
「前説」で 書いて来ましたが、 さて 「大喜利」 です。
停まる と 魅せる は 相容れない処なのでしょうか?。
この設問に対して 当方は、御互いが御互いを 「尊重」
し合えれば それぞれの 「心意気」 を 判って居れば。
御互いに 「懇意」 な関係が築ける「筈」と思って居ます。
何故なら、 双方 「共」 に 「車が好き」 だからです。
「いがみ合う」 必要も 全く 無い 「筈」 なんですよね。
では、何故!?。 「時々」 意見の衝突が起こるのか?。
其れは、「御互い」に 「相手」に対して 謂っては為らない
「罵り」 を 謂って しまうからでは ないでしょうか ?。
其れは、 停まるを突き詰めて居る側が 魅せる 側に
「装飾」 を 「無意味」 な事と 謂う事であり、 魅せるを
邁進している側が 停まる側に 「金が無い 貧困な弄り」
と、 謂う事でしょうね。 何故!? 相手を嘲笑するのか。
何故 !? なんでしょう ねぇ (困惑)。
別に、 「集まって居る」 友達同士や 仲間内で 口頭で
相手に聴こえない環境で云う合うのは 結構 なんですが、
どぅゆぅ 「訳」 か、 相手に聴こえる様に 謂う人が居る。
... で、 謂われた相手が 「騒ぐ」 と 相手を「選んで」
怒声を投げたり、圧力を掛けたりする。 発端が「自分達」
の 「失言」 なのに、 自分達が 謂うのは 「OK」 で、
相手側から 謂われると 「ムカツク」 とか、 どぅ いった
「了見」 なのかと 。 そもそも、 相手を 蔑んで 笑える
意識が 「捩れて居る」 と 自己分析を しないのだろぅか。
何が 「優れて」 何処が 「劣る」 かなんて、誰にも公正な
審判は下せないのに。
内容に関らず、 豊富な資金を投入した方が 「勝訴」 なら、
話は 「別」 ですが ね (笑)。
「格下」 を 見立てて 扱下ろさないと 自分の 「弄り」 に
自信が保てないのでしょうか?。 当方は単純に 「其処」が
判らないんですよね。 相手を笑う 「暇」が在ったら、もっと
自分を 拠り 「高み」 に昇らせる精進を すれば善いのに。
他者を 笑う為に 弄って居る訳では 無いでしょうに ね 。
初めの時は、 停まる 至上だったけど、 色々 遣って診て
魅せる の魅力に ハマって、 魅せる を 始めたい。逆に
魅せる から入ったが、 停まる の 淡々とした 素朴さに
好いな と 思った。 そぅいった 「行き来」 は 出来ない物
なんでしょうか ?。 本当に 「其処」 が 判らない と。
今、 車を取り巻く環境は、新規の自動車運転免許発行数の
減少が在り、 其れに比例して 「弄る」 人口も 大きく減少
する傾向に在ります。 停まる とか 魅せる とかに固執して
身動きが取れなく成り、閉店して往く店舗を 当方は 幾つも
観て来ました。 今は 停まる メィン でも、 新規の来店が
在り、要望が在れば、 魅せる も遣る。 今は 魅せる
ONLY でも、 偶には 停まる も 遣っておきたい。其れが
「商店」 たる SHOP の存在意義だと当方は思って居ます。
SHOP は 「上客」 の 「喫茶店」 では 無いんですよね。
ステッカー 一枚でも、 メーター 一個 でも、 拠り 多く広く
大勢の来客の予定が立てられないと、店主の 生計や人生の
行く末が見通せないんです。 きっかけは カタログ 一枚
貰いに来た「だけ」でも、 ゆくゆく 大きな注文を入れてくれる
かも知れない。 今、 憩いの場所に成って居る SHOP の
繁栄を望むのならば、 車弄り の市場を維持したいのならば
相手を笑って遠ざけるのでは無く相手の意志を汲み採って尚
自分達の 「拘り」を 篤く語って 引き込むべきではないかと。
そして、 相手を笑う行為を続けて往くと。 そぅ 遠く無い内に
廻りまわって、 自分の 「居場所」 が無く成る可能性も示唆
するべきでしょうね。
1週間に 1回 「1万」 の 「鯛」 を買ってくれる 3人 の
「上客」 よりも、 今は 120円の秋刀魚を 2本 毎日来て
買ってくれる 一般客が 15人 居た方が 店側は 安定した
経営が出来るんですよね。 そして、 今は 「秋刀魚」 でも
月一で 赤身の鮪や 鯵の開き を買ってくれるかもしれない。
そういった 一般客を威嚇し 追い払う行為をする 「上客」に。
魚屋の店主は 「決断」 を 下す 「かも」 しれないんですよ。