
📷:海軍記念日の艦霊さんたち★
オリジナルです♪仲間内の会報に依頼されてたもののA-10病(笑)にかかってすっかり忘れてた〰️!
下書き無しの一発描きだし30分突貫製作だし、いつも以上に残念な仕上がりだけど記念?にアップ(^^;)(;^^)
梅雨入りして一段と怠いこの季節、皆様如何お過ごしでしょうか?
ティアナは岩国のフレンドシップデーからひと月以上が経つというのに興奮冷めず(これは本物のA-10に会ったことが大きいかな)みんカラブログやネットサーフィンしてはその時の記事を読み耽る日々。
ってか、コメントやメッセージで分かったけど前回のA-10様の為の記事を多くの方が最後まで読んでくださったようで感謝感激です。・(つд`。)・。
正直、あれは8割の人が途中で読むの止めると思ってたので
うん、あれを最後まで読んで下さるのはA-10様くらい…さて馬鹿なこと言ってないで本題に。
今回の記事は海軍記念日の式典か美保航空祭、行った方のレポートのつもりでしたが、結論から言うとどちらも行けませんでしたε≡≡ヘ( ´Д`)ノ
それは先月半ばのこと。
「三笠さんも大事だけどやっぱり親孝行しなきゃな~」と式典を諦めました。
今年の美保は豆大福と草餅…じゃなかったC-2とC-1が曲技飛行するらしいし、毎年恒例の海鷲さんと荒鷲さんを拝みに行くかと思っていると母から連絡が📲
「ブルーインパルス来ないから今年は止めておきます」
マジで〰️!Σ( ̄□ ̄;)
と嘆いていても仕方ないので
母のガイド役がないなら自分も別に(ブルー目当てじゃないし)良いかな?代わりに東郷神社にでも…
あ!だけど、ブルーが来ないならブルー目当ての観客は脱落するだろうから来場者は少ない?ゆっくり売店巡り出来そうだし、ある意味狙い目かも♪
それなら1人でも行くかと思い立ったのが航空祭前日。
買ったきりだったA-10本をベッドで読んでいるといつの間にかウトウトo(__*)Zzz
起きたのは11時!?
6時起床予定だったから寝過ごしたってレベルじゃないΣ(´□`;)
中々、起きられないティアナの目覚ましはどんな人でも飛び起きる(と思う)スツーカのサイレンなんだけど、あれが全く聞こえない程に爆睡してたのか?
はぁ…今から行っても間に合わないよな~と我が家の御祭艦に銘酒"同期の桜"をお供えしてZ旗掲げた後は
お仲間は今頃、艦上パーティかな。
今年も東郷さんのお孫さんは来られたかな?
美保の方は来場者多かったのかな?
等と考えつつA-10本読んでたら1日が終わった…
レポートを楽しみにしてくださった皆さんスミマセン。代わりの記事を書きますのでm(__)m
さて、何を書こう。
"5月27日は海軍記念日であり日本海海戦の勝利に日本中が湧いた日"
というのはドラマの影響もあって知られるようになったと思うし、ここで取り上げなくても良いかな。
毎年似たような話になるし、ずっと書きたかった27日前後のアッツ島守備隊玉砕の話は去年書いたし。
それなら今年は━━知らない人が多いと思う出来事だけど、海軍マニアの方にはタイトルで9割以上ネタバレしてるという差が激しいあの話を書こう💡
本当は5月31日にアップする予定だったけどA-10病にかかっていたらこんなに遅く…あ、A-10様アベンジャー向けないで💦
ティアナがこの話を知ったのは中学時代の国語か日本史か道徳か、そこは忘れたけどざっくりした内容を学びました。
当時は戦史にそこまで興味はなく「海の中で艦が爆発して死ぬなんて怖い最期だな」とズレた感想しかなかったけど、今思うとこのまま戦史に埋もれていくのは惜しいし皆にも知ってほしい。
そんな気持ちで今回お話しますのは特殊潜航艇によるシドニー港攻撃についてです。
これは1942年5月31日に行われた連合国の主要国イギリス連邦間の通商破壊を目的とした攻撃で、標的はシドニー港に停泊中の軍艦でした。
伊21、伊22、伊24、伊27、伊29の5隻の潜水艦が参戦し、その内、伊22、伊24、伊27の3隻は特殊潜航艇甲標的を搭載していました。
簡単に言うと特殊潜航艇とは小型の潜水艦のことで、甲標的は日本海軍で最初に開発された特殊潜航艇です。
甲標的の任務は潜水艦に搭載され水中から発進して港湾や泊地の敵艦の攻撃です。
31日の夕方、シドニー沖から伊22、24、27の搭載艇が港へ向けて発進しました。しかし、伊27搭載艇はシドニー港入り口で防潜網に絡まり自爆、2人の乗員が殉職されました。
伊24搭載艇はシドニー港侵入に成功し、発見した米海軍の重巡洋艦シカゴに魚雷を2本発射。
両方はずれたのですが、1本は岸壁に係留されていたオーストラリア海軍の宿泊艦クッタブルの艦底を通過した後、岸壁に当たって爆発。クッタブルは沈没しました。
その衝撃で停まっていたオランダ海軍の潜水艦K IXも損傷。
伊24搭載艇はシカゴから攻撃にされていたため潜水艦に帰投する途中で沈没。
伊22搭載艇が港内に侵入したときには警戒が厳しくなっていたためにオーストラリア海軍の艦からの爆雷攻撃により自爆し、2名が殉職されました。
これが戦闘の流れですが、本当に知ってほしいのはここからです。
自爆した2隻の特殊潜航艇は1942年6月4日、5日に引き上げられました。
シドニーに派遣されていたイギリス海軍の司令官、ジェラード・ミュアヘッド=グールド海軍少将は9日に乗員4名の海軍葬を行い、戦争真っ只中でしたが敵である日本の軍人に儀礼を尽くし弔ってくださいました。
42年の2月から始まっていた日本軍のオーストラリア空襲のためオーストラリア国民に批判されたにも関わらずです。
その上、葬儀後にラジオで4人の勇敢さをオーストラリア国民に訴えられました。
戦死した日本の軍人に対して海軍葬を行うことに反対されているのは知った上で行った。我が国の軍人も勇敢な死を遂げたときは同じように讃えたいというような内容です。
その後、4人の遺骨はシドニーのオーストラリア公使に手渡され1942年10月9日、公使とともに日本へ帰還します。
12月8日、彼らは山本五十六連合艦隊司令長官に感状を与えられ翌年、ニ階級特進しました。
さて、引き上げられた特殊潜航艇ですがオーストラリア国内を巡回展示された後、1943年にオーストラリア戦争記念館に展示されることになりました。
最初は屋外に展示されており、破壊されたりペンキを塗りつけられるなど悪質な被害に遭いました。
先の空襲もあり、反日思想というか日本に良いイメージがなかったのが爆発したのでしょうか。
これらの事件のためかは分かりませんが80年代、館内での展示に変更されてからは治まったようです。
そして現在ではシドニー港攻撃のパネルと共に戦争遺産として扱われていますが、個人的には日本に還して靖国神社で回天と共に祀ってほしいなと。
オーストラリア国民にしても見たくないだろうし。
慰霊の心は海自に受け継がれており練習艦隊のシドニー港への寄港時は慰霊祭を行い、去年の5月31日には日本とオーストラリアによる追悼式典が開かれました。
英霊方も喜ばれているでしょう。
以上が特集潜航艇とシドニー港攻撃のお話です。
皆様の心の片隅にでも残していただけると嬉しいですね(^ー^)
では、このシドニー港攻撃を謳った軍歌で締めくくりたいと思いますが数年前に1度聞いただけなので(歌詞を見た訳じゃなく)違う箇所があるかも。
ご存知の方は訂正箇所があれば教えてくださいm(__)m
散るこそ良けれ桜花
敵を求めて必ずや
撃ちてし命は潔く
南の海に果てなんと
神風遠く出で征ける
嗚呼、我が特殊潜航艇
次回予告:そろそろ終戦記念日イベントのイラスト製作に入りますので去年と同じく2ヶ月程小休止m(__)m
その後はいよいよ天山話書けるかな…?