
上ノ国町は、北海道内では歴史が残っている最古の地域で、開基800年を超え
1100年代から記録があるようです
北海道には、アイヌ民族も住んでいましたが
文字を持たなかったために歴史が明らかになりません
和人の歴史にアイヌが出ている部分しか
上ノ国は、北海道の和人の歴史の始まりで中心となった土地で
勝山館と言う、大きな砦兼住居が調査、保存されています
この勝山館は、のちに松前城を築き北海道統治を徳川家康から任された武田基廣の五代前の武田信廣が築きました
因みに武田基廣は、その前に豊臣秀吉にも拝謁して朱印状を賜っています。
では、この館は誰から守り、誰と戦ったのか?
それは、アイヌです!
しかし、アイヌの平和な生活を館を作って進出していったのは、今の本州に住んでいた、特に武人です!
東北地方での闘争に破れなどし、今の北海道で再起を図るため逃れてきたり
まあ、その敗れた武人が館を作って周りを統治して
15世紀に12の館が出来ていた
そして、北海道の特産品で東北や中国などと交易して栄えていた
1457年アイヌとの戦いで有名な「
コシャマインの戦い」が起こり
12の館のうち、10が破れ、残った一つが上ノ国にある花沢館
その後、花沢館は海岸近くの平地で防御には不適だったので
山を利用した要塞、ここ勝山館を作った
前後の入り口は一つずつ
こちらは裏手の入り口ですが、橋になっていて、下はガケ
表門も橋
なんか見ると三途の川にかかっている橋に見えます(・_・;
しかし、橋の先に真っ直ぐ道が見えるのですが
堀が掘られていて、真っ直ぐには進めません
少しずれて、渡を行く構造
自然を利用した山城、砦、要塞とはこのようなものかと感心させられました!
コシャマインの戦いは、アイヌの子供を和人?内地人?が、些細な事で刺し殺した事に端を発します
おそらく、日頃から和人に不満を持っていたのが爆発したのでしょう
酋長コシャマインが立ち上がり、館を襲いました
和人は鉄砲、アイヌは弓
アイヌは、鉄を扱う技術を持っていませんでした
日頃から、侮蔑して接していたのでしょう
アイヌは、和人の記録に残る大きな戦いを何度もしています
少し読んでみると、そのほとんどが
和解と称して、呼び出し
リーダーを騙し撃ちして、戦いに勝利した記録になっています(; ̄ェ ̄)
アイヌは何度も、同じ手で最後に騙されてリーダーを失い敗れているのです
アイヌは人がいいというか
縄文時代からのそのままの生活を続けていた、自然を愛する人々
和人は、アイヌにタバコの栽培を禁止するなど
そして、タバコは鮭とか特産品と交換する
アイヌと交換する品が限られていたのか
でも、とにかく、やっぱり、和人がアイヌから摂取していた事になるよね
お盆前に、奈良時代の東北が蝦夷と呼ばれ、朝廷の進出に抵抗した物語
アテルイを主人公とした「火怨」を読み終えたけど
奈良時代には、東北地方が蝦夷と呼ばれていて、蔑まれ、朝廷側の圧倒的な武力を背景にやりたい放題
それに対し、
アテルイを中心として徹底抗戦をしたとされる
東北地方が、朝廷に抗って、その後、源頼朝の奥州侵攻などを経て、東北地方は日本の中心に溶け込んでいった
それから、数百年後、今度は、東北の武人が北海道のアイヌに、かつて自分達の祖先が朝廷側にされたような行為をする
日本の歴史を見て、日本人も侵略をして、今の日本が成り立っている
近代の日本兵とは別とも思えるけど
人間は本質的に、武力を背景として権力を持つと権力の拡大を図る。
やはり、日本、日本人も、歴史から人間の本質として、そうだと忘れてはならない。
また、残念ながら武力なしには、かつての東北の蝦夷やアイヌのように、蔑まれた扱いを享受させられることになる
それを打破するには、武力による徹底抗戦しかない
国と言おうか民族と言おうか?
それを守る、徹底抗戦する気構えが人間の尊厳の源に思える
無理を押し付ければ抵抗されると思わせないと対等に生活する権利が保てない
今も昔も、バランスの上に平和は保たれている
過剰な軍備は要らないが、徹底抗戦を見せつけぐん、同盟は必要
来年のお盆休みでのテーマ決まりました(^_^;)
明治維新(; ̄ェ ̄)
開陽丸もあるし、ここ道南は旧幕府軍が最後の戦った場所です
みんカラ書くと、とても理解が深まりますσ^_^;
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Posted at
2015/08/16 09:28:34