
ロドスタを2年に一度の
お勤め仕様にしました。
といっても、ロドスタの場合
車高調整と純正の タイヤホイールに
かえるだけなのですぐなのですが。。。
相変わらず洗いにくい
XXRのホイールを
はずしたついでにまた中まで
キレイに洗ってました。
あのホイールにかえてから
こまめに洗車するようになったよーな気がします。
そして、私は年に一度(くらい)のゼータク

生筋子を買ってきて、塩水につけてバラバラにしてしょうゆ漬け

半日ほど漬けたこれを

こーやって食べるのがとんでもなく好きなのです。
実はいくらには忘れられない思い出があります。
9歳の時に口の中にピンポン球大の腫瘍ができて入院した事がありまして
全身麻酔で5時間もかかる手術の末に「生検の結果を見ないと良性か悪性かわからない」と
ガンである可能性を伝えられた両親はきっと生きた心地がしなかったんだろうなぁと
今になってみるとわかるのですが。当時の私はそんなことは知るよしもなく。
術後しばらくは流動食で食事が止められていた私。
数日がたって、ヨーグルトやプリンのようなやらかいものならいいよと言われた時期に
夜遅くに仕事を終えて病院に来てくれた母が自宅から持ってきた自分の夕飯はいくら丼。
ごはん食べられない9歳の子の目の前でなんちゅーもん食べようとしてんのよって
今なら母にツッコミたくなるくらいです。
まー、当然のごとく。。。どーーーしてもどーーーーしてもどーーーーーーーーーしても
いくらが食べたくて仕方なくなってしまった私。
いくらはプリンくらいのやらかさだから大丈夫
いつもよりしっかりイソジンでうがい(ものすごい濃いのでやらされてました)するからとか
そりゃもうダダをこねにこねまくりまして
母親が困り果てて。。。。。そして、くれたのです
いくら3つぶ
「今までに食べたものの中で一番おいしいのは何?」って聞かれたら
迷わず「あの時のいくら」って答えは決まっています。
術後は全身麻酔の後遺症みたいなのがひどかったし
口の中が痛くて何日もまともに話せなかったし
それなりに辛いことがたくさんあったんですが
1989年っていうと、世の中バブリーなかんじだったので
自動車整備業の実家も車が売れて売れて仕方のない時代。
両親ともに忙しくて、夕飯はいつも8つ年上の姉と2人で家族6人分の食事を作っていたし
家事もほとんど姉とやっていたような気がするなぁ。。。
と、いうような環境だったので入院した途端に大人がみんな
寄ってたかってかまってくれるもんだからうれしくて仕方なかったなぁ。
なのでいくらを食べると入院していた頃を思い出して、しあわせな気分になるのです。
もちろん腫瘍は良性でした。
再発率30%とか言われた気がするけど、結局その後なにごともなく健康に暮らしています
あーーー、今思い出した。。。。
術後なかなか全身麻酔から目が覚めなかったらしい私。
目をさましたときはベッドのまわりに私の家族や、かわいがってくれたおじさんおばさんが
ぐるーっとベッドのまわりを囲んでみんな心配そうにのぞきこんでて
あんまりにもみんなひどい顔してるもんだから、「大丈夫」って言ってあげたいのに
口の中がとんでもなく痛くて、しゃべることができなくて
なんとかみんなを笑顔にしたくて、点滴の入れられた手でピースした覚えが。
こんなにも私はみんなに思われているんだって子供ながらに感じたんだった
おじさんもおばさんも、ママも死んじゃったけど
でも、あんまみんなに心配かけるようなことばっかりしてられないなぁ
安全運転だな。。。。いつもどおり安全運転ww
Posted at 2015/10/04 20:31:22 | |
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