
この記事は、
MTとATの違いを考察する。(その4)について書いています。
FLAT6さんが実に興味深く書かれているMTによるギヤチェンジですが、前回のブログで書いた通りでボクがSKYACTIV-DRIVEを手に入れるまでは「もはやギヤを手動で変える行為など、ノスタルジー以外の価値は無い」と、ほぼ決め付けていました。
クラッチを踏み、ギヤを変え、回転数を合わせてクラッチを繋ぐ。一連の動作は最新の2ペダルではパドル操作一発であり、オートであればそれこそ何もせずによほど優秀なドライバーよりも巧妙に仕事をこなしてくれます。であれば、何が悲しゅうて手動に拘らねばならんのか?
ところが、、、(^_^;)
想像と実際は大違い(苦笑)。しかも、その違いに関するボク自身の印象が極めて非論理的に思えたものだから始末が悪い。「ノスタルジー」だとか「クルマを操っている実感など低次元だ」と考えている張本人が、確かにアクセラを運転するよりNSXを運転する方が「クルマを動かしている濃密な感覚」を感じ取っているこの事実をどう消化すべきか?(自爆)
このジレンマを自分自身の中で解消するために、自ずとアクセラ(AT)とNSX(MT)をそれぞれ運転する際の印象の違いと正面から向き合うことになりました。それは時に、DCTなどを評する際に語られる「ダイレクト感」であったり、シフト操作の感触であったりクラッチの存在であったりしたワケですが、約1年を経て得た結論を先に述べると
「MT車とAT車は、トランスミッションが違うだけに見えるが、
実は別物とも言える
乗り物」
ということになります。
先ずはDCTに代表される最新のATで良く語られる「(MTのような)
ダイレクト感」の正体ですが、これはとりもなおさずエンジンと駆動輪が直結状態にあることによってもたらされる、エンジン回転数と車速のリニアな関係を指す物です。エンジン回転が上がれば速度が上がり、車速が落ちればエンジン回転数も下がる。当然、エンジンのレスポンスが車速にダイレクトに反映するワケで、文字通りアクセルのON/OFFにクルマがダイレクトに反応します。
このことは逆に言えば「ATが自動変速する限り、MTのダイレクト感は例えDCTでも得られない」ということになる。ボクはアクセラSKYACTIV購入直前に
VWゴルフ(バリアント)の7速DSGを試したことがあるのですが、そのときに専門家の「ダイレクト感溢れる」という評価とは全く異なる印象を得た理由がこれです。つまりDCTのシフトダウンだろうがATのトルコンスリップだろうが、CVTの変速だろうが関係無い!「エンジン回転数が上がるのに速度が変らない」とか「速度が上がっていくのにエンジン回転数が下がる」などのミッションの変速動作が自動で行われる限り、そこに
MTのようなダイレクト感は存在しない。これが真実です。
それでは最新のATをマニュアルモードで走らせれば、MTのダイレクト感が得られるのか?これについては「MTにかなり近いダイレクト感は得られた」というレベルに最終的には留まりました。これがまた論理的とは言い難い部分なのですが、後述するとして、ここで一旦、MTに話を戻します。
ATを自動変速で利用する限りMTのようなダイレクト感が得られなかったと述べましが、MTとて手動ながら変速は行うのです。ではATの変速とMTのソレと、一体何が違うのでしょうか?
ATの自動変速は文字通り、人の意志に関係なくクルマが勝手に行うもの。これが違和感の原因か?と最初は思ったのですが、ちょっと違うようです。SKYACTIV-DRIVEは非常に良く出来ていて、自動ではあってもアクセルの踏み加減でシフトアップポイントをかなりドライバーの意志に近い回転数に制御出来る。例えば2500rpmでシフトアップするアクセルの踏み加減はこのくらい、という操作がやり易いのです。自動であってもドライバーがその回転数を予測出来るのであれば「勝手に」という違和感はミニマイズされます。
しかし、ATで自動でシフトアップして加速していくのと、MTで行うそれとはやはり明らかに印象が異なりました。そして手動に切り替えても大差はなかった。その違いが何なのか?というと、実はそれはクラッチペダルの存在だったのです。
FLAT6さんもクラッチペダルの存在に言及しておられるが、ボクの結論はこうです。クラッチは機構として駆動力の断絶を行い、スターティングデバイス(発進装置)も兼ねます。クルマの機能としてはそうですが、ドライバーにとってこれは「モード切替スイッチ」として機能するのです。モードの切り替えとは、言うまでも無くギヤ比(変速比)です。
例えば3速2000rpmから3000rpmに回転が上がると速度が40km/hから60km/hへ増速する。これを4速にシフトアップすると回転数が2000rpmに下がる一方、3000rpmまで回転を上げると速度が60km/hから90km/hまで上がる。3速で速度の変化は20km/hですが、4速にすると30km/h上がる。この変化を人間は「速度の伸び」と錯覚する。実際は変速比が変ればエンジン回転数の上昇は鈍り、加速度に変化は無い筈なのですが、実際、上のギヤに上げると「伸びる」と感じるのです。逆に4速2000rpmで60km/hから3速にシフトダウンすると回転数が3000rpmに上がり、4000rpmまで引っ張ることによって強い加速度を得る。このときドライバーはエンジンの力強さを実感する。
このように3速→4速へのシフトアップや4速→3速へのシフトダウンによってエンジン回転は速度の変化によらずに上下する。つまりこの間、ATの変速と同様にエンジン回転数と車速のリニアな関係は失われるのですが、なぜかATの変速とは異なり、ドライバーは「ダイレクト感が無い」とは感じない。その理由をずっと考えていたのだが、どうやらこのクラッチを切る(駆動力を切断する)ときドライバー(であるボク)は、モード切り替えを行っているのです。そして、ATをドライブしているときは自動でアレ手動であれ、それがシフトレバーであれパドルであれ、ATのシフトチェンジにおいてこのMTのようなモード切り替えは生じないことに気が付きました。つまり、、、
「ATを運転しているときと、MTを運転しているときで、ボクは運転モード(意識)が明らかに違う」
のです。これは正直、AT車を購入して一番驚いた点です。全く予想だにしなかった発見でした。
運転の意識が異なるという点については、その他にも様々な違いを確認出来ます。例えばクラッチ操作を行う左足ですが、免許を取得して日が浅い頃、愛車のMTを普段使い、たまにAT車に乗り換えたとき、クルマを停車させる際に左足で足踏みをしたことが良くありました(苦笑)。これはMT車は停車と共にクラッチを切る必要があり、AT車を運転していることを失念しての恥ずかしい間違いでしたが、数年と置かずにこのような失態はしなくなった。今ではどんなAT車に乗っても全くこのような足踏みを行うことはなく、逆にMT車に乗った際にこのクラッチを切る行為を忘れることも絶対に無い。なぜ間違わなくなったのか?それはMT車とAT車で完全に異なる運転モードであることの証左です。
また、MT車を運転していると、シフトアップはほぼ無意識に行われますが、ATを稀にマニュアルモードにすると、なんとシフトアップを忘れることがあるのです。MTで加速しているとき、そのエンジンの回転数が心地悪いと感じる直前に上のギヤに上げる。この「回転数の心地悪さ」というのは、エンジンの駆動力と車速の関係が常に意識下にあり、そのときのペースや所望する加速力などの関係からエンジントルクが過剰とか、パーシャルスロットルに対する適度な回転感覚などから、シフトアップしたくなるポイントを察知していることに他なりません。ところがATを運転していると、この意識が完璧に消失するのです。なぜかと言えば、その制御は通常、クルマが勝手にやってくれることであり、ドライバーが頓着する必要が無いという意識があるからでしょうか。そう「シフトアップポイントを意識する必要が無い」と無意識に考えるATモードと、ほとんど無意識かつ条件反射的に特定回転数でシフトアップ操作をしていくMTモード。これも運転モードが異なる証左と言えます。
というワケで、クルマの外観は全く変らず、運転席もほとんど同じ。唯一の違いはクラッチペダルの有無だけというMT車とAT車であるのですが、これが
ドライバーの意識として
全く異なる運転を行っているとするならば、果たしてそれは「同じ乗り物と言えるのか?」というのがボクの疑問です。
そしてそうなると、一般に良く言う「MT車の方がAT車よりクルマを操る実感がある」という意見にも、一定の理解が出来ることになります。MT車とAT車を同じ乗り物と捉えるなら、この意見に関するボクの見解は既に述べた通りとなりますが、実は動かし方が(あくまでドライバーの意識という観点ですが)全く異なる二種類の乗り物ということとなれば、当然「ATが好き」「MTが好き」という好みの問題となるでしょう。
このような考えに至ると、今まで「懐古趣味の産物」といった考え方とは全く異なる結論が見えてきます。それがつまるところ、MT車の価値であり、存在意義となるのでしょう。
次回につづく
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Posted at
2013/02/14 02:13:49