現代の日本では、当たり前のことのように思える選択肢の多さ、多様な生き方。
職業、住むところ、結婚、趣味、服装や髪型、持ち物、思想、信仰、宗教。
選択は、個人の自由に委ねられている。
ほんの数十年前の日本、そして現代の日本以外の諸外国を思い浮かべてみても、これほど多くの選択肢があり、自由に選べる現在の日本は、なんと恵まれた稀有な存在なのでしょうか。
この日本で生まれ育ち、今まで生を全うすることを与えられてきた幸運。
この暑い夏の「二つのできごと」から、思いを巡らせ、じっくりと考えてみる。
◇ 二つの対照的な出来事。対照的な日本人。
いつもの年よりもさらに暑く感じる今年の夏。
それでも変わらない、恒例行事。
ご先祖さまをお迎えするお盆の時期。
終戦の日、先の大東亜戦争で亡くなった方々の御霊をお慰めする時期。
故郷を代表して対戦する、夏の高校野球全国大会。
それに加えさらに二つ、この夏だけの、自分にとって深く思いを巡らせる、あの対照的な出来事。
先人が辿り、積み上げ、築いてきた道。
愛しく思い、憧れ、少しでも近づきたい「かつての日本人」の姿。
過去にも、どの時代にも、現代と同じようにいろいろな人がいたことでしょう。
利己主義な人も、個人主義な人も、拝金主義や、悪代官のような人やラスボスも、私の憧れるかつての日本にも、間違いなくいたことでしょう。
でも、自由な選択肢が溢れている今より不便で生きづらい時代であっても、
自身の享楽、快楽のためだけに生きるのではなく、家族、愛する人、大好きな故郷を大切に思い生きてきた人がいました。
それが奪わようとしている危機に際しては、大切なものを命懸けで守ろうとした多くの日本人が、当たり前のように存在していたことは、間違いのない事実です。
おそらく、今、現在の日本に存在している人の割合よりももっともっと多くの素敵な人たちが、つつましく明るく楽しく、協力し合って生きていたはずです。
ご英霊と呼ばれる御霊は、特攻隊などで戦死を遂げた方ばかりではありません。
さまざまな持ち場で、人知れず命を落とした多くの方々の犠牲の上に、今の日本があります。
私と感覚や考えが違う方。お願いですから「ご英霊は美化されている」なんて云わないでください。大変失礼で恥ずかしいことですから。
自分にはとてもそんなことできないと思っていても、その時代を生きた方たちにとっての当たり前の精神や覚悟を貶めることは、許されないことです。
◇ よりよく生きる、とは。
ああ、今日も生きている!
息をしている!
手足、身体が動く!
お日様がでている!
子供たちも元気だ!
地震や火山の噴火も自然災害もなく、変わらない故郷がそこにある!
失くしてしまって気づくこともあるけれど、実際に失わなくても想像することで、当たり前のように「そこにある」ことに感謝できるのです。
『足るを知る』気持ちがあれば、ありがたさが身に沁みます。
人と比べたり過去と比べたりすれば、少なくなってしまったものや失くしてしまったことは確かにあるかもしれない。
でも、健康で生きてさえいれば、また取り戻せるかもしれないし、近づきそれを超えることもできるかもしれない。
たとえお金やモノがたくさんあっても、本当に欲しいモノは手に入れることはできないのかもしれないのだから、ないモノや失ってしまったことを考えて嘆いていても仕方がありません。
それならば、今ある幸せ、幸運を実感しながら、また感謝しながら生活すれば、明るく楽しい気持ちで過ごせるはずです。
自分が楽しくて明るい気持ちでいることで、周りの人にも、そんな気持ちが波のように伝わって、一緒に楽しい気分になれるはず。
「類は友を呼ぶ」で、同じく明るい波長の人同士、共鳴し合って楽しくいられるはず。
「無いモノ」を数えず考えず、「そこにあるモノ」を見つめてニッコリと笑い、感謝できる。
そんな生き方は、小さなことでも幸せを感じることができる、お得で楽しい生き方だと思っています。
そして、自分自身の運命や環境を受け止め、受け入れながら、楽しく明るく生活しようと思いつつ、自分以外の誰かのため、大切な人、大切な故郷のために役に立ちたい、この日本や未来の日本を守りたいと思い、やはり明るく楽しく生きていこうとすることが、「よりよく生きる」ことにつながっていくと信じています。
手にしていないモノに不満を持たず、今手にしているモノをありがたく思う。
マイナスの感情やネガティブな考えばかりしている人の近くにいると、つらく悲しい気持ちがうつってしまいます。
多くの人に影響を与える要人、有名人、スポーツマンなどが、自分自身の快楽、利益を追求するためだけでなく、公の心を持ち、明るいオーラを放ちながら楽しく前向きに生きていらっしゃると、本当にありがたいことだと感謝したくなります。
◇ 自分自身が楽しい!
自分が楽しいから、楽しい!
自分以外の人が愉しんでいる姿を見ていても、楽しい!
ちょっとの違いだけど、ものすごく大きな違いだと思いませんか。
自分が好きなことをやっていたり、美味しいものを食べていれば、楽しい気分になることはよくわかりますよね。
大好きな車に乗ってドライブしたり、大好きな音楽を聴いたり、気の合う友達とおしゃべりしたり、好きな本や漫画、映画などを見たり、季節の美味しいものをいただいたり、美しい景色を見たり・・・。
でも、それだけでなくて、自分の周りの人や頑張っている人の充実した楽しい気持ちを一緒に味わうことができると、楽しい気分がもっと増えるのです。
子供たちの笑顔、家族の満ち足りた顔。
挨拶を交わすご近所さんのいつもの明るい顔、家族旅行に出かける友達一家。
高校野球で試合をする高校球児、応援団、家族の人たち。
僻んだり妬んだり嫉みの気持ちをもたずに、素直に共感して、一緒に明るく楽しい気分になっちゃうのです。
そして、地球の裏側でリオデジャネイロオリンピックに出場し、練習の成果を発揮して活躍している選手たち!
アスリートの皆さんの積み重ねてきた努力の日々に感嘆し、驚き、称賛します。
鍛えあげた肉体が、何もかもを語っています。
どれほどの日々、時間を、己を鍛え磨き上げることに費やしてきたのか。
犠牲にしたことも、我慢したこともあるでしょう。
しかし、自らが進んで選んだ道だから、「犠牲」や「我慢」なんてネガティブな思いは持たずに、進んで受け入れて、自分を信じて邁進してきたことでしょう。
誰かに強要されたものでも、イヤイヤながら取り組んできたことでもないはずです。
きっかけが何であろうと、オリンピックという選ばれた者しか立つことができない舞台にあがるまでには、自分自身の意思で強く、速く、誰にも負けない力を培おうとした努力があります。
肉体を鍛え技を磨き、人と競い合い自分と闘うアスリートのひたむきな姿からは、まぶしいオーラが放たれ、何も語らなくとも圧倒的な存在感があります。
見事に本懐を遂げた方、あと一歩で悔しい思いを残した方、饒舌な方も口下手な方も、どれほどの努力を重ねてそこにいるのか、見ている人に想像させるだけの圧倒的な肉体がそこにはあります。
メダル獲得の有無に関わらず、持って生まれた才能や環境に恵まれていた人、そうではない人。
全ての努力を重ねてきた人や、その人たちを支えてきたスタッフに対して、尊敬と感動の気持ちが湧きあがってきます。
これは、オリンピックの時だけでなく、例えば「プロジェクトX」や「プロフェッショナル」のような、スポーツ界以外でも、有名無名に関わらず各界で活躍している人々を取り上げる番組を見たり、本を読んだり、ネットで知ったりするときにも湧きあがってくる気持ちです。
過去の日本人の、当たり前にように振る舞う気高い精神をうかがい知る時にも、同じ様に心が震えます。
それは全て、自分で選んだ己の道。決して人のせいにはしない道。
その道で正解なのかどうかもわからずに、でも信じて進む険しい道。
自分の技術や肉体を磨き、極限まで到達しようと努力し創意工夫し挑戦する道。
誰かに強要されて仕方なくやっているわけではなく、自らが望んで歩む茨の道。
自分自身の満足のために追求している過程でありながら、そこには応援してくれる誰かのため、家族のため、仲間のため、世の中のためになる要素も含まれている。
それが、日本のため、お国のためという気持ちに繋がっているのかもしれない。
私心を超えて、とてつもない偉業をやってのける人たちに共通する強さと優しさにこそ、それまでの日本人が歩んできた道が見えるような気がします。
いつの日かやってくるその時。
長く困難な心身の鍛錬のあと、力尽き、己の「限界」に向かい合い「引退」を悟る時。
潔く後進に道を譲り、その道を照らし、それまで協力・応援してくれけた方々に報いるように、今度は指導、応援する立場にまわり、相応しい立場で生きていこうと決意します。
そんな方たちにこそふさわしいのが、
「全身全霊」という言葉です。
◇ 『自分を活かす極意』
話はちょっと変わります。
暑いある日の昼下がり。
となりにゴロンと寝転んで「BLUE GIANT」の単行本を読んでいる長男と一緒に、私も本を読み始めました。
ふと、何気なく手に取ったのは、齋藤 孝著 『齋藤スタイル 自分を活かす極意』です。
【目次】
第一章
日本語 PARTⅠ 対談:福田和也 本上まなみ 大槻ケンヂ
第二章
腰・肚、身体
第三章
「できる人」になる 対談:和田秀樹 フローラン・ダバディ
第四章
教育、子ども 対談:福田和也
第五章
日本語 PARTⅡ 対談:ねじめ正一 立川談四楼 塚越孝
第六章
コラム
第七章
読む 対談:林望 鈴村和成 谷川俊太郎
日本語力と身体感覚を磨け
「型」こそ基本。
「ムカツク」隆盛の今「腰・肚文化」復権を
「ムカツク」と「キレる」のメカニズム
10代の意欲を引き出すには
沿いつつ「ずらす」コミュニケーション
日本人はみな上達好きだった
「声に出して読みたい日本語」でおなじみの、現在は明治大学教授の齋藤孝先生。
陽気なオーラに包まれた、なぜかトッポジージョを思い浮かべてしまう齋藤先生のファンです。
この本は、2003年に出版された初版本です。
オリンピックの時期にぴったり。
偶然この本を手に取ったのも、何かの啓示かもしれません。
日本人の身体感覚についても書かれていたことを思い出しました。
相撲の四股、腰や肚、丹田、呼吸法など、昔の日本人が農作業や武道の鍛錬などをしながら自然に鍛えていた身体と精神について、大切さを再認識しました。
ぬかる田んぼに入って、根を張った雑草を抜くとき、身体のどこに力をいれることが肝要なのか、実際に体験して改めて実感しました。
教員をしていた当時から、次第に子供たちはゲームで遊ぶ機会が多くなり、友達と相撲をしたり身体を使ったり触れて遊ぶ機会も少なく、いざという時の胆力もないことが気になっていました。
身体を使って遊ぶことだけでなく、腹式呼吸で大きな声で歌い心を合わせて合唱したり、名文を大きな声で気持ちよく読むことも実践しました。
今、自分の息子たちは二つ学年は離れていますが身体の大きさはほぼ一緒なので、怪我をしないように気をつけながらじゃれあったり相撲をしてよく遊んでいます。
武道に取り組む時にも、一番大切なのことは腰や肚や丹田、姿勢、そして素直に学ぶ真っ直ぐな心だと思っています。
「型から入り、型を出る」という、高校時代に学んだ剣道の先生の言葉を今も大事にしています。
日本人が古来から大切にしてきた身体と心の鍛錬について、自分に厳しく向き合い鍛え抜いてきたアスリートたちの姿を見るにつけ、改めて考える機会となりました。
第一章 日本語 PARTⅠ の大槻ケンヂさんとの対談を、一部ご紹介します。
齋藤 孝著『齋藤スタイル 自分を活かす極意』P41~43 より 一部引用
大槻●もう一度言いたいんですが、面白さの面でマンガやゲームに負けてしまうという部分は、いったいどうしたらいいんでしょう。
齋藤●家ではマンガやゲームが勝ちますが、学校では違う。学校自体も相撲部屋、常識が違う。つまり、日常ではないんですよ。世間がどう変わろうと、九九は教えるし、漱石を読ませる。頑固ジジイのようなところが、ちょっと必要なんですよ。
大槻●オレ、それ、いいなあ。そうだと思う。「何でこれを覚えなければいけないの?」のような、生徒の自主性とかという話になるとね・・・。
齋藤●「自主性は家で両親の思うように育ててください。しかし、学校は相撲部屋ですよ」ということです。そういうものがなくなると、結局、ゲームを親子で楽しむ文化だけになって、大人が子どもの文化に寄り添うことになる。すると、子どもが大人になりたがらなくなるんです。大人への憧れがなくなる。だから、
大人には凄みが必要で、子どもに見せつけなければならない。大人が下りていって子どもに合わせるのではなく、子どもが大人に合わせるようにすべきです。
大槻●大人になってから、教科書の作品を読み返して、凄さの意味に気づいたりするんでしょうね。
(略)
齋藤●シェイクスピアを読ませるのも、四股です。でも、子どもたちにすごい人気だったんですよ。「マクベス」を授業でやったら、続きが読みたいと大変な反響でした。
大槻●朗読するからこそ、盛り上がるという部分もあるのでしょうね。
齋藤●さすがシェイクスピア、みんなの気持ちを高揚させるんです。
大槻●フランソワ・ラブレーの「ガルガンチュワ物語」というのも、とんでもないですね。知らない作家だったんですが、びっくりしました。時代もジャンルも違いますけど、先輩のパンクミュージシャンの町田町蔵、現在は作家の町田康の歌とか小説を思い起こすような作品でした。
齋藤●そうですか? 大槻さん、凄いセンスだな、それは。実は小学生に町田康の「爆発道祖神」を読ませたら、バカ受けだったんですよね。
大槻●町田康を小学生に読ませますか?(笑) それっていいんですか?
齋藤●三色ボールペンで線を引かせると、主観大切の緑をみんなバンバン使うんです。それで『三色ボールペンで読む日本語』に入れて、欄を引く説明の作品にしたかったのですが事情があり、代わりにラブレーの「パンダグリュエル物語」を入れたんです。ラブレーと町田康は似たところがあると書いたんですが、この本は読まれてないんですよね?
大槻●ええ。オレ、いいところついているよ。あらら、嬉しいな(笑)。
齋藤●音楽をやる人は、絶対に文章を書くのに向いていると思いますよ。文章の命はリズムですからね。読んでいてリズムを感じさせるのが名文の秘訣です。若いコはそれがよく分かるんでしょうね。子どももリズムがわるいと、なかなか入ってこない。
(略)
私は、本を読む時も音楽を聴くときも、直感で好きな人を選んで、好んで「摂取」します。
齋藤孝さんも大槻ケンヂさんも、大好きです。
自分の中に、憧れるところ、似ているところがあると、読んでいたり聴いていたりしても楽しくて、自然に嬉しい気持ちになってきます。
…………………………………・・
さあ、ここまで読んでいただいて、対照的な「日本人」像について私がお伝えしたいこと、なんとなくお分かりになった方はいらっしゃいますか?
それは、「リオ五輪に出場しているアスリートの皆さん」と、お気持ちの発表をした「天皇陛下」から推察する日本人像です。
五輪自体は審判の不正疑惑やドーピング問題、人種差別や白人優位のためのルール改正などIOCに問題がいっぱいあるし、メダル至上主義のようなマスコミの報道の仕方にも不快感はあります。
しかし、ここまでオリンピック前半を終えて登場した選手の皆さんの、フェアで、真摯に競技に取り組む姿勢やご活躍には、自然と胸が熱くなり、感動しまくっています。
本人のとてつもない努力はもちろんのこと、それを支えているスタッフや家族、組織の力添えも見事だと思います。
日本人の、その道を究めようとたたゆまぬ努力を続ける姿勢。
自分の選んだ道をひたすら追い求め、人のせいにせず突き進む姿勢。
後進や、その競技界全体のことを考え、どう役に立つか考えての引き際。
好き嫌い、快や不快など、個人のレベルで考えるのではなく、まずは「相撲部屋のように」その世界にたとえ嫌でもどっぷりとつかり、身体に沁み込ませることで初めて気づくこと、悟ることもたくさんあるのが世の中です。
つらいから、イヤだからといって習い事や部活をすぐにやめてしまったり、学校や会社からリタイヤしてしまうと、大切なことや面白さに気づけないこともあるのかもしれません。
社会全体、日本全体に影響を及ぼし役に立てるお立場にありながら、結局は自分の運命を受け入れられなかったという、さしてありがたくもなく感動もなく、情けなくさえ思う「お気持ち発表」には、心底がっかりしました。
天皇というお立場が、ずっとお嫌でご負担だったのですね。
早くその立場から下りて、安堵なさりたかったのですね。
しかし、後継者の方に憂いなく、安心してお任せになれるのですか?
ご長男に、ご自分のお気持ちをしっかりと引き継ぎ、ご指導なさってこられたのですか?
まずは、天皇家、皇室の中で「摂政」として引き継いでいただくのが筋ではございませんか?
国民にご自分が「全身全霊」で取り組んだとおっしゃっられてもありがたいことだとは思いますが、その大切な使命、お心構えをまずは伝えるべきご長男に「全身全霊」でお伝えし、ご指導されているのですか?
された結果が、アレですか?
自画自賛のお言葉にも驚きましたが、よもや、「残された家族が心配」などという言葉を、公人中の公人のお方のお口から聞くことがあるとは、思ってもみませんでした。
ご自分の生まれた家、環境、立場、将来。
決してご自分が自由に選択したわけではない、宿命。
しかし、その宿命、運命に添ってみよう受け入れてみようとご覚悟を決め、むしろ皇族としてありがたい経験ができることに感謝して日々の公務に臨んでいらっしゃるお気持ちを、秋篠宮殿下のお誕生日会見から拝察することができます。
お子様方にも、それは見事に引き継がれていらっしゃいます。
大変すばらしく、日本国民としてただただありがたいことだと感謝しております。
昭和帝と秋篠宮殿下が持っていらっしゃる公的なお立場のご自覚や祭祀王としてのお覚悟と、今上天皇陛下のそれとは、全く異なっていらっしゃることが、私的な「お気持ち」をなぜかここの時期に電波ジャックして放送した結果、分かってしまいました。
それにつけても、自ら憲法違反の行為だと認めながら、言葉の外に含めた憲法を改正したいという「お気持ち」は汲みとってほしい・・・。
現在の皇室典範に則った「摂政」ではなく、皇室典範を改定する必要がある「譲位」する方向へと舵を切るよう強要している「憲法違反、しかも公人なのに私的につぶやいたお気持ち」など、矛盾も甚だしくちゃんちゃらおかしいのですが、そのような声は一部ネットの中でしかあがっていないように思われます。
一般家庭の高齢者問題とは、全く次元が違うのです。
憲法で男系男子の皇位継承が定められているにも関わらず、女系天皇、女性宮家のついての議論を進めようとされていることにも、驚きと不満を私は隠しません。
そこに、天皇陛下のご意向がないとは、考えられません。
日本の伝統ある皇室は、欧州諸国の王室とは全く異なる性質をもつものです。
「宮中祭祀」を継承し、国のために己の命をかけて祈ることが天皇、ご皇室のお役目です。
キリスト教的価値観、男女同権、長子優先、家庭内の問題と、「日本そのもの」である皇室の問題が矮小化されていることを懸念しています。
皇位継承は、皇太子殿下、秋篠宮殿下、悠仁親王殿下へ引き継がれていく。
そこにいったい、何の問題があるのでしょう。
「摂政」という制度が現行の皇室典範にあり、昭和天皇も大正天皇の摂政をおつとめになり、今上天皇も晩年の昭和天皇に代わって公務を代行されてきたのです。
いったい、どんな問題があるのでしょう。
「皇太子」が空位となっても、「皇太弟」として秋篠宮殿下が次代を引き継ぐのみ。
どうしても今、天皇を退位して、年号も変え、皇太子殿下に即位していただく理由が見当たりません。
これまで公務をさぼりつづけ、国民のことよりも妻子のことが大切としか思えないような言動をされ、外国での公務でも失態続き、家庭問題だけでなく、発表はされていないけれど深刻な健康問題も抱えている皇太子殿下に全てを引き継ぐことより、むしろ、肝要なご公務の大半を恙無くおつとめになられている秋篠宮両殿下に宮中祭祀を引き継いでいただくことこそ、急務かと。
「お気持ちを重く受け止める」
皇太子殿下もそうおっしゃったそうな。
流行語大賞でもねらっているんでしょうかねえ。
皇后陛下お得意の「心を寄せる」と同じく、皇太子殿下の発言は、なんとなく当たり障りのない玉虫色のマジックワードにしか思えません。
救いは、真摯な面持ちで「重く受けとめ」、陛下自らが大好きでいらっしゃる憲法にとって違反とならないように、天皇の政治利用に当たらないよう慎重にことを進めようとしている安倍総理はじめ政府の対応です。
そうなんです。政府も「重く受け止める」と言いながら、必要のない公務、勝手に拡大し過ぎたお楽しみの観賞や式典参加などをまず、減らしていけばいいんです。
そして、皇太子殿下に代理として陛下のなさっている公務をどんどん引き受けていただく。
働き盛りの50代半ばですから、国民の鑑としてバリバリと働いていただく。
ぜひ、真心のこもった公務を拝見させていただきたく存じます。
安倍総理を信頼していますが、安倍内閣も自民党も一枚岩ではなく、獅子身中の虫である親中、反日金権議員も紛れ込んでいます。
10億円をちらつかせながら某国に慰安婦問題の解決を迫り、国際社会に対しても約束を守る姿勢を見せるよう強く厳しく対処していくのと同様に、「重く受け止める」という便利で素晴らしいお言葉通り、政府も国民も、焦ることなく真剣に考え、見守っていくことが大切です。
びっくりするなあ、もう。 コレ、釣り針だよね?
「天皇が変わる = 年号が変わる」 だけの認識なんでしょうね。
実に、タイムリー。目の付けどころが速い。目聡いなあ、もう。