時に1908年。
『世界の自動車王』・ヘンリー=フォードが生みだした『T型フォード』によって、人類は、当時、極めて高価であった自動車を、一般の大衆にも手の届くものとすることに成功した。
日本では、1955年にトヨタが、日本初の市販車である『クラウン』を開発。そして、1958年に富士重工が開発した『スバル360』によって、大衆自動車社会が現出することになった。
以来、日本国内外問わず、多種多様の形式、方式の自動車が開発され、市販されて来た。
世界初の大衆車が発売され、自動車が民衆にとって当たり前の存在となってから100年が経過する現在においてすら、優れた技術でありながらも、諸々の事情によって、決して世間にとっては馴染み深い存在であるとは言い難い自動車が存在する。
それがミッドシップ、そして4WDである。
~ミッドシップとは~
ミッドシップレイアウト(midship=船体中心)とは、自動車の内燃機関であるエンジンの、搭載方法、設置形式の一つである。
通常ならばフロントボンネット部に収められるエンジンを、前後のタイヤの中間に、具体的には運転席と助手席の、シート後方にエンジンを収める形式である。
ミッドシップの利点については各種様々な意見と、そして賛否両論が存在するが、自動車のパーツ中、最も重い重量物であるエンジンを4つのタイヤの中心近くに収めることにより、慣性マスを縮小し、マシンの運動性、回頭性、ゼロ加速の向上を可能とする、とされる。そして、ミッドシップのほとんどは、MR。すなわち、後輪駆動形式で採用される。
MRの歴史について、古くは1934年にフェルナンド=ポルシェの開発した『アウトウニオン・Pワーゲン』に始まると言われる。
その後、1947年にクーパーがF3において開発したMR車が、好成績を収めたことにより、レースの世界において爆発的に普及したと言われる。
そして今では、レースの最高峰である『F1』を始め、フォーミュラカーの世界において、MRが標準的なレイアウトとなり、『ミッドシップこそがスポーツカーの至高であり理想である』というイメージが定着することとなった。
市販車の世界では、1962年に発売された『マトラ・ジェット』に始まり、フェラーリやランボルギーニなど、いわゆる高級で高価、そして高い走行性能を持つ『スーパーカー』がその形式を踏襲することとなった。
しかし、一般乗用車の世界では、MRは日常における利便性の問題から、その形式が採用されることはほとんどなく、また、その形式を採用する自動車のエクスクルーシヴ性により、あくまで、一般人にとってミッドシップとは手の届かない『高嶺の花』。非現実的な存在としてすら受け止められている。
~4WDとは~
4WDとは、FRやFF形式などのように、4つのタイヤのうち、2つだけを駆動させる2輪駆とは異なり
自動車の4つのタイヤ全てを駆動させる形式である。(※、現在ではAWDという呼び方も浸透しつつある)
4WDの利点と言えば、その走行安定性にある。
4つのタイヤ全てを駆動することにより、安定して強力なトラクションを得ることが可能となり、舗装路はもちろん、何よりも未舗装路でこそその真価を発揮する。
そのことから、4WDは、『ジープ』に代表される荒地走行を目的とした自動車に採用されることが多い。また、その雨や雪等の環境下においては、2輪駆動を大きく凌ぐ走行性能、全天候性能を持つことから、レースの世界で採用されることも決して少なくない。
この4WDを世界的に普及させることになったのは、1980年に登場した『アウディ・クワトロ』であろう。
1981年。世界のありとあらゆる環境を駆ける『公道のF1』こと『世界ラリー選手権・WRC(World Rally Championship)』。当時、FRを始めとした2輪駆動が主流であったラリーにおいて、1983年。アウディは、世界初のフルタイム4WDシステムである『クワトロ』を実装したマシンを投入。他のチーム、マシンを寄せ付けない、圧倒的な強さを見せつけた。
以降、ダートを中心に走行するラリーにおいて、『もはや4WDでなければ勝てない』という考えが常識となり、4WD技術の開発競争が始まったのである。
4WDは、ミッドシップレイアウト程マイナーな存在ではないが、日常での使用ならば2輪駆動で十分であることを始め、開発コスト、車両重量、価格、燃費等の問題で、一般乗用車で採用されることは、決して多いとは言えない。
~ミッドシップと4WD~
ミッドシップと4WD。異なるレースの世界でのスタンダード技術であるこの2つ。
ならば、スポーツカーの理想である『ミッドシップ』。そして、ラリーカーにおける理想である『4WD』。この二つを組み合わせたら、果たしてどうなるのか?
自動車に少しでも知識のある者ならば、一度は考えることである。
そして実際、その2つを併せ持った自動車も存在するのである。
ラリーの世界において、1984年に登場した『プジョー205 ターボ16E1』を皮切りに、『フォード RS200』、『ランチア デルタS4』……など、数々のミッドシップ4WDが世界を席巻した。
そして、WRCの世界だけでなく、ミッドシップ+4WDの組み合わせは、ロードゴーイングスポーツカーの世界にも拡大していくのである。
1984年 プジョー205 ターボ16E1
1985年 プジョー205 ターボ16E2 (画像の車)
1985年 ランチア デルタS4
1986年 フォード RS200
1990年 ランボルギーニ・ディアブロ
2003年 ランボルギーニ・ガヤルド
2001年 ランボルギーニ・ムルシエラゴ
2005年 ブガッティ・ヴェイロン
2007年 アウディ・R8
WRCを走るラリーカーから、時速400kmを超えるスーパーカーまで。ミッドシップ4WDは様々な姿形で存在する。そしてそれらに特筆すべきは、いずれも『市販車』であることである。
だが、それらはいずれも外国製のスーパーカーばかりである。
ならば、日本ではどうなのか?
日本の国産メーカーでは、古くから日産やトヨタがWRCに参戦し、近年では、三菱とスバルがその覇を競い合っていた。
また、スーパーカーにおいても、古くはトヨタ2000GT。平成に入ってはホンダのNSX、そしてレクサスLFA……。
日本においても、世界トップクラスの性能を誇るラリーカー、そしてスーパーカーが存在し、また、数多くのミッドシップ車や4WD車が実際に市販されている。
そんな中で、果たして、日本発の『ミッドシップ4WD』と言うクルマは存在すらしなかったのだろうか?
いや、決してそのようなことはなかった。日本にも『ミッドシップ4WD』は存在した。その名は
トヨタ・『222D』
日産・『MID4』
いずれも、ほぼ完成の段階まで開発が進みながらも、激動の時代に飲み込まれ、遂には市場で販売されることの叶わなかった、幻の日本初にして日本発のミッドシップ4WDである。
『公道最速のマシン』となったかもしれない『222D』
『NSXに成り替わるスーパーカー』となったかもしれない『MID4』。
今回の備忘録では、この2つのクルマについて、80年代、90年代の文献、資料をもとに、その歴史をまとめていきたいと思います……
おまけ
よく考えたら、日本でも、普通にミッドシップ4WDは発売されておりました。
こんなクルマです
↓
アクティです
そう、軽トラです。
……もう! これだからホンダって……ホンダってやつは!!
よく考えたらホンダのZとかトヨタの初代エスティマとか、三菱のiとか出て来ましたけど、フロントかリアのミッドシップかよく分からんですし、もうこの際、その辺は
無かったことに
しといて下さい……