記録によると、MA722は滑走路手前の停止位置まで進むよう指示を受けていたが、滑走路内への進入や離陸を許可された形跡はなかった。MA722はJAL機と衝突し、乗員6人のうち5人が死亡した。 同関係者によると、脱出した宮本元気機長は事故前日の1日、日本最南端の沖ノ鳥島周辺で活動する中国海洋調査船への対応に当たっていた。ガルフV固定翼機で午前10時ごろ羽田を発ち、震災直後の午後5時ごろ帰投した。この時点で翌日の新潟行きのフライトは決まっていなかったという。 海保によると、MA722は仙台空港で定期検査中の2011年3月、東日本大震災で津波被害に遭い、12年に復旧して羽田航空基地に帰還した。 (久保信博 取材協力:杉山聡、金子かおり、Lisa Barrington 編集:橋本浩、John Geddie)



Posted at 2024/01/05 08:28:53 | トラックバック(0) | NEWS | 日記

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