JR西日本 嵯峨野線(山陰本線京都口)
保津峡駅(京都市右京区)
亀岡から京都市内に流れる保津川、この渓谷にある
無人駅です。
秘境駅と紹介されることもありますが、京都市と亀岡市の途中にある駅で、幹線路線の駅です。
無人駅とは言え、そういう幹線路線の駅ということもあって、
自動改札機や券売機の備わる普通の駅になっています。
ただ、珍しいことと言えば、この駅は
完全な川を渡る橋の上の駅だと言うことです。
かつては保津川沿いを沿って走る
単線の路線でした。
保津川下りで有名な保津川ですが、山間の深い渓谷を急流が流れており、ここを下る観光船と、
山の中腹を練って走る山陰本線旧線が有名でした。
※写真中央、保津川下り観光船と山の中腹を走る旧山陰本線、現嵯峨野トロッコ線
現在は旧線は春季から秋季まで運行される
嵯峨野トロッコ線(嵯峨野観光鉄道)として使われています。
廃線を利用したトロッコ線の全国での先駆けとして有名になった路線です。
中古車両1両しか買えない費用と廃線の線路だけJRから渡されて、何かやれと本社から出された鉄道マン(初代社長)が、手作りで作り上げて大成功させた観光鉄道としても有名です。
※現在の嵯峨野観光鉄道「トロッコ保津峡駅」 旧国鉄保津峡駅
この旧保津峡駅は、
国鉄時代は登山客やハイカーでシーズンの休日は満員になるほどの駅でした。
長距離の単線区間であったこの区間では、重要な
信号所(上下離合場所)としても役割を持っていました。
昼夜間を問わず、ここで上下列車が離合しました。
普通列車の場合は長い時間停車します。
夏場などは冷房の装備されていない列車でも
、保津川の水の音と山の涼しい風で気持ちの良い駅でした。
静かな山の中の無人駅に、川の音と停まっているディーゼル列車のエンジン音だけ。
10分ほど停車する列車多かったので、時には一旦列車から降りて景色を眺めたりもしました。
しかし、無人駅で遠隔操作で信号切替をしていたための
ポイント切替事故などもあり、近代化の一つの
複線電化、高速化には、この線はトンネルの大きさなどから電化は無理で、川沿いを走るために大きく迂回していることなどから
廃線とし、
新線を建設することとなり、この保津峡駅も廃止とされました。
※旧保津峡駅下り線に停車して上り列車を待つ京都発園部行き普通列車(キハ47系)
離合待ちにホームに出て撮影した唯一の当時の写真です
昭和63年8月14日撮影
この線を複線化する際に、山をトンネルで貫いて直線の線形に改良したため、駅を設けられるのが山と山の間の川を渡る場所しかできず、このように橋の上の駅になったのです。
※新線開業を伝えた当時のKBS京都テレビニュースから
旧駅とはかなり距離がありますが、この駅を主要駅とする
水尾地区からは近くなりました。
実はこの地は個人的なゆかりの地でありますが、
柚子の産地として密かに知られています。
山間の集落で、今は過疎が進み、小学校も10年ほど前に休校となりました。
しかし
愛宕山への登山ルートとして、メインの清滝ルートよりもなだらかなこともあり、知る人は知る登山口でもあります。
新線になってから、駅前にロータリーができるなどして整備され、水尾集落の方々の
通勤通学の駅として大変便利になっています。
最終まで普通列車が頻繁に往来しています。
夜間は真っ暗なトンネルから轟音が響いてきて、橋上駅に停まるまで大音響が渓谷に響く、山間の無人駅独特な瞬間ですが、駅ややってくる電車が街中と変わらない風景。
ちょっと相反する世界が混在する変わった駅でもあります。
京都や亀岡から車で行くには狭い山道を長距離走る必要がありますので、林道走行得意な人は良いですが、狭い道の苦手な方は電車利用をお勧めします。
最後にこの駅を通過してきた電車の写真をオマケで。
※113系電車が普通列車に使用されていた当時。今は湖西線の一部や草津線で見られますね。
※現在主力で走っている221系電車。元々東海道本線の新快速用でしたが、これを4両ぶった切りで使っています。
※183系特急電車。特急が183系時代の貴重な写真ですが、正面側はピンボケ失敗で念のため取っておいたケツの写真だけ残ってます。
※10月に引退となった381系国鉄色特急電車。その最終列車「きのさき19号」。
撮影した動画からキャプチャ。
いい絵だったのに最後トンネルの返し風でカメラが動き・・・orz
・写真は過去に撮影したものを含みますので、現在の姿と異なる部分が存在します。
・保津峡駅は駅構内からバーベキューをするために川に降りる人が絶えなかったため、構内への直接進入路が閉鎖され、現在は改札口を通る必要があります。入場券は販売されています。
Posted at 2016/02/11 22:57:03 | |
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