
アイヌ民族、アイヌ文化を守れみたいな活動が急速に目立ってきているけど、その活動をしているのはアイヌではない❗️
これは朝魚羊人が、チョンを守れ、俺たちはチョンだと言っているようなもの(・_・;
アイヌとは、
外からみた人がアイヌ民族の総称としてそう呼んだ
これは、Wikipediaで調べれば、簡単に冒頭に出てくる
アイヌの民族が、私は日本人と言っているのと訳が違う❗️
アイヌは自らを本来はアイヌとは言わない
むしろ、
アイヌと呼ばれるのを嫌い、ウタリと言う言葉をアイヌは民族の総称として使う程に
差別用語的に嫌ってもいたのだ!
本物のアイヌからしたら、昨今のアイヌ文化だのアイヌ民族だのは、差別で腹立たしいもの
それが通用しているのは、つまりもうアイヌと言われる人々が活動しているのではないと言う事の証明
アイヌとは、真っ当な良い人間と言う意味だそうだから、悪い呼び名ではないと思うが、アイヌ自身にしてみれば
他の人に対して使う言葉で、自分自身をアイヌと呼ぶものではない
そもそも、みなアイヌを知らないで、十把一絡げにしている
これはアイヌに限らず、シナでも台湾でも、他の国々の多くは国の中の民族で見なければ実態が見えてこない
だから大抵の国々の正式名は共和国となっている事が多い
その点から言えば、
日本は共和国と名乗っていないから、法律の最も上位の憲法において、単一民族と言って差し支えない訳だ
真相は、今や極々少数のアイヌを使って、在日が一つの民族と言うな俺たちもおると言う意味あいの方が大きいんだろうww
日本分断工作❗️
アイヌを十把一絡げにしていると書いたが、北海道内においても大きく3つや5つには分けられるようだが
近現代において歴史に翻弄されて、北海道へ移住したアイヌもいる
1875年の樺太千島交換条約や1945年の終戦により、樺太にいたアイヌの多くが半ば強制的に移住させられた
800年前にモンゴル軍により、北海道の歴史年表をアイヌ文化期とかえるほど大量に流入したアイヌが大多数であるが
写真とかでは、結構
樺太アイヌの写真が出てくる冒頭の写真もそうだ
写真文化は外国が早く、古い写真の多くは外国人によって鎖国により
日本外の樺太など撮影されたものが残っているからだろう
和人と800年前から、特に400年程前から交易が活性化とWikipediaにも書いてあるが、そんな北海道に住んでいたアイヌと、和人との交流がほぼなかった樺太アイヌと同じ括りでアイヌと認識する事にも無理がある
極端に言うと、北海道人とロシア人を同じ括りにするようなもの
アイヌを叫び、アイヌ利権を主張する人は、本来のアイヌではないと言われている事が、アイヌの言葉一つだけでもわかる
紛れもないアイヌの有名な砂澤さん
「私は日本国民であり日本人ですよ。」と
アイヌの代名詞でもある彫刻
その最も有名なアイヌの彫刻家 砂澤ビッキの長男 陣さん
むしろ、
アイヌ利権の異常性を説いている!
砂澤/陣
昭和38(1963)年生まれ。彫刻家砂澤ビッキの長男。幼少の頃より木と彫刻刀に親しむ。現在はビッキ文様を継承するとともに、ビッキ作品の修復・保全活動、さらに自らも木工製品の制作を手がける他、日本の伝統的染色技法の注染で仕上げる「日本手拭い」の図案も手がけている。ブログ「後進民族アイヌ」でアイヌ利権とアイヌ史研究の偏向性の問題を告発し続けている
アイヌ、アイヌと騒いでいる人々はもちろん、アイヌの人々が呼ばれて嫌うアイヌを使うので、アイヌに対して
アイヌ(良い人)ではない(°_°)
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アイヌ | 日記
Posted at
2020/01/16 09:40:48