![房総珍走紀行 三芳編 「桜花」を偲ぶ 房総珍走紀行 三芳編 「桜花」を偲ぶ](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/045/342/627/45342627/p1m.jpg?ct=5da3be0d4880)
台風接近中の三連休。
せっかくの休みなのにバイクに乗れないのは辛い。
でも、早朝なら乗れるだろうと、いつものR127を館山へ。
実はどうしても行きたい場所があって、この三連休に行かなければと思っていたんです。別にいつでもといいと思えるのですが、やはり今日行くべきだったことは後でわかりました。
毎年8月と言えば終戦にまつわる話が多かったのですが、ここ数年は完全に過去のものとして扱われる事が多くなりました。
もちろん私も戦争を知らない世代ではありますが、過去の過ちを後世に伝える意味では、そういう話というのは大事なことだと思っています。
平和ボケと言われていますが、かつての戦争も知らないうちにあんな事になったのですから。
そんなわけで、房総の戦争遺構を回っているのですが今回は三芳に来ました。
なんでこんな房総の山の中に来たのかと言えば、ここには終戦前に突貫工事で特攻兵器の基地が造られたのです。
ロケット兵器「桜花」の基地です。
桜花の基地は秘匿とされ、最近は滋賀県や比叡山にもあったことが知られますが、熱海、和歌山の田辺地区、南房総、静岡の大井地区、三重の朝熊山、神奈川の武山地区に地上発射カタパルトが造られました。
特攻兵器ですから人の命を使って戦果を上げる自殺兵器です。
実際には一度も使われることなく終戦を迎えていますが、そんな時代だったことを学び、平和について考えることも必要なのかと。
※一式陸攻搭載型は実戦で78機が出撃、52機が未帰還となっています。
それと、学生の頃に読みふけった松本零士氏の「ザ・コクピット」という漫画に登場する「桜花」のイメージをずっと引きづっているんです。
なんか少しでも「桜花」に触れられそうな気がして(汗)。
しかし、住所がわかっていても全く場所がわかりません。
近くで畑に精を出す年配の方に聞いてみると、
「あっちの道を30m左に入ったらずーっと上がるとあるっぺ」
と、言うので獣道のようなガレ道を走って山の中腹で行き止まりだったり・・・。
どうも、地元の人も聞いたことはあるけれど興味ないし、あの辺りだという程度の認識みたいでした。
1時間ぐらい探し回って隣の部落まで来てしまい、草取りしている私と同年代の女性に聞いてみると
「知ってるけど私は場所わかんないから、旦那にバイクで案内させるから待ってて」
と、お休み中のご主人を引っ張って来てくれました。
軽く挨拶して、あそこを訪れる人がいて嬉しいと、原付で先導して案内までして下さいました。
ここに軍がイキナリ来て特攻基地が出来た経緯や、兵舎が二棟のお粗末な基地だったこと。この基地跡を知る人がどんどん少なくなっていることなど、地元ならではの話で盛り上がりました。
初めて米兵が日本に上陸した地点が館山で、赤山の海軍地下司令部もNPOが入るまでは、酷い有様だった話、同じ特攻兵器の「深洋」の基地など、年配者ならではの生きた話を聞くことが出来て大満足でした。
カタパルトは私有地で猪柵の中にあるので、立ち入ることが出来ませんでしたが、こんもりとした草が生い茂っている場所にあります。
この場所って丘の裏側にあるので、道からは全く見ることが出来ません。
探せなかった理由が地元の人が歩いて入るような場所だったからです。
それも道という道はありません。
草を分け入って入らないとダメでした。
つまり案内して下さった人に出会わなければ、きっと行くことが出来なかったと思います。だから今日だったわけです。
今度は草が枯れる季節に見に行ってみようと思います。
ちなみに帰りは事故渋滞に遭って・・・ズブ濡れで帰宅となりました(笑)。
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Posted at
2021/08/07 17:32:52