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R016のブログ一覧

2024年02月02日 イイね!

羽田空港 事故から1ヶ月 20240202


衝撃的な事故だった。

海上保安庁の乗組員 5名の方々には 改めてお悔やみ申し上げます。

しかし、先日も 日本の空港で 旅客機同士の接触事故も起こり 空港での 旅客機の 安全性 を 保つのは 大変な皆さま方の 努力と オペレーション が あっての事である ことが 改めて思うところである

ちょっとした ヒューマンエラー が 取り返しのつかない 重大事故に繋がる 事を・・・

そして、日本航空機の乗員の方々の的確な判断と、乗客の皆様の冷静な行動によって 516便 の 乗客 乗客 全員が無事脱出出来たことは 日頃の訓練の成果であろう。

この 悲しい事故が今後起こらないように 更なる システム改良がなされ 安全な空の旅が 航空物流が 遂行出来るようになることを願う。









羽田航空機衝突、海保機長「進入許可と思い違い」…ナンバーワンが誤進入の一因の可能性強まる 2/2(金) 5:02

東京・羽田空港の滑走路上で日本航空と海上保安庁の航空機が衝突した事故で、海保機の男性機長(39)が事故後の聞き取りに、「管制官から『ナンバーワン』と聞き、指示を復唱して滑走路内に進入した。許可を得たと思い違いをした」と説明したことがわかった。出発順1番を意味する「ナンバーワン」の文言が誤進入の一因だった可能性が強まり、運輸安全委員会などが詳しい経緯を調べる。

事故は2日で発生から1か月となる。海保機長には警視庁や海保が事故直後に事情を聞いたほか、重傷を負った機長が一般病棟へ移ったのを機に、運輸安全委も1月25日から聞き取りを始めた。両機のボイスレコーダー(CVR)の解析も進むなど、原因の調査が本格化している。 関係者によると、海保機長は事故当夜、海保などに「滑走路への進入許可を受けた上で進入した」と説明。しかし、その後、思い違いをしたとの趣旨の話をし、「ナンバーワン」の文言などの事情に言及したという。 国土交通省は「ナンバーワン」を含む交信が海保機側の思い違いにつながった可能性が「否定できない」とし、国内の空港では出発機の順番について、管制官側から積極的に情報提供することを取りやめている。




【独自】羽田航空機炎上「スーパーポンパー」出動し海水で消火していた 未曾有の火災鎮火まで8時間の全容 2/2(金) 11:32


羽田空港で、日本航空と海上保安庁の航空機が衝突・炎上した事故から今日で1カ月を迎えた。

鎮火まで8時間を要した前代未聞の航空機事故の消火活動では、水が不足し東京湾から「海水」をくみ上げて放水を続けていたことがFNNの取材でわかった。 先月2日午後6時前に発生した事故の後消火活動には、国直轄の消防部隊の他、東京消防庁から115台の車両が出動しているが、FNNの取材でその活動の詳細が判明した。 当初は、消火栓からの水に加え、空港地下の貯水プール「防火水槽」からおよそ300トンの水が使われたが、午後7時半ごろ、その残量が低下したため10トンの水槽車が2台出動した。 さらに、水の不足が続いたため大量の水を送ることができる「スーパーポンパー」という車を出動させ、午後10時頃から東京湾の海水をくみ上げて事故機への放水を続けていたことがわかった。 そして、事故発生から8時間がたった翌日の午前2時過ぎに鎮火したという。 機動救急救援隊員・田初晋太郎さん: こちらの車両はスーパーポンパーという車両です 。1月2日、当日もここの機動部隊からこの車両が出動しています。東京湾の運河から水を吸い上げて、他隊に大量送水を実施しています 「スーパーポンパー」は東日本大震災で福島第一原発への冷却作業の際にも使われたという。 東京消防庁は、引き続き今回の消火活動について検証を行うとしている。





日本航空がパイロットや客室乗務員から聞き取った内容の全容を入手 2/2(金) 21:41


羽田空港での日航機の炎上事故から2日で1カ月が経ちます。テレビ朝日は日本航空がパイロットや客室乗務員から聞き取った内容の全容を入手しました。乗客の命を救った脱出までの状況が明らかになりました。

■日航機炎上事故から1カ月 曇り空が広がった羽田C滑走路。旅路へ向かう人々、家路を急ぐ人々が行きかう空の玄関口。あの事故から1カ月…。

乗客367人を乗せた日航機と海上保安庁の機体が衝突。海上保安庁の職員5人が死亡しました。 日本中がかたずをのみ、火を上げる機体を見つめた1月2日。 パイロット 「通常通り接地した直後に一瞬何か見え、強い衝撃があった」 当時、機体に乗っていたパイロット、客室乗務員12人への日本航空の聞き取り。テレビ朝日の取材で、その全容が分かりました。約18分間、12人はどう動いたのか…。


年末からの雪が残る新千歳空港。空港を発つ当該のJAL機が映し出されています。 出発予定時刻から25分遅れた先月2日午後4時15分。乗客367人を乗せたJAL516便が新千歳空港を離陸します。羽田までは約1時間半のフライト。機体は羽田空港C滑走路に着陸します。

■「一瞬何か見えた」操縦士が新証言 テレビ朝日の取材から操縦席にいた3人のパイロットへの聞き取りの全容が判明しました。 パイロット 「タワー管制官から“クリア・トゥ・ランド(視界良好)”を受領し、復唱した。静かな状態で着陸に集中できる状態だった」

JAL機がC滑走路へ着陸したのは午後5時47分ごろ。パイロットが異変を察知します。 パイロット 「通常通りに接地した直後に“一瞬何か見え”強い衝撃があった。その後、機体は滑っている感覚で、機長がブレーキ、方向舵ペダル、ステアリングハンドルなどを操作したが機能せず、制御不能だと認識した。機体が滑走路右の草地に停止した」 C滑走路に進入していた海保の航空機と衝突します。

乗客のカメラは機体が煙を上げる様子を捉えています。緊急事態を察知し、悲鳴が飛び交う客室。

10列目に座っていた乗客は…。

乗客 「胴体着陸のような状況で減速して止まった。そこで止まったのである程度安心したけど、窓側にいたので外を見たら、エンジンから火が出ていた」 ただ、この時点でパイロットらが海保機と衝突した事実を知るすべはありません。

パイロット

「停止後、操縦室内は真っ暗だった。すぐに緊急脱出が必要だと認識したが、画面上で確認できるチェックリストが使用できなかったので緊急用の冊子のチェックリストを実施した。衝撃の後、客席からパニックコントロールの声が聞こえていた」

■乗務員が証言「緊急連絡できない」 また、後方のL4、R4にいた客室乗務員も当時の状況をこう話します。 L4、R4の客室乗務員 「機体の停止後、操縦室にインターフォンで緊急連絡を試みたがシステムが機能せず、連絡ができなかった。一部パニックを起こしている乗客がおり、落ち着くよう大声で制止した」 次にL1、L2にいた客室乗務員への聞き取りです。機体が止まった後、乗務員らがどう動いたのかが分かりました。

L1、R1の客室乗務員 「機体の停止後、パニックを起こさないよう大声で制止した。チーフは運航乗務員への連絡を試みたがインターフォンシステムが機能せず連絡できなかった。チーフはL2担当者からエンジン付近で火災が発生しているとの報告を受けた」 衝突によって無線や機内アナウンス、ハンドセットが機能しない状況。状況は肉声で伝えられます。 L1に座っていたチーフキャビンアテンダントはL2に移動。火災発生の報告を受けました。実際、その動きを見ていた乗客がいました。

乗客 「『パッ』と左を見たらCAさんが2人いて、白い服を着た一番上の方なのかな?マイクに向かってしゃべっているんですけど、後ろの人が、CAさんが叫んでいて『エンジン燃えています』と言ったら、その白い方が『燃えているエンジンは何番ですか?』と聞かれて、後ろの人は『何番』というのを言ったか言わないか…確認を2人でしていました。何番のエンジンが燃えているのかと」

さらに、チーフキャビンアテンダントはL2から操縦室に移動します。再びパイロットの証言に戻ります。 パイロット 「操縦室のドアが開いていて、チーフが操縦室に来て状況の報告があった。火災の発生を認識し、機長が大声で緊急脱出を指示した」

■機長と乗務員“やりとり”全容判明 機体停止後、操縦室に座っていたパイロットは緊急脱出を指示します。

パイロット 「L1、R1の脱出用スライドが展開され、副操縦士2名は前方の乗客に荷物を置いて前から脱出するように大声で誘導した」 事故当時、機長の指示で脱出用スライドが展開されたのはL1、R1の2つ。機体の中ほどにいた客室乗務員は聞き取りに対し、

「乗客の援助もあった」ことを明かしています。 L2、R2、L3、R3の客室乗務員 「機外で火災が発生していることからL2、R2、L3、R3ドアは使用不可と判断した。ドアを開けるように求める乗客がいたが、

『外は火災のため開けられない』と答えた。また、援助を申し出る乗客がおり、その乗客に対しては他の乗客に荷物を持たないよう呼び掛けを続けてもらった」

■「障害物なく…」乗務員が証言 荷物を持たず前方の脱出用スライドへ移動する乗客。さらに客室乗務員のとっさの判断でL4も展開されます。R4、L4にいた客室乗務員のその判断も聞き取りで明らかになりました。

L4、R4の客室乗務員 「R4担当者は機外に火災の発生を確認したことから使用不可と判断。L4担当者は機外に火災の発生は確認できず、脱出用スライドを展開するスペースに障害物がなかったので使用可能と判断。機外の状況を確認したうえで、L4スライドを開放して脱出を開始した」

■機長と乗務員“18分のやりとり” 客室乗務員のとっさの判断で開かれたL4。その様子も映像で残されています。 L4、R4の客室乗務員 「L4スライドは急角度になっていたため腰を低くして降りるよう指示した」 3人いた操縦室のパイロット。副操縦士の2人は前方で客の誘導を担います。機長は1人、煙の充満する後方へ移動。乗客を前方へ誘導します。

パイロット 「機長は後方へ移動し、しゃがんでいる乗客を見つけ前方へ誘導した。前方の避難が落ち着いたところで、2人の副操縦士は後方へそれぞれ向かった。後方は煙が充満していた。機長は前方から副操縦士両名の声が聞こえたが、後ろに来ると危ないと感じ、2人とも前から逃げるよう指示を出した」 チーフキャビンアテンダントと副操縦士2人は乗客全員が脱出したのを確認した後、L1から脱出。機長は煙が充満する後方まで移動。乗客と乗員が全員脱出したのを確認し、最後に脱出しました。客室乗務員がとっさの判断で開いたL4からです。 機体が衝突してから約18分後の午後6時5分に乗客乗員、全員の緊急脱出が完了します。

乗客 「幸い、スムーズに誘導してもらった。あの説明をちゃんと聞いておかないといけないと思ったし、誘導してもらったので非常にありがたかった」

テレビ朝日


Posted at 2024/02/02 08:22:57 | トラックバック(0) | JOURNAL
2024年01月31日 イイね!

能登半島地震 から 明日で1ヶ月 20240131


能登半島地震 から もうすぐ 1ヶ月


① 地震そのもの について

② 被災地交通アクセス について

③ 原子力発電所 について


まずは

① 地震そのもの について

M7.3 相当 の 地震が 約13秒差で連続して 発生している 可能性が大きい という 点だろう

2016年4月 に 発生した 熊本地震の時には 14日 M6.3 と 16日 M7.3 の 二度 の 地震が起きたが、今回の能登半島地震は、時間差 13秒という短期間に連続して地震が発生しているという点に注目したい。

これによって 横揺れ揺れは60秒程度の大きな揺れとなり、地表に大変大きなダメージを与えたと思われる。

しかも、今回の断層の移動範囲は160km 以上と広範囲であり、横揺れの周期と大きさが石川県を始め、富山県、新潟県、長野県に被害を及ぼし、特に 液状化現象は、新潟県 新潟市でも甚大な被害となっている。

この、能登半島地震は、2007年 にも輪島市門前町付近を中心に発生いていて、その後 2020年頃から、珠洲市で度々M6クラスの地震が起こっていた。

つまり、2011年の、東北大平洋地震 前から ここ 能登半島周辺で、大規模活断層のエネルギー変調が見受けられ、さらには、2004年の中越地震、2007年7月の中越沖地震 と 合わせると ユーラシアプレート と 北米プレート の 境界付近 であり 新潟から静岡 へ 延びる フォッサマグナ (糸魚川 - 静岡構造線) の 延長線上付近で 2004年から 断層の動きが活発化しているといえよう。

この20年で 新潟から 能登半島、佐渡島一帯の フォッサマグナ周辺域で、マグニチュード 6~7 クラスの地震が複数起こっていることになる。

これらの地域の地震はこれで終わるとは思えない。

総合的に、どれくらいの地震を引き起こすエネルギーがまだ溜まっているのか、素人では判断材料が乏しすぎるのだが、まだまだこの先、エネルギーの放出は続くだろう。



② 被災地交通アクセス について

能登半島は、北陸 加賀と富山から細長く突き出した半島であり、丘陵地が主体の半島である。

石川県の主要都市、金沢市から北へ西側の海岸沿いに道路、鉄道が延び、能登半島中央の七尾市から先へは、海岸沿いに延びる道路と、穴水から内陸の丘陵地帯を珠洲市へ向かう道路と、輪島市へ向かう道路という感じでしか道路が無い。

この道路を通って救助隊や救援物資が行くのだが、この能登半島へ向かう道路の至る所で地震による被害が発生し、思うように被災地へ行くこともままならず、また、被災地から安全な場所へ避難するにも、また同じで、簡単に脱出も出来ない。

このような事象は、能登半島だけでは無い。

伊豆半島にしろ、下北半島など、日本には多くの半島があるが、その半島の多くが同じように通行できる道路には限りがある。

そして、今回の能登半島の地震のように、津波が発生し、地盤が隆起(もしくは沈降など)して沿岸部が被災すると、海上からのアクセスも難しくなる。

今回の能登半島地震のような、地震によって、陸路、海上両方からのアクセスが困難になることも考える必要があるだろう。


③ 原子力発電所 について

今回の、能登半島地震で、北陸電力 志賀原子力発電所の50万ボルト送電線から電気を受けるための変圧器が壊れ、燃料プールの水漏れなど、地震による様々な損傷を受けている。

一連の東日本大震災の原子力発電所の停止措置の結果、この志賀原子力発電所も運転を停止していたので、運転稼働していなかったのだが、これが、運転営業中だったとしたら、志賀原子力発電所はどうなっていたか。

志賀原子力発電所の建屋自体に地震による直接的な影響は無かったようだが、外部電源は喪失し、原子炉冷却がどうなっただろうか?

しかも、志賀原子力発電所の立地場所の志賀町は、道路、電力などライフラインは大打撃を受け、志賀原子力発電所周辺の住民は志賀町から避難することすら不可能に近い状態に陥り、また、志賀原子力発電所へ、復旧作業をおこなうにも、外部から志賀町へ入ることも、困難な状況であること、志賀町の地震計自体が、震度7を観測し、志賀町周辺の土地は、4mも隆起している状況を考えると、この志賀町が、原子力発電所立地場所としてふさわしいとは、とても思えない。

しかも、珠洲市や能登町、輪島市、穴水町などの奥能登や志賀町より北に位置する 自治体は、志賀原子力発電所が、福島第一発電所のような事態に陥った際に、原子力発電所事故から避難する、避難経路も絶たれる事になるというこことが 今回の地震の状況で改めて思い知ることとなった。



今回の 能登半島地震は、単に 能登地方といういち地域で起こった地震として捉えること無く、今後起こりうるであろう様々な地震に対しての大きな警告の一つとして捉え、今後の自然災害に対応できるように、今一度、国の備え、対策を講じる必要があると考えられる。







能登半島地震、13秒差でM7・3相当が連続発生か…揺れ収まる前に2度目で被害拡大

2024/01/30 11:28


 元日に起きたマグニチュード(M)7・6の能登半島地震は、M7・3相当の二つの地震が震源域近くでわずか13秒差で発生した可能性があることが、京都大防災研究所の解析でわかった。1回の地震と比べ、地震のエネルギーは約2倍に増大したと推計される。最初の揺れが収まる前に2回目の地震が起き、1分程度の激しい揺れとなって甚大な被害につながったとみられる。

 今回の地震について、政府の地震調査委員会は15日、「複数の断層帯が連動した可能性が高い」との見解を公表。京大防災研の浅野公之准教授(強震動地震学)らのチームは、複数の断層がどのように連動したのか、地震計で観測された波形データを基に推定した。

 その結果、震源となった石川県 珠洲すず 市付近から南西方向に延びる断層が1日午後4時10分過ぎに動き始めて地震が発生。その13秒後には、震源付近から北東方向に走る断層が動く別の地震が起きていた。

 2回の地震はいずれもM7・3相当と推計され、1回目の揺れが収まる前に2回目が発生したことで激震となったという。チームは、1回目の地震で半島沿岸部の隆起が起き、2回目の地震が津波の主な原因となったとみている。

 2回連動した地震の4分前には、M5・5の地震も起きていた。

 最初の地震が引き金となり、別の断層が動いて地震が連続する現象は「連動型地震」と呼ばれる。2011年の東日本大震災では少なくとも三つの断層が連動し、M9・0の巨大地震になったと考えられている。

 チームは今回の解析結果を地震調査委に報告。浅野准教授は「規模が大きくなる連動型地震は他の地域でも起こりうる。現地調査で詳細を突き止め、対策の強化につなげたい」と話す。

Posted at 2024/01/31 19:43:58 | トラックバック(0) | JOURNAL | 日記
2024年01月24日 イイね!

能登半島地震で原発は「警戒事態」だった 20240124



能登半島地震 の 震源地に最も近い距離にある 北陸電力志賀原子力発電所

現在 志賀原子力発電所 は 運転停止しているが、その運転停止中の原子力発電所の変圧器の油漏れや電源喪失といった トラブルが多数発生していて、これが、原子力発電運転中であったならば、どうなっていたのか?

という疑問が残る。

本当に、賀原子力発電所は立地場所を考えたときに、安全な発電所なのか、疑問がのこる。






能登半島地震で原発は「警戒事態」だった…政府と自治体の対応を振り返る 指針に書かれた「避難の準備」は

2024年1月24日 12時00分

 能登半島地震では北陸電力志賀原発を巡る危機も看過できない。実は今回、立地する石川県志賀町で震度6弱以上を記録したため、国の原子力災害対策指針が定める緊急事態区分の一つ「警戒事態」に当たると原子力規制庁は判断していた。関連情報の周知や避難の準備が求められたが、震災対応に追われた地元自治体は手が回ったのか。複合災害に対応できるのか。(曽田晋太郎、西田直晃)

◆自治体職員も多くが被災して登庁ができない大混乱


能登半島地震では、災害対応の拠点となる石川県庁にも避難した人が集まった

 そう話すのは神戸市危機管理室の課長、渡辺智明さん(58)。6日から11日にかけて能登半島先端にある石川県珠洲市役所に入り、避難所運営のニーズ調査を担った。都市部で起きた阪神大震災とは異なる混乱ぶりがあったという。

 珠洲市は地方の過疎地。人口は約1万2000人。職員数も神戸が2万人だったのに対して400人ほど。3〜4割は被災して市役所に来られない状況だった。

 渡辺さんが現地入りした段階でも被害の全体像がつかめておらず、避難所の数や避難者数も不明だった。情報発信もままならず、飲料水などの物資が必要量以上に届く事態に陥った。

 「珠洲市は人手不足で満身創痍(そうい)だった。体系的に動けておらず、機能不全の状態だった。初動の局面からなかなか先に進めない状況になっていた」

◆震度6弱以上で「警戒事態」 原子力災害対策指針

 震災対応で大混乱した今回の地震。原子力災害でも重要な局面が迫っていた。



 志賀原発は停止中だったものの、立地する志賀町では元日に震度7、6日に6弱を記録した。その一方、原子力災害対策特別措置法に基づく原子力災害対策指針では「原発所在市町村で、震度6弱以上の地震が発生した場合」などを「警戒事態」と判断する基準の一つに定めている。

 警戒事態は事故対応の初期段階に当たる。住民対応を円滑に進める名目で規制庁や自治体は少なくない業務を強いられる。指針などによれば、職員の参集、関連情報の収集や周知のほか、環境モニタリングや避難の準備が必要になる。

 避難の準備で対象になるのが、原発の5キロ圏の高齢者や妊婦ら。搬送先や輸送手段の確保も求められる。

◆警戒本部を約5時間半で「廃止」 何を急いだのか




 規制庁によると、警戒事態に該当するかの判断は同庁が行う。今回のケースでは、志賀町で震度6弱以上を観測した2回とも警戒事態に認定し、原子力規制委員会・内閣府原子力事故合同警戒本部が設置された。

 ただ警戒本部は1日が約5時間半、6日が約40分で廃止された。この間、原子炉の「止める・冷やす・閉じ込める」の機能や使用済み核燃料の冷却状態を確認したという。

 富山大の林衛准教授(科学技術社会論)は「志賀原発に異常はないとしつつ、変圧器の油漏れや電源喪失などの情報がどんどん出てきた。規制庁は異常の把握を途中でやめ、『大丈夫でしょう』と決めたように見える。なぜ本部を急いで廃止したのか。信頼性を失う判断ではなかったか」と疑問を呈する。

 「情報が錯綜(さくそう)すれば自治体の混乱を招きかねない。不具合の原因が究明できていないので、いつ危険な状態になるか分からない。規制庁はきちんと地震の影響をチェックすべきだった」

◆石川県「国からの指示が特になかった」



 国もさることながら気になるのが、志賀原発を巡る地元自治体の動き、特に石川県の対応だ。

 志賀町出身で社民党県連代表の盛本芳久県議は「県は北陸電力の発表を追認するだけで、原発に関する独自の情報発信がほとんどない」と不信感を示した上で「タブー視されているかのようで、県の動きが見えないことに不安を感じている」と嘆く。

 実際のところ、県はどのように動いたか。

 県原子力安全対策室によると、元日の地震発生の約45分後、「事故現地警戒本部」の設置を国から文書で要請される直前、県独自の判断で拠点の志賀オフサイトセンターに職員2人を派遣した。地域防災計画では震度5以上なら全職員登庁と定め、担当者は「すぐに県庁の受け入れ態勢をとった」と説明する。




 その後、北電から安全性の情報提供を受けながら、周辺の空間放射線量を測る緊急時モニタリングの準備を整えたが、道路の陥没や隆起が相次ぐ中で様子見に徹した。担当者は「初動の迅速さ」を強調し、原子力災害対策指針が定めた通りの対応を説明。「規制庁と相談しながら対応を判断していた」とのことだった。

 ただ、5キロ圏の高齢者や妊婦らの避難準備は、立地町の志賀町に呼びかけていない。「国からの指示が特になかった」(県危機対策課の担当者)ためという。

◆地震に原子力災害が加わると「対処できるレベルをはるかに超える」

 志賀町によると、警戒事態で避難準備する対象者は少なくとも233人(2023年11月時点)が該当し、5キロ圏で生活する住民の約7%を占めている。実際に避難となると、震災対応と並行した動きが求められる。



 今回の地震でこうした原発対応に追われた県と志賀町に対し、盛本氏は「災害対応は本当に大変だった」とねぎらいつつ「原発の様子が気になる県民は多い。余震の際には『原発は大丈夫か』と不安が募る。もっと情報を集約してほしかった」と注文する。

 警戒事態からさらに状況が悪化すると、自治体などの負担がはるかに増す。

 避難を強いられた住民の誘導、避難者の体に付着した汚染の程度を調べるスクリーニング、甲状腺被ばくを軽減する安定ヨウ素剤の配布なども必要に。目の前の災害対応の中、対処しきれない事態が待ち受けている可能性が高い。

 新潟国際情報大の佐々木寛教授(政治学)は「能登半島地震では、水道破裂や道路陥没、電気不通が相次いだが、そこに原子力災害が加わると、単一の自治体が対処できるレベルをはるかに超える」と指摘する。



 「原発事故は十中八九、地震や津波と併発する複合災害。どの自治体も人員、物資ともに不足する」

◆国民を守るための方策が「簡略化」される懸念

 さらに佐々木氏は「原発事故の対応に手が回らないという理由を付け、防護策の簡略化に向かうのが怖い」とも警戒する。

 5キロ圏を例に取れば、今の指針では警戒事態よりも深刻な「施設敷地緊急事態」や「全面緊急事態」で避難の開始を想定するが、労力の問題から「5キロ圏でも屋内退避になってしまうかもしれない」と見通す。

 5キロ圏外でも「頑丈な建物に退避」が原発対応の基本とされかねない一方、今回の地震で建物の損壊リスクが明らかになっている。そんな中、屋内退避で難を免れるのに限界があるのは明白だ。飛散した放射性物質にさらされたり、体内に取り込んだりすることで、被ばくを強いられる可能性が高くなってしまう。

 佐々木氏は「原発が重大な事態に至らなくとも近くに住む人は不安を抱え、外に逃げてもいいか、屋内にとどまるべきか、迷いを生じさせる。それほど原発は厄介な存在だ」と訴える。

◆デスクメモ

 地震や津波の対応に奔走する自治体には頭が下がる。自身や身内が被災した例もあるだろう。彼らに原発対応まで求めるのは申し訳ない。災害時に負担を強い、疲弊を加速させるのが原発という存在。佐々木さんの言うように厄介であり、罪深くもある。そんな原発は本当に必要なのか。 (榊)

Posted at 2024/03/31 08:54:53 | トラックバック(0) | JOURNAL | 日記
2024年01月17日 イイね!

阪神淡路大震災 から 29年 20240117

阪神淡路大震災 から 29年 20240117
阪神淡路大震災

1995年1月17日午前5時46分 発生

兵庫県南部地震

それから29年

その後 新潟の 中越地震や

2007年 の 能登半島地震

2011年 の 東日本大震災

2016年 の 熊本地震

2018年 の 北海道胆振東部地震

など

幾度も 地震 が 日本の国土を襲っている


阪神淡路大震災 は

大都市圏 の 直下型地震 で 神戸の都市部 を 壊滅させるエネルギー が 襲った


都市部の人口密集地 を 襲った ため 多くの人々が 犠牲になり

多くの方々が被災した



同じ直下型地震 ともいえる 今回の

2024 能登半島地震

しかし、能登半島地震 の 断層の移動範囲と移動量は凄まじく、広範囲に短時間で 4m 以上も縦方向は隆起 し 横方向にも動いている

マグニチュード 7.6 ではあるが

それ以上の 地表の破壊だ

能登半島は 陸路の侵入経路が複数ない

とか

高規格道路が十分整備されていない

とか

いろいろ

道路事情 について 言われているが、能登半島の先端にまで 立派な道路を作るか?

需要と供給 の バランスを考えれば 現状が妥当では??

確かに 今回のような 災害時には 貧弱だと思う

しかし、平時ならば 今の道路インフラが貧弱なのか とは言えないと思う

しかも、複数の道路が無い と いう意見もあるが、複数の道路を作るほど 平場の土地が有るわけでもなく

海岸線 の 反対側は丘陵地が迫り拡がる地形

そんな所に 巨費を投じて 複数の道路を作ることは 現実的ではないだろう。

道路を作れば 作るカネ も 必要だが、もっと 大変なのは その作った道路の恒久的な維持管理だ。

道路のメンテナンスや、積雪時の除雪など、道路を作れば終わりではない。

今回のように、自然災害で損傷すれば、補修もしなければならない。

能登半島のように、末端の道路にどれだけの費用が使えるのか?

そう 考えると 残念ですが

能登半島のインフラは、現状のままが適正なのだろうと思う。

能登半島はこれから 真冬の寒さと積雪が暫く続く


阪神淡路大震災 の 厳しい現状があったとは思うが それより さらに厳しい と 思う

2024 能登半島地震

阪神淡路大震災 の 経験 教訓 をいかしつつ 能登半島の被災された皆様に 希望の灯火が見える日が一日でも早く来ることを願わずにはいられない。


そんな 事を思う 1月17日 という 一日であった。











Posted at 2024/01/17 16:07:47 | トラックバック(0) | JOURNAL
2024年01月04日 イイね!

篠山紀信さん 死去 83歳 20240104


篠山紀信 日本を代表する 写真家

特に人物写真 の 数々 は 誰もが目にしている

篠山紀信 の 腕が凄いのか

それとも

その場数 が 篠山紀信 を 育てたのか

多分 仕事が 篠山紀信 を 育てたんのだろう

オリンピック アトランタ 大会 の 有森裕子 の 撮影秘話 を 聞いていると まあ 運もあるんだろう

しかし、その運を モノに出来るか どうか が 腕なのだろう



合 掌




写真家・篠山紀信さん死去、83歳 「週刊朝日」や「激写」シリーズ 1/5(金) 5:00


三島由紀夫さんやジョン・レノンとオノ・ヨーコ夫妻、山口百恵さんら、60年以上にわたって時代を象徴する人物やものごとを撮影し、「激写」シリーズなどで知られる写真家・篠山紀信(しのやま・きしん、本名・紀信=みちのぶ)さんが4日、亡くなった。83歳だった。妻は元歌手の南沙織さん、次男はタレントの篠山輝信(あきのぶ)さん。


東京都新宿区の真言宗の寺に生まれ、日本大学芸術学部写真学科に在学中の1961年に、広告制作会社ライトパブリシティに入社。広告写真を撮るかたわら、造形的なヌード写真をカメラ雑誌などに発表して注目された。68年に独立。 青年誌「週刊プレイボーイ」にヌード写真を発表するほか、70年代初期からは月刊「明星」の表紙で、時代のスターを次々に活写。さらに、青年誌「GORO」での市井の人から芸能人までを撮った「激写」シリーズや、「週刊朝日」の表紙連載「女子大生」シリーズなどを、各種週刊誌や女性誌、美術誌に発表した。 70年には、作家・三島由紀夫さんに依頼され、自決直前の姿を撮影。三島さんを介して出会った歌舞伎俳優・坂東玉三郎さんを写した72年の写真集「女形・玉三郎」で芸術選奨文部大臣新人賞。76年には国際美術展「ベネチア・ビエンナーレ」に参加し、建築家・磯崎新さんの構成で「家」シリーズを展示した。 海外でも精力的に撮影した。磯崎さんとコンビを組み、古代エジプトから米ニューヨークの名建築を写した「建築行脚」シリーズ(80年)、シルクロードを走破した「篠山紀信 シルクロード」シリーズ(81年)などを刊行。80年代、複数のカメラを連結して同時撮影し、パノラマ的な風景を見せる手法「シノラマ」を編み出すと、都市から山の噴火まであらゆるテーマに取り組んだ。 写真集を中心とする著書は300冊を超える。91年には、俳優の樋口可南子さんをモノクロで撮影した「water fruit」、トップアイドルだった宮沢りえさんを被写体にした「Santa Fe」とヌード写真集を立て続けに刊行。後者は写真集としては異例の165万部に達し、社会現象になった。 2012~19年に全国巡回した個展「写真力」は計100万人以上が来場。21年には東京都写真美術館でも大規模個展「新・晴れた日 篠山紀信」を開いた。 朝日新聞社
Posted at 2024/01/05 07:55:06 | トラックバック(0) | 墓標

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