
目に触れてしまうと、つらい。苦しい。
この世からいなくなってしまえばいいのに・・・、
そんなことさえ思ってしまう。
横柄、恩着せがましい、 恥知らず、傲慢不遜、野放図、我がまま、エゴ、利己的、自己中心的、人間の屑、愚か、図々しい、驕慢、厚顔無恥、破廉恥、臆面もない。
どんな言葉を集めても、形容する適当な言葉が当てはまらないほど、最低で、恥ずかしい存在。
それが、 ↓ ↓ ↓
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韓国
<恩知らずな反日用日、竹島強奪、ウソツキ売春婦、大多数の歴史を知らない愚かな国民>
北朝鮮
<自分の命だけが大事な身内も殺すバカ指導者、文化と歴史のない国の多くのチキンな人民>
支那
<自分の地位だけが大事な独裁者と共産党幹部、大多数のイナゴのような人民>
マスコミ
<国民を自由にリードできるエリート階級だと思い込む勘違い、特亜三国支援、安倍政権批判特化、報道しない自由>
野党議員
<無能、税金泥棒、モリカケ連呼、在日、二重国籍、セクハラ、性犯罪、ウソツキ、卑怯者etc.>
山尾しおり
<息子より自分の性欲が大事、図々しい、驕慢、厚顔無恥、破廉恥、臆面もない最低女>
こんな人を当選させた県民、選挙区民も恥ずかしい。
『 誇らしいこと 』 と 『 恥ずかしいこと 』。
『 好感 』 と 『 不快感 』。
その両極端が突出している。
その根底にあるものは、人としてのあり方。
個々の人間の持つ資質、魅力。
自分さえよければいい、視野が狭い利己的な人か。
それとも、
周囲や多くの人の喜びが自分の喜びにつながる利他的な人か。
こうもはっきりと違いが顕れるのは、なぜだろう。
生まれ持った資質、性格?
人種、民族性、遺伝子?
家庭環境、生活環境、食生活?
親のしつけ、言動、生き方?
出会った先生、恩師の影響?
友達、先輩、同僚、上司?
読んだ本、見た映画やテレビ番組、聴いた音楽?
ネットで触れる情報?
何の影響が、一番大きいのかな。複合的なものかしら。
日本人に関わる根源は、やはり、これかしら?
GHQが制定した『日本国憲法』と『日本弱体化計画』。
そこから、自国を誇れない、真実を学ばない、日教組教員のよる「自虐史観」の誤った
教育が続けられてしまったこと。
同じく
マスコミにより、誤った情報、価値観が流布されてしまったこと。
「マスコミ」と
「教育」が、家庭、学校、地域、日本が進むべき方向を捻じ曲げて、狂わせてしまった。
日本人の手による『日本国憲法』の見直しと改善、
そして、日本の未来図を描く作業。
正しい日本と日本人の歴史、文化、伝統。
故郷やご先祖、家族を大切に思う心。
義務教育の現場で、子供たちに教えるべきことは何か、精査しなくてはいけない。
日本の未来にとって必要な高等教育を、時代に即した形にしなくてはいけない。
文系の大学の学部、乱立した大学そのものの廃止。
論文も書かず、研究もしない文系学部の教授、職員の削減。
売国奴でしかない、マスコミ御用達の左翼コメンテーター文系教授は解雇。
私立高校の無償化は必要ない。
学ぶ意欲があり、優秀な学生は魅力ある公立高校にいけばいい。
魅力が乏しいなら、公立学校の自助努力により、魅力を高めればいい。
裕福な家庭は個性に合った私立学校へ進学し、そこから学費を徴収すればいい。
私立学校も、少子化で経営が難しくなれば自助努力するか、無理なら廃校にすればいい。
教員志望の学生が学ぶ教育学部でのカリキュラムはどうあるべきかは喫緊の課題。
安定した職業として教員を選ぶ学生ではなく、情熱と志を持つ学生を育てる。
人として優しさや思いやりを持ち、たくましく生きる子供たちを育てられる教員の養成。
自らが、未来の日本や子供たちの理想像を思い描き、自ら努力し学び続ける資質を持つ。
採用試験では、学力や知識を問うだけでなく、ベテランの面接官の目と、各種適性検査、テストにより、不向きな人物の採用をくいとめる。
夢や希望や理想が描けないダメな先生が学校現場にいることは、大きな損失になる。
これまでの学校教育では、知識は教えても、日本人にとって大切なことは何かを学ばせることはできなかった。
先生と児童生徒、相互に確認しあえず、認識できなかった。
それゆえ、大人になり親になっても基本的な共通認識が身についていないから、日本人として必要な家庭での子供の躾、食生活、基本的な生活習慣が定着しなかった。
子供は、勉強だけしてよい成績だけとって良い学校へ進学すれば、それで幸せになれると思う家庭もたくさんあった。
親子の触れ合い、自然との触れ合い、友達や地域の人とのコミュニケーション。
幼いころからお手伝いをすることで気がつく、働くことの意義や楽しさ。
地域の行事や祭事、ご先祖様のお墓参りなどで認識する、日本人としてのアイデンティティ。
テストでよい成績をとり、偏差値が高い学校へ進学し、有名企業へ就職することだけでは感じられない幸せが、きっとある。
地域のコミュニティが崩壊し、核家族化した世帯ではそれぞれの世代が断絶し、親になってもどうやって子供を育てたらいいのか知識や方法を知らない、確固とした自信もない。
「保育園落ちた、日本死ね」なんて日本をダメにするくだらない言葉が反日左翼マスコミや政治家たちによりもてはやされてしまった。
子供を預けて働きに出ることだけが、輝く女性の「働き方改革」ではない。
親、祖父母の世代と同居したり協力してもらうことで、自然に教わることもあるし、子供たちにもいい影響がたくさんある。
思いやりの心や、伝統的な和の食生活も定着する。
子供が幼いときに、母親と一緒に過ごせる時間は、お互いにとってかけがえのない宝物。
住環境にお金がかからない地方や生まれ故郷に住むことができれば、必ずしも共稼ぎしなくても、ぜいたくさえいわなければ楽しく住めるのかもしれない。
そうすれば、地方の少子高齢化も穏やかになり、空き家も減り、防犯にもなり、自然に触れながら子育てもできる。
都会の仕事が地方でもできるものになっていけば(ニアシュア)、故郷にのこって働きたい若者たちの雇用が確保できる。
若者の人口流出が防げれば、地元の食材や製品を扱う地元資本のスーパーや小売店が増え、公共交通手段も維持でき、地元の工務店や大工さんが家を建て、地元の小学校、中学校、高校へ通い、また故郷で暮らす、いいサイクルができる。
自己実現を図りながら、自分の幸せが家族の幸せ、地域の幸せ、社会の幸せにつながっていく、そんな生き方をすることが、日本人の明るい未来につながるのかもしれない。
都会に生まれた人が都会に住んだり、地方に住んだりすることも、自分の生き方、仕事の選択で自由に決めらる。
その逆に、地方の人が都会に出ても、また帰ってきてもいい。
選択肢が増えれば、生き方の幅も広くなる。
とにかく、日本の産業が安い雇用を求めて外国へ流出していくことに歯止めをかけ、日本の中でAIを活用し、IT化を図りながら、よりよい労働環境をつくる。
大企業は、タックスヘイブンで卑怯な租税回避をせずに、国に正しく税金を払う。
もしも、税金を正しく払わない会社があれば、きちんと徴収する。
タックスヘイブンで租税回避している外国企業の製品には、高い関税をかける。
外国からの移民は、基本的に受け入れない。
とくに、朝鮮、支那から工作員として紛れ込む学生や労働者は、シャットアウトする。
若いひきこもり(15~34歳の若年無業者は60万人)、若くないひきこもりも含めて推定300万人。
働いてお金を稼いで税金を払って健全に暮らせる、いいサイクルをつくる。
義務教育の中で、働くことの意義、大切さ、楽しさを実感できるようなカリキュラムをつくる。
自宅で、ITを活用して働ける仕事もたくさんある。
自宅を出て、人と関わりながら働いて、楽しさや充実感を感じることができれば、婚姻率も上がる。
一度しかない人生。
自分の得意なこと、好きなことを、
自分の好きな人と関わって、
いっしょに働いたり暮らしたりできれば、
それが自己実現につながる。
やりがいのある仕事をできることは、本当に幸せなこと。
仕事自体にやりがいを見出せなくても、働く環境、人間関係が素晴らしければ、それも幸せ。
アメリカのトランプ大統領の「アメリカ人第一主義」も、安倍総理大臣の「アベノミクス」も、自国の国民の誇り、働く意欲を国家が認め守りながら、個々が自己実現を果たしていくことに相違ない。
一人ひとりの幸せが、最後には、国全体の幸せにつながる。
共産主義、社会主義の独裁政権とは、目指しているものが全く異なる。
他国を征服し、植民地化して自国を潤してきた欧米諸国とは違う日本。
指導する立場にある者は、己の精神を高め、切磋琢磨し、民のことを思い、
生産する立場の者は、村や地域の中で協調し、譲り合い、思いやりの精神を持って充実した日々の暮らしを送ってきた長い歴史がある。
「自分だけよればいい」「家族と一族だけ栄えればいい」
世界中の富を独占し、栄華を誇ってきた世界支配者たちは、斜陽をむかえるはず。
「自分の幸せは、周囲の幸せ」「みんなの幸せが、自分の幸せ」
そう思うことができる日本人こそ、これからの世界の価値観をリードしていく存在になっていけば、略奪、侵略、征服の歴史は徐々に変わっていくはず。
大切なこと。
それは、
さまざまな情報、書籍、メディア媒体などから、
本当に自分が信じられる、納得できる、腑に落ちることを、
自分自身で咀嚼して、自分のモノにすること。
楽しいこと、嬉しいこと、やりたいこと、憧れること。
人の優しさ、思いやり。
いつも、明るい光に満ちた感情や思考で自分が満たされている状態でいたい。
でも、生きているとどうしても触れてしまうマイナスの感情、哀しい出来事、頭にくること。
それらばかりに接していると、悪い方向にコントロールされてしまいそう。
だから、あまり関心を向けず、流されないようにしたいけれど、無関心でもいられない。
不条理とは、戦わなくてはならない時もある。
一度しかない、この人生。
自分と家族の幸せを追い求め、実現させることが大前提。
でも、決して、それだけではない。
名もなき先人達、かつての日本人が「無私の心」で歩んできた道。
地域や社会、日本のあるべき姿を想像して、
自分にできることは何かを考えて、
小さなことでも役に立ちたいと思いながら生きていきたい。
写真家 米 美知子さんの作品 (CANON EOS5D Mk2サイトより拝借)