2013年11月25日
良かったので、感想その2です。
以下、パンフレットのネタバレ(監督が書いた罪と罰の説明文)も
あります。
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月の父王はまるでゲームをさせるかのように、かぐや姫が失敗すると
リセットしてやり直しを許します。父王にとっては地球での生活は
「教育用ゲーム」なのです。
父王は現代女性の甘い父親の比喩でしょう。嫁に行け(大人になれ)
とは言いません。赤ん坊に戻したぐらいですから。
一方、翁も教育パパに徹してかぐや姫をせかします。
こちらは女性が生きにくかった時代の古風な厳しい(でも実は甘い)
父親像でしょう。嫁に行け、大人になれと、少女の心は無視します。
そう思ったのは、
赤ん坊のころの軒下に落ちる場面と、姫が飛翔して海に落ちる場面。
赤ん坊のころの翁と童の呼びかけ合戦と、姫を童の歌声で引き留め
ようとする場面など、(翁と童)が(月の父王と地球の命あるもの)
にスケールが違いますが対応しています。
女性が自由に生きられるはずの現代社会に不満をもってしまったの
が「罪」だとすれば、「罰」は女性が不自由な時代の体験です。
そう、この映画を観ている現代女性が主人公なのだ、と思うのです。
ではどう生きるべきなのかは、観た女性それぞれがこの映画で感じ
取ったことが答えだと言えるでしょう。
Posted at 2013/11/25 01:13:15 | |
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アニメ | 日記
2013年11月24日
良かったです。
映画館では若い女性たちが泣いてました。
ネタバレとは言えないけど、一応、以降の文章は鑑賞後に
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この時代の仏教(鎌倉前)の位置づけを正確に捉えなおしてます。
月からの使者は(現存しないが平安時代に完成され広まったとされ
る)原典でも神道(そもそも当時は現在の神道の形ではない)と
決まってない。それによって罪(当時の仏教で罪とされること)の
意味がはっきりするのです。
古文の専門家は今回の話を絶賛。(現存する版から)数か所あえて
変更することによって時代背景を正確に捉えなおしているとのこと。
富士山も登場する帝の後日談は鎌倉以後の後付け。
さらに、平安時代当時の原典にある「罪」の解釈が、この映画の
通りだとすると、自然に高畑監督が「月の世界」は何と同じだと
主張したいのかがわかります。
現在の日本でしょう。
「罪」とは女性にとって何不自由のない現代日本での生活に不満を
抱くことです。「罰」として平安時代に行かされた。
映画を観に行った女性たちが主人公の映画です。
(調べてみると、高畑監督自身が、現代女性が竹取物語の世界に
行くとどうなるかを描きたいと言ってました。)
Posted at 2013/11/24 09:22:38 | |
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