• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ホワイトコウキのブログ一覧

2023年03月31日 イイね!

盛者必衰のことわり

年度末を迎えて思考

大航海時代はスペイン、ポルトガルが特に現在の南アメリカ大陸から金などを収奪して世界征服並みの繁栄をしていたが現在ではワインの輸出しか産業がないような国に衰退してしまっている

産業革命のイギリスも英連邦で過去の盛者ぶりがわかるが、今はアメリカと比較すれば明らかに国力は小さい

そのアメリカもなお世界一の経済大国だが限りが見えてきた

中国も成長の勢いが弱まっている

それでは、盛者はどのようにして造られてきたか⁉️

まずは、他国を侵略して収奪、植民地政策

いままで挙げた全ての国は、侵略して領土を広げるような形で、そこから富を得て繁栄した

もう一つの盛者は、我が日本国に代表される技術をもって原料を加工し輸出し相手国の製品を打ち負かす

安くて高品質な製品を作り喜んでもらえる善意の行動でもあるが

アメリカの自動車産業の衰退、さびついたラストベルト地帯に変わるように、優れた工業製品を輸出される国の産業は破滅するので、その国の労働者からみれば侵略されているとも言える

アメリカで一人が1日に生産する車は14台で、イタリアのアルファロメオは7台wの倍の生産量だったのに、日本はそれを遥かにしのぐ一人当たり40台も生産しかも壊れ難い高性能

日本の工業製品が圧倒的に世界へ広まっていき、戦後の最貧国から世界第二位の経済大国へ発展したが、現在は衰退の一途である

日本の過去でも考えてみると、北前船は蝦夷地からの収奪、植民地政策
国内の話だし他国侵略とは違うが構造的にそういう事
蝦夷地では産業を起こさず、なので日用品は蝦夷地に持っていけばどんどん売れ、それと引き換えに蝦夷地から豊かな海産物を運び繁栄した

北前船の寄港地である庄内藩酒田の豪商本間家は「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」と歌われる程の財力をもった

基本的に常に侵略行為して行かなければ盛者を維持出来ない‼️

このままの控え目になった日本を維持していけばいいだろうと、日本国民の皆が思っているから衰退していくのである

日本の戦国時代をも考えてみて、自分の領土を維持しようとだけ思った豪族は、攻め込まれて衰退する

戦国時代は常に領土拡大でせめぎ合い、それで勢力を維持していた

これが世のことわりである

会社でも、常に開発しシェアを伸ばす努力をしていかないと衰退する

では、これからの日本はどうすればいいのだろう

戦後は工業製品で世界に勝つんだと繁栄した

その後は、足るを知るのムードで「もうタンスには物が一杯」と言われたり、オラも買った「清貧のススメ」の本が売れたりww

それも悪くはないと思ったりするが

それでは、衰退するに決まっている❗️

では再度、日本が繁栄する戦略をどうするかはオラは知らないww

知るはずがない(⌒-⌒; )

どん底落ちてから這い上がるパターンもある
しかし出来れば、その前にこのような歴史をみて、教訓にして

盛者は必衰するのだが

どん底の悲劇、これは恐らく悲惨な大量の死を意味する、そうなる前に這い上がる

日本には、日本人には他国よりも優れた独自の技術もある
農業分野でさえ

海洋も含めれば、資源大国とも言われる

あからさまには侵略しないで、しかし積極的に世界を侵略していく

言い方が宇宙人による侵略みたいな恐ろしい感じになるが

植林も競わせて育てる
人も競いあって育つ

自然の摂理がそうなのである

悪い面ばかり気になるが、良い行いを広めるような事も一種の侵略である

常に絶対的に積極的に何かで、売るとかでも侵略していかなければならない

また、侵略を食い止めなけばならない

現実の世界は、いつも見方を変えれば戦国時代である
Posted at 2023/04/01 00:21:55 | コメント(1) | トラックバック(0) | 新日本 | 日記
2023年03月29日 イイね!

蝦夷地江戸幕府防衛の続き

蝦夷地江戸幕府防衛の続き第1次幕府直轄時前後の警備の中心は津軽藩、南部藩であったが、連年のロシアによる露寇を受け、更に幕府は1807年会津藩、仙台藩に蝦夷地出兵を命じた!

会津藩
それにより第1次幕府直轄時の会津藩の守備範囲は松前、宗谷、利尻、樺太

会津藩は本営を樺太のクシュンコタンに置き、アイヌとも交流して食べ物のヒントなども得ていたが、津軽藩同様病人が続発

ヨーロッパ戦線の影響で樺太へロシアからの脅威がなくなったので幕府より引き上げ命令、信頼関係ができていたアイヌの人々は「船を追いかけて海岸を走り回って別れを惜しんだ」と言う

まるで、太平洋戦争のパラオ共和国ペリリュー島の秘話はこちら→🇵🇼を思い起こされる

そのペリリュー島関連のブログよりかつて「次世代の党」改め「日本のこころ(を大切にする党)」の比例代表区に、西村真悟先生と共に保江邦夫先生と矢作直樹先生も名を連ねていたのか〜今まで気がついていなかったww

戻って、第2次幕府直轄時は会津藩は標津に元陣屋を置き、根室海峡沿岸の統治、警備、樺太にも他藩と2年交代で警備についた

標津のは当時高級魚だった鮭でも、他地域の鮭と比べものにならない程に高品質で価値が高くブランドになっていた

会津藩はまた樺太アイヌ同様の交流を積極的にもち共に開拓発展、町の礎を築こうと構想の思いを屏風に描き
alt

互いの文化、言葉の違いを理解するのに「アイヌ語の教科書」を元陣屋の代官南摩綱紀が作成し用いた
まっこと、日本人らしい振る舞いだと思う

幕末藩主松平容保は京都守護職も命じられ、戊辰戦争、白虎隊も戦う国元の危機に1868年引き揚げ、まちづくり構想は明治開拓へ

標津町野付半島には、「会津藩士の墓」がある
alt

仙台藩
東北随一の大藩は第1次幕府直轄時、国後、択捉の警備に入っている

本格的には第2次幕府直轄時に、今はウソポイがある白老に元陣屋を置き、出張陣屋は広尾、厚岸、根室、国後、択捉
alt
山川海の天然の要害を生かし、堀を作り、土を盛り頑丈な砦を半年で作り、射撃訓練場まで備わっていた

仙台の塩釜神社、愛宕神社を勧請し国元と同じく年中行事、お祭りも行い400人ほど白老に住んでいたアイヌにも、酒やご馳走、衣服などが振る舞われた

昆布養殖など漁業や産業振興にも努め、東蝦夷地の警備にあたっていたが、新政府軍には諸外国から日本の領土を守っていたのに賊軍とされ蝦夷地の藩士たちも追討された

現在は仙台藩白老元陣屋跡と資料館も開館されているが、ウソポイとは裏腹に何度も白老に通っていますが、陣屋跡などがあるとは知りませんでしたww
alt

秋田藩
まず秋田の名称が微妙(⌒-⌒; )
実は鎌倉時代前から蝦夷地を支配していた安藤氏、室町時代に秋田に戻り秋田氏を名乗る
しかし江戸幕府が出来て徳川家康は、佐竹氏を常陸国から秋田へ国替えし、以後佐竹氏が秋田藩を統治、秋田氏が現在の茨城県北部常陸の国へ( ̄ェ ̄;)

秋田藩も本格的には第2次幕府直轄時から増毛に元陣屋を置き、出張陣屋は宗谷、樺太(冬は増毛で越冬)
第1次幕府直轄時は津軽藩が陣屋を構え警備していたところ

増毛には元陣屋なる交流施設がある事は知っていたが、それが秋田藩だったのか〜
alt

昨年の145の乗り納ツーリングで増毛に寄ってきましたが、今シーズンも道路にはもう雪もなく解禁、明日から乗り始めようかと思っていますが、最高に楽しいツーリングコースだったので、数ヶ月以内に再度増毛方面ツーリングに行って、この陣屋資料施設や台場等にも寄って来たいと思います❗️

庄内藩
これで最後の藩になりますが、第2次幕府直轄時に東北6藩で一番真剣に開拓に取り組んだとの評価があります

元陣屋は浜益(ハママシケ)に置き、出張陣屋は留萌、苫前、天塩、領地としても与えられ、天売、焼尻島も含まれ警備もしていた

秋田藩との警備位置関係が微妙だが、浜益と留萌の間にある増毛が秋田藩なのは、増毛の元陣屋は越冬施設としての役割が大きかったせいだろう

職人や手厚く準備金と給付金をつけての移民も継続的に募集して10箇所の村が出来たと言う
庄内藩の酒田は北前船航路の拠点であり生活用品や資材は船で比較的に容易に運ばれたようである
alt


領地としてもどうにか軌道にのってきたのに、江戸では武力で幕府を潰すことを狙った薩摩藩が放火・略奪・暴行騒ぎを起こし、江戸市中警備の役目も担っていた庄内藩は薩摩藩邸を焼討ち
庄内藩も新政府軍の討伐の対象になり、江戸詰藩士の引き払いと800人余りの藩士や農民がいたが蝦夷地総引き揚げを決定し陣屋は終焉した

蝦夷地防衛をしていた諸藩が、新政府軍に謝罪文を出し降伏交渉したが、奥羽越列藩同盟として戦う羽目になる

外国から日本を守っていた諸国に内部から戦闘を起こすとは、薩摩藩を中心とした新政府軍の本当の目的はなんだったのであろうか⁉️
Posted at 2023/03/30 22:40:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2023年03月28日 イイね!

知られていない蝦夷地防衛

知られていない蝦夷地防衛近頃はすっかりシマエナガに押されたりもして、かつての北海道のマスコット的存在の流氷に乗ってやってくるクリオネはほとんど聞かなくなりましたねww

そう言えば前回シマエナガを見たと投稿したのですが、ただのエナガと言う大きさが同じで日本全土に住む鳥がいると知ってしまい( ̄ェ ̄;)

目の後ろが黒かったので、ただのエナガだった可能性が濃厚(; ̄ェ ̄)
alt

そんな小鳥もいたんかいww
まだまだシマエナガを探す日々も続きそうです(⌒-⌒; )

さて、江戸時代の1800年に伊能忠敬が蝦夷地測量に向かったのは、蝦夷地周辺に出没する異国船の脅威に対して江戸幕府が日本国の領土を守るために地図の作成の必要性からであったが、忠敬の目的は意外にも別にあった事は以前のブログで紹介もしているが

今回は江戸時代末期に蝦夷地防衛のため、武士が多数派遣されていたと言う、ほとんどの日本人が知らない、北海道民でさえほぼ知らない事実

この事実を知れば、北海道各地への旅行、ツーリングが一層意味深いものになるだろう

しかしその実態は、江戸時代の防人

蝦夷地の厳しい寒さで命を次々と落とす、九州での日本防衛よりはるかにまさに命懸け

まずは1800年伊能忠敬とも交流をもった、「八王子千人同心」の文武両道の優秀な100名が蝦夷地警護と開拓を申し出て派遣された、のちに30名追加し4年後の1804年に解散

その間の死亡者は32名

入植先は蝦夷地でもまだ温暖な雪の少ない太平洋側で勇武津(苫小牧)と白糠、松前藩下での「場所」などがありまだ比較的に便の良いところであったが

蝦夷地に近いと言うことで、津軽藩と南部藩には松前藩の加勢が命じられたりしていたが、1807年蝦夷地を江戸幕府直領になる頃から本格的に蝦夷地防衛を命じらる

1807年から一度松前藩が蝦夷地に復領した1821年までを第1次江戸幕府直轄、その後日米和親条約締結後の1855年から幕末までの第2次江戸幕府直轄

第1次と第2次で地域を変えながら、東北6藩(津軽藩、南部藩、会津藩、仙台藩、秋田藩、庄内藩)に警備と領地も割り当てられた

津軽(弘前)藩
第1次江戸幕府直轄時は、まず函館の千代台に元陣屋(城郭)を築き、松前藩の梁川へ国替え後に松前へ移る

そして警備範囲が日本海側の熊石から宗谷を周って知床手前の斜里までの広範囲

稚内の百年記念塔にある北方記念館の説明によると宗谷に230人武士が派遣され士気は旺盛だったが、にわか造りの陣屋は堪え難い寒気でほとんどが病気になり一冬で32名以上死亡ww増毛で越冬するようになる
alt
斜里詰め100名は更に悲惨な事に、流氷がきて海が凍るなんて聞いてないよ〜alt
一冬で100名中72名が寒さで体力を奪われ病気になり死亡ww

帰国の船が利尻を周り小樽の忍路に着船、高島に駐在していた組頭の勧めでそこから陸路で函館へ、最終的に帰郷できたのは、わずか17名、特に戦闘したわでなく北海道の寒さとその備えが衣食住出来ていなかったゆえに

斜里町には津軽藩士殉難慰霊の碑があり、この縁で斜里町では津軽から「弘前ねぷた」が伝授され開催されているようである
alt

因みに弘前ねぷたは、青森ねぶたと違う(; ̄ェ ̄)
「ぶ」と「ぷ」も違う( ̄ェ ̄;)

第2次江戸幕府直轄時には、第1次は津軽藩と次に紹介する南部藩が警備の中核であった無謀な広範囲から狭められ函館周辺と日本海側は江差から積丹神威岬まで、出張陣屋は寿都に置かれた

規模は3270坪、武道場まで13棟を津軽から大工棟梁を迎えて建設、弁慶岬には烽火台を立て、山道を開削し町の人たちに読み書きや剣道を教え寿都近郊の開拓にも貢献した

南部(盛岡)藩
蝦夷地隣接藩として、津軽藩と共に第1次江戸幕府直轄前後から蝦夷地警備を命じられる
元陣屋は函館山ロープウェイの麓に粗末な建物だったと言うww
今も「南部坂」として地名が残っている
alt

第2次江戸幕府直時も第一次と同様な太平洋側の警備で、函館の元陣屋、新渡戸稲造の父、十次郎らの視察で出張陣屋は砂原、長万部、室蘭

室蘭の出張陣屋があった所は今は陣屋町、史跡として保存もされていて「とんてん館」で南陣屋資料を展示している

alt

縄文土偶の「かっくう」が発見されたエリアの砂原には、第1次江戸府直轄前からまず津軽藩が勤番所を置き、第1次江戸幕府直轄以降は南部藩が、函館市民のなまりは面白いほどに感じるが、砂原のなまりはそれを遥かにしのぐレベルで東北弁の置き土産か(⌒-⌒; )

残りの4藩は次回の紹介へ続くww

特に人気は無いブログだと思うが、オラは北海道各地の歴史を知れるのでとても面白い(⌒-⌒; )
Posted at 2023/03/29 07:06:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2023年03月20日 イイね!

シマエナガ

シマエナガ大好きな大きな自然溢れる露天風呂がある札幌市南区の豊平峡温泉へまた行って来ました!

前回は昨年の夏に日光浴を兼ねて(⌒-⌒; )
しっかり少しヒリヒリする程に日焼けをしましたが、その時の発見はオオシオカラトンボの生態

露天風呂で交尾して、卵産んでましたww

その前は今頃3月にも行っていて、その時の話題はイレズミがありましたが〜

刺青OKの今時珍しい温泉でもあるのかな⁉️

今回もあちらこちらで入れ墨〜

インディアン系と言えばいいのかな、なんか原住民的なネイティブの様な

でも、英語でアイアムソウルみたいに入れていたり
そんな若い人は、未就学の子供を連れていて
悪い人には見えない微笑ましいものでしたが、子供が大きくなってお父さん入れ墨入れて馬鹿だねと言われないのかねww

更には、ガチで赤や緑で炎の毘沙門天などもあり
alt

あちらこちらで入れ墨だと、入れてない一般客より、互いに意識し合わないのかね(⌒-⌒; )

まあ、何でもありの豊平峡温泉ですww

巨大かまくらも有りました〜
alt

車4、5台も入りそう、もっと10台⁉️

alt

除雪した雪で遊んだんですねww

さてさて話題に事かかない豊平峡温泉ですが、今回のメインは、人気急上昇‼️

北海道の代表的存在になりつつあるシマエナガ❕

観光地ではシマエナガのTシャツやグッズが沢山❗️

近年急速に注目度を増しているんだけど、昔から住んでいたはずなんだけど(⌒-⌒; )

北海道民は殆ど知らなかった(; ̄ェ ̄)

実はもちろん見た事もない( ̄ェ ̄)

でも、身近に居ると言うんだ❗️
特に山に行かなくてもww

調べるともうそこら辺にいると、私の生活圏に普通に( ̄ェ ̄;)

それなら見て見たい❣️

シマエナガは、スズメよりも小さくて10g程しかない

シマエナガは、常に動きまわる

鳴き声もYouTubeで確認して


そしてチャンスが突然にすっぽんぽんの時に訪れましたww

そうです、豊平峡温泉の露天風呂に入ってすぐ、スズメよりも小さい小鳥たちを発見❗️

その鳴き声、常に動き回る挙動

もしやシマエナガか⁉️

目を凝らして観察していましたが、どうも確証を得れない

目の後ろが黒く、尻尾も黒い

セキレイぽく見える
alt

でも、セキレイよりも明らかに小さい

後日調べる程に確心してきた

シマエナガに間違いない‼️

シマエナガはふっくら白いイメージだが
alt

3月の中なので、もっと先月や寒い時期ならもっとふっくらしていたのかもしれないが

シマエナガを見た感想は黒い❗️(; ̄ェ ̄)

そしてエナガ、尻尾が長いのだから丸いわけでもない( ̄ェ ̄)

丸ぽくはある

白いイメージの先入観が強すぎると思う
白くふっくらが可愛いので、そのアングルでの写真やらイラストが主流

どうりで見た事ない、見つけられないわけだww

色々な写真を見ると結構黒い
alt

シロエナガではない( ̄ェ ̄;)

クロエナガでもないが、シマ❕エナガなのだ‼️

つまり黒いシマのある黒い柄長なのである❗️

スズメより小さく、セキレイぽいのが、それがシマエナガ(⌒-⌒; )

夏場は茶色も多く混じるようになるから、白いイメージだとより見つけ難くなる
alt


Posted at 2023/03/20 17:52:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2023年03月11日 イイね!

みんカラ:モニターキャンペーン【レインモンスター スプラッシュ】

Q1. ガラス用撥水剤の施工頻度は?(年1回/年2~3回程度/それ以上/降雨時)  
回答: 年2~3回程度
Q2. フロントガラスのほかに施工する箇所があれば教えてください 
回答:サイドミラー
この記事は みんカラ:モニターキャンペーン【レインモンスター スプラッシュ】 について書いています。

※質問項目を変更、削除した場合、応募が無効となる可能性があります。
Posted at 2023/03/11 00:58:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | タイアップ企画用

プロフィール

「EV車がエコだって⁉️

そもそも車を出来るだけ乗らず、歩いたり自転車乗るのがエコでないか❗️

根本の基準が間違っている

まあ、そもそもエコいやエゴで環境を叫ぶ者たちは、エコをする気が全くない輩‼️

最もエコでない奴ら❗️

地獄へ落ちるのは間違いない

田舎で暮らせばエコ」
何シテル?   04/26 21:19
ホワイトコウキです。よろしくお願いします。 アルファロメオ145に乗ったら楽しくて!楽しくて! 気がついたら、こちらにお邪魔していました。 何故か...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2023/3 >>

   12 34
56 78 910 11
12131415161718
19 202122232425
2627 28 2930 31 

リンク・クリップ

福井と岡山 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/03/17 13:37:29
一本死んだ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/11/29 03:10:49
トヨトミレインボーの復活 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/11/29 02:20:24

愛車一覧

トヨタ タウンエースノア ビモの箱舟 (トヨタ タウンエースノア)
20年以上前の、あえて古き良き二十世紀の車を購入しました(⌒-⌒; ) バイクのトラン ...
アルファロメオ 145 紅の彗星 (アルファロメオ 145)
突然、私の前へ彗星のごとく現れました^^; そのような方は多いようですね-_-; いまや ...
BMW S1000RR ミッションポッシブル号 (BMW S1000RR)
2気筒のイタリア車オンリーと思っていましたが 突然の故障で たまたま、映画の広告をみ ...
ビモータ db1 デビちゃん (ビモータ db1)
暫定 軽い ビモータを乗ったら、他が乗れない究極モデル 究極過ぎて、手に負えなかった( ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation