
デミオとアクセラのSKYACTIVに塔載しているi-DM。
ブログを読んでいると、デミオとアクセラで判定の基準値に差異があるようにも思えるが、基本的には同じもの。
ボクはアクセラでこのシステムを使い始め、思わず唸ってしまった。そして大のお気に入りとなった。
SKYACTIVデミオとアクセラのオーナーには、是非とも有効活用して欲しい。大きなお世話かもしれないが、心底、そう考えている。
このシステムの画期的なところ、単なるエコ運転支援機能でないことは言うまでもない。
こいつはいわば、「エキスパートドライバー育成システム」だ。
i-DMには、ドライバーの操作に対してリアルタイムで評価結果を伝えるコーチング機能と、ドライビングサイクルを通して評価するティーチング機能から構成される。目指すところは「ドライバ及び同乗者が気持ち良くかつ環境にもやさしい運転」なのだが、それが出来たか/出来なかったか?を判定するに止まらない。
そんな運転の出来るドライバーを育成するシステムなのだ。
ボクがもし「貴方は運転がお上手ですか?」と問うと、貴方はなんて答えるだろうか?
「とっても上手い」「そこそこ」「平均的」「あまり自信がない」「ヘタクソ」「わからない」etc...
答えは様々だろうが、なんらか答えるだろう。では、それを受けて次の質問をしよう。
「では、上手な運転とはどういう運転で、それに対して貴方の運転はどうだから、その答えになったのですか?」
さて、貴方は上手く、自分の答えを説明出来るだろうか?
「上手な運転」とはどんな運転?コレに関する一般的な共通解(基準)が無ければ、当たり前だが運転の上手、下手に対する認識は、実に様々な、言い方を変えれば”いい加減な”ものになるだろう。
次に、もし仮に”上手な運転”という唯一無二の基準が定義出来たとする。
それが100点の運転だったとして、「今日の貴方の運転は、何点でしたか?」と問われて、貴方は点数がつけられるだろうか?否、誰がいつ、どうやって貴方の運転を採点できるのか?
もし、サーキットのような特殊な環境で、LAPタイムを基準とするなら話はとても簡単だ。同じクルマで二人のドライバーが走ったとして、速い方が上手いということだ。100人のタイムを測れば、平均タイムが標準的、それより速ければ上手い、遅ければ下手、と判定出来るかもしれない。
しかし、一般道においてはこのような判定は不可能だ。そもそもクルマの限界性能を使って走らせているわけではないのだから。ハンドルを回せばクルマは曲がり、ブレーキを踏めばクルマは止まる。
みんカラをやっているようなクルマや運転に深い興味のある方なら、ドライビングレッスン等に参加して運転技術の向上を目指したり、サーキット走行などを楽しんでいる方もいるだろう。「上手な運転」に対するイメージも、かなり共通的なモノであると予想出来る。
しかし、その理想のドライビングに対して、自分が今、どの辺りに居るのか、近いのか遠いのかを把握するのは、やはり相当に困難なことだ。
そこで、i-DMである。
こいつは、ドライバーの運転操作に対して、良かったかダメだったかをリアルタイムに伝達する。
評価はつまるところ、加重移動を判定しているところがまたスゴイ。
ドライバーは、その評価結果に基づき運転操作を修正、これを反復することによって、運転技術を向上することが出来る。”運転が上手くなる”のだ。
しかしながら、ドライバーがi-DMの評価結果を受け入れ、運転操作の修正を行う努力を続けなければ、運転技術の向上は有り得ない。当たり前のことだが、i-DMは運転が上手くなる魔法の装置ではない。あくまで運転技術の向上を支援するシステムであり、上手くなるのは貴方自身なのだから。
ボクが、多くのドライバーに有効活用を訴えたい点も、真にこの点にある。
要は、ドライバーの意識が最も重要な点なのだ。
先にも述べた通り、一般道でクルマを運転する限りにおいて、運転の上手、下手は大きな問題にならない。交通法規を大きく逸脱するような行為を行わない限り、どんな運転をしてもクルマは進み、曲がり、止まってくれる。それで好しとして、漫然と運転していては運転技術の向上などは無いのだが、今現在、A地点からB地点までクルマを使って不自由なく移動出来る人が、何故に「上手に移動しなければならないのか?」と云われてしまえば、それまでである。
「頭文字D」という漫画がある。
運転免許を取りたての豆腐屋のせがれの主人公は、実は中学生の頃から商売の手伝いを強制的にさせられていた。無免許で峠を越えた先の納品先に豆腐を運ぶ仕事だが、昔モータースポーツに興じた父は、水を入れた紙コップをクルマのカップホルダーに置いて、「水をこぼさないように運転する」ことを主人公に強いた。水がこぼれない運転が出来れば、豆腐は痛まないというワケだ。
嫌々ながら、中学の頃から毎晩、6年近くも豆腐を運んで峠を走る内、主人公は運転免許取り立ての18才には有り得ない運転技術を身に付ける。
一方、主人公のバイト先の先輩は「走り屋」と称して夜な夜な峠を走って楽しんでいたが、他の地域から遠征してきて、バトルを挑まれた相手のレベルの高さに、初めて自分の運転技術の未熟さを思い知ることとなる。
イニシャルDは所詮は漫画、架空の世界の夢物語だが、実は現実世界にも通じる点が多々あったりする。多くの支持を得ている理由も、そんな側面が影響しているのではないかと思う。
ボクはi-DMを使い始めて、あまり時間を置かずにこのイニDの「紙コップの水」を思い出した。
i-DMの青、緑、白のインジケータは「紙コップの水」であり、今日のスコアは「豆腐」というワケだ。
つまるところスポーツ等も全く同様。ゴルフでもテニスでも、ただ漫然とコースやコートに立ちプレイを続けていても、上達は難しい。課題認識を持ち、上達を意識してプレイすることで初めて、技術は身に付き、向上する。
「紙コップの水をこぼさない」も「i-DMの白ゲージを点灯させない」も本質的には変わらない。そうならないように意識し、それが達成出来たときに、貴方には何かが身に付いているはずだ。なぜなら、かつて出来なかったことが出来るようになるのだから。
それが運転技術の向上に繋がるように、i-DMは設えてある。詳細はボクのブログでも軽く書いたが、マツダ技報にも詳細が掲載されている。
前回、i-DMで高得点を出すためのコツのようなモノをブログに書いた。
i-DMでなかなか点数が出ない方の参考になり、前向きに活用することの助けになればと思ってのことだ。
どんなに良い仕組みでも、やはりなかなか成果が得られなければ、人のやる気など直ぐに萎えてしまうものだ。
しかし、なんらかのキッカケで多少なりともコツのようなモノが掴めれば、モチベーションを維持することも出来るだろう。上達の実感が無くても、i-DMのスコアが上がってくれば、更にやる気が高まる好循環にもなろう。
ただ、ボクが書いたのはあくまでもHow Toであり、ワンポイントアドバイスのようなモノだ。
読んで、直ぐに出来るようになる訳も無い。そもそも、i-DMが評価するのはクルマの挙動であり、加速度の変化だ。上手に実行するには試行錯誤も練習も必要だ。
ボクのアドバイスをキッカケに、何度か成功体験が出来れば、後は成功率を上げていければ良い。やがてコツを掴み、応用も出来るようになるだろう。それが”身に付いた”ということだと思う。
そもそも「これが正解」という成功体験を得られなければ次に繋がらない。
そんな思いもあって、i-DMについて色々書いてみた。
やっぱり、クルマが好き、運転が好きなら、藤原拓海クンには憧れても、池谷先輩みたいにはなりたくないでしょ?(^^;)
二人の違いは才能の差ではない。走り込みの量と
質の差なんです。
質を高めるのはドライバーの意識です。i-DMはそれを上手に助けてくれます。
もしかしたら、数年後には「マツダ車のオーナーは運転が上手な人が多い」と言われるようになるかもしれない。そんな風に思っています。