
『ついカッとしてやった。今は反省している』
まぁ、殺人事件を起こした人間が最初に述べる反省の言はこんな感じですね。要は「計画性はなかった」ことと「反省している」ことを強調して刑を少しでも軽減すべく弁護士がアドバイスしたらこんな発言に収束するんでしょうよ。
……法律の事なんてワカンネ
まぁ、それはともかく。先日のセラビデオすり替わり事件ですよ。近所に時々出没するフリーカメラマンのT氏によると「嫌な……事件だったね……」とかは別に言ってはおりません。
ただハッキリしていることは。霧島がついカッとして別のベスモを落札してしまったぐらいです。それがコレです。
『ベストモータリング・1995年4月号』
……コアなベスモファンなら、この号数を見た瞬間に思わずこう漏らすでしょう。
『嫌な……事件だったね……』、と(爆)
そう、このベスモは伝説の回。
日産自動車 日本自動車界に潜む闇を暴きだした社会的問題作。いわゆる“ドリキンブチ切れ事件”の号なので御座います。
まぁとりあえず、この号に収録されたのコンテンツをご紹介すると……
・鈴鹿&筑波で勝負! R33GT-R No.1復活バトル!!
・ランサーエボリューションⅢ VS インプレッサWRX-RA STi
・328万円 RX-7 typeR バサーストを試す!
・N1レーシングカー対決! R32GT-R VS R33 GT-R
てな内容となっております。
つまり、270psのランサーRSエボリューションⅢと、275psのインプレッサWRX STiバージョン。それにRX-7 typeRバサースト。そして、満を持して登場した新型GT-R=R33型スカイラインGT-Rの徹底テストというわけです。
中でも、日本モータースポーツ界を震撼させた32型GT-R。それが遂にフルモデルチェンジして登場した33GT-Rの登場はとりわけ注目されていたのでございます。
ベストモータリングでは早速、恒例の筑波バトルを敢行。エントリーカーとして選ばれたのは……
・日産 R33型スカイラインGT-R V-spec
・日産 R33型スカイラインGT-R
・ホンダ NSX-R
・スバル インプレッサWRX STiバージョン
・三菱 GTO-MR
・三菱 ランサーエボリューションⅢ
・トヨタ スープラ RZ
・マツダ RX-7 バサースト
……だったのですが。ランエボが不調の為、筑波バトルに参加出来なくなってしまい。その代わりにドリキンこと土屋圭市が、自身が購入したのマイカーのR33型GT-R V-Specを持ちこんだのでございます。
それが、悲劇の始まりだったのでございます……
バトルは7ラップ。この周回数は、重量ハイパワーターボのスカイラインGT-Rにとってはブレーキや油温等、不利な条件でもあったワケでございます。
しかしながら、バトル序盤から、清水和夫がドライブするV-Specと、黒沢元治のドライブするR33とがワンツーでのぶっちぎり体制。その後も1分4秒・5秒台をコンスタントに連発!
それに比べて土屋圭市のマイカーR33。それもV-Specと来たら……GTOに離されスープラに千切られ、散々な道中。
『スープラって、そんなに速かったっけ? それとも俺のGT-Rが遅いのかな…… (4周目で)フェードはして来るし、油温は130度だし……』
同じV-Specどころか、ノーマルのR33にも3秒近く離され、ほとんどビリ争い。このあまりの事態に、33R V-Specと33Rでワンツーを走る清水和夫、黒沢元治までが“何故か”沈黙してしまう。
……やがて。戸惑いは疑念。そして怒りへと変わる。
『カァーツ、痺れるなぁ。インプレッサ買おうかな!(バトルは)自分のクルマだから、やーめた。冗談じゃないですよ』
用意されたGT-Rと土屋圭市のGT-Rとでは“何かが違う”のは誰の目にも明白であった。
そして、土屋圭市は遂に事実上の戦線離脱……
バトル後のインプレッションでも、キャスター全員に漂う重苦しい雰囲気。皆が一様に渋い顔で下を向く中、副編集長にしてキャスターの一人である大井が『土屋さんのGT-Rは調子悪そうだったけど?』と、空気を読んでわざと空気の読めない発言。重い空気が凍りつきましたね……
怒り奮闘。悔しさ爆発の土屋圭市を、あの黒沢元治が肩を叩いて励ます始末。
最後まで涼しい様子で、1分5秒台で走り通した清水和夫のGT-Rに対し、土屋圭市のGT-Rはラストラップ1分10秒台……。
何故に同じGT-Rでここまでの差がついたのか?
答えは簡単。筑波バトルに登場した33Rと33R V-Specは日産自動車が用意した“広報車”だったのである。
日産によるとこの“広報車”にはN1用オイルクーラーとニスモのブレーキパッドが装着されている、とのことであったが、日産の“広報車”と、土屋圭市の“市販車”を比べて見ると、車高が市販モデルよりも低くなっていたりキャンバー角に変更がなされていたり、ブーストが1kg/cm以上かけられていたり、と。明らかなチューンドV-Specであった。
土屋圭市は、
『俺はこう言うクルマ(日産の提供する広報車)を使ってテストして。それが良かったから自分でも買ったし人にも(33GT-Rを)薦めたんだよ。このままでは納得行かないね。本当の性能はどうなのか、俺は市販車だけでバトルをやらせてもらいたいね』
憤然としてこう述べたのである。
なお、この時のことは、元・ベストモータリング編集長である正岡貞雄がネットにて連載していた回顧録“ベスモ疾風録”にもとりあげられており、ダイジェストでこの時のバトルも視られます。
その少し前にもベストモータリングでは、日産自動車提供の33型GT-Rと黒沢元治によるニュルブルクリンクアタックを敢行しており、その際に使用されたGT-Rに関しても黒沢元治はこう述べている。
『最高に興奮したR33スカイラインGT-Rの性能。しかし、悪気があったかどうかは別として、その評価の為にメーカーから提供されたマシンは、我々のテストフィールド用に仕上げられた、言わばスペシャルチューンであったようだ』
『(ニュルブルクリンクを走ったマシンも)、簡単に言えばプロトタイプ、タイムアタックマシーン。エンジンパワーはニュル最終ストレートで290km/hが出たぐらいだから400psオーバー!? ボディ剛性もサスペンションもタイヤも別モノ』
『今回の筑波用に用意されたマシンは、排気系がすごくよく、軽くエンジンを吹かしただけでも生産車との間には明確な差があった。ボディ剛性もロール剛性もしっかり出ており、プレシジョン(正確性)もレスポンスも1ランク上! 荷重変化が少なく、荷重移動に要する時間も半分くらい。広報車と生産車で評価に差が出なかったのは安定性とコントロール性ぐらいだ』
そして最後にベストモータリング内封の冊子“リトルマガジン”では『新しいGT-Rに対する皆さんの御意見をお待ちしております。』と締めくくられている。
……明らかに日産自動車が公表している以上のチューンが施された“広報車”33GT-R。逆に言えばそれだけチューンすれば33GT-Rは“恐ろしく速い”ということになるが、各自動車雑誌で検証に使われているGT-Rが、市販車とは大きくかけ離れたチューンドだったとしたならば、『羊の皮をかぶった狼』どころかまさに『羊頭狗肉』である。
筑波でのバトルを受けてベスモは鈴鹿サーキットを舞台に、市販車とチューンショップ製作の32GT-Rと33GT-Rを借り集め、それにNSX-Rを加えた再バトルを開催。
そのバトルを終え、土屋圭市はこう語った。
『でもね、NSX-Rと一緒に走っていて、2周までは同じに走れても、すぐにブレーキはフェードして苦しくなるわ、油温は上ってくるわで、ついて行くのがやっとの状態。でも、基本的にはR32GT-Rに比較したら、全然いいクルマに仕上がっている。だから、あまり誇大広告みたいなことはしないで、R32に較べてこんなによくなった、でいいじゃないか』
黒沢元治も
『圭市も言うように、クルマは日産がつくっているんだけども、スカイラインは、我々みんなが、ファンが育ててきたわけだ、大切にして。そこのところを日産に考えてほしかったな』
と、述べた。
翌号である1995年5月号では、正岡貞雄編集長がベスモに映像で登場し、今後の方針についての演説を行った。
『4月号のGT-R NO.1復活バトルは大変な反響をいただきました。ご覧のように、アンケート葉書がすでに3000通を越えております。なかでも、その50%が広報車に関する、いろいろな感想でした。ショックだったとか、これまでの筑波でのバトルデータはなんだったのか、という怒りともいえる疑問の声まで頂戴しました。われわれは、新しいクルマを、いち早くテストして、その結果をみなさんにお届けできるよう頑張っておりますが、これは各自動車メーカーのご協力なしでは、できません。そこで、4月号発売のあと、各自動車会社の広報責任者にお目にかかり、これからは正しく広報車を提供していただきたいとお願いしました。みなさんも気持ちよく、ユーザーの立場にたった、正確なクルマを提供したい、とお約束をいただきました。スタッフ、ドライバー、みんな自信を持って取り組んでいます。われわれの仕事に注目していただきたい』
……正岡編集長は『編集は黒子であるべき』との信念の元、ベスモ本編にはシグナル係として登場するぐらいで、常に裏方に徹して来た。編集長の座を退く時も、有望株であった大井副編集長を、“黒子”の考え方から後任編集長とはしなかった程であった。
その正岡編集長が自らベスモに登場せねばならなくなったほど、この事件は大きかったのである。
そして以降。ベスモは真っすぐな主張を貫き通すべくコマーシャルのコーナーを撤廃。その空いたスペースは視聴者のために費すことを決定。広告収入はなくなるが、販売収入の伸びで相殺すべく方向を転換した。
なお、全くの余談であるが。正岡編集長がコメントした翌月。95年6月号の内容は、日産に対する皮肉なのか当て付けなのか。『R33 GT-RチューンドBATTLE』と銘打った、チューンドR33GT-Rのワンメイクスバトルであった……
……ベストモータリング。そして各雑誌でその性能を見せつけたR33GT-Rは結局、拡幅されたボディサイズも相まって“不人気車種”となってしまう。さらに、最後のスカイラインGT-Rこと、R34GT-Rの登場も影響し、いつしか“駄作”“失敗作”の烙印を押されてしまうのである……