2011年3月11日に発生した東日本大震災で、児童や教職員、住民ら320人が避難し、2階まで津波が押し寄せた荒浜小学校。
津波による犠牲を再びださないため、その校舎を震災遺構として公開し、津波の脅威や教訓を後世に伝えていきます。
中には思い出したくない方もいらしゃるかもしれませんが風化させてはならない事なのでご容赦ください。見学者入口とエレベーターの案内があります。
立入り可能範囲と展示スペースがあり正面からは柵で覆ってあります。
現在の校庭は駐車場として整地されています。私以外にはバスで小学校の社会科見学や大学生が来ていました。閉校記念碑がありました。
校舎の被害状況が酷かったのが1階。ベランダに津波浸水高のボードが
屋上は地震発生から避難、津波の来襲、救助された場所です。校長先生が地震発生時には屋上へ避難を訓練で実施していたので生死を分けました。
校舎東側の2階のベランダの状況でで津波が襲った脅威を知れます。津波と瓦礫の力で鉄製の扉が拉げてます。
4階の展示室で『3.11荒浜の記憶』として上映されている映像は14時46分の地震発生から、27時間後の救出までを当時の校長や町内会長、1年生・6年生などのインタビュー、消防ヘリの映像も上映しています。
震災前の荒浜の街を再現したもの2014年神戸大学の学生が荒浜地区に住んでいた方々と再現しました。3枚目は海側からですが此れだけの家が流されてしまいました。生活されていた方の名前を見ると胸が詰まります。
階段や廊下が展示スペースになっています。
津波のしぶき跡が残る天井。水位があった箇所、天井や床が剥がれている状況
廊下と天井が剥がれた様子と車や流木が教室になだれ込んでいる状況のパネルの展示。
二宮金次郎像が倒壊して8カ月後に100m離れた場所で発見されたそうです。津波の威力に驚かされるばかりです。
体育館の時計⏲が津波が到達した午後3時55分を示して止まっています。
明日への備えとして子供向けの展示として、日頃から災害への備えと発生時の対応を学ぶ事が出来るスペース。簡易式のトイレもありました。
災害への備えは個人では限界はありますが、私もポータブル電源や非常食等の準備を再確認しました。
ご覧いただきありがとうございます🙇
Posted at 2024/02/08 07:51:37 | |
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