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2011年11月30日 イイね!

自然吸気(Natural Aspiration)のレシプロエンジン

自然吸気(Natural Aspiration)のレシプロエンジン「マニュアルの試乗車が入庫したんですが、試乗に来ませんか?」

ホンダベルノの営業のS氏からだった。1991年11月だった(と思う)。

遡ること一ヵ月半程。9月19日に四代目プレリュードがデビューしていた。
プレリュードといえば、稀代の軟派車である(笑)。

硬派なピュアスポーツ志向のボク(苦笑)には本来無縁なクルマだが、そこはクルマ好きのこと。
日産のディーラーと軒を並べていたこともあり、9月の下旬に実車を見にディーラーを訪れていた。

第一印象はそのインテリアデザイン。
"宇宙船のような"と形容されたインパネデザインは、実はマツダ・ニューコスモとデザインが似てはいたが、ボクは思わず「なんじゃこりゃ?」と口走ってしまったくらい、斬新で好印象だった。

Si-VTEC(4AT)の試乗車もあったので、勧められるままに試乗もさせてもらった。感想は…
「まぁ、なかなかイイんじゃないでしょーか?」
その程度。

元々次期愛車の候補として見に行った訳でもなく、どちらかと言えば冷やかしであった上、特段の感動もなし。
バランスシャフト付きの2.2Lの四発は振動が極めて少なくスムーズにヒュンヒュン回り、さすがホンダエンジンと思わせるものはあったものの、そこまでであった。

「ATを買う気はないので、MTの試乗車があれば乗ってみたい。その上で検討したい。」

これはほとんど、営業に対するその場限りの逃げ口上だった。


自然吸気(Natural Aspiration)のレシプロエンジンに乗ってみたい。

この想いは、ロータリー乗りであった自分のレシプロエンジンに対する対抗意識や劣等感に由来したのかもしれない。
しかし愛車がロータリーでも、レシプロに全く乗ったことが無いわけではない。何しろロータリーはRX-7ただ一台。その他のクルマは全てレシプロエンジンなのだから。
実家のマークⅡ(1G-G、1G-GTE)は言うに及ばす、4A-GもZCも運転させてもらったことはあったし、リッター100psのB16Aにも試乗した。しかし、全くピンと来なかった。

欲しい欲しいと言いつつ「レシプロNAエンジンはレスポンスが素晴らしい」という話だけで、それが一体どういった事なのか知らなかったのだから、今から思い返せば変な話である。

故に当時、クルマと並んで趣味だったスキーに有益な4WDであることを優先事項として一旦は検討したものの、既に述べた通りで候補の二台は決め手に欠き、愛車選びは暗礁に乗り上げていた。

そんな中での試乗のお誘いである。

新型プレリュード(BB1)を買う気は全く無かったが、暇つぶし、気分転換にまぁイイかとお気楽にディーラーに赴いた。

なぜ買う気が無かったか?理由は極めてシンプル。プレリュードがFFだったからだ。


ベルノを訪れると、営業のS氏がニコニコしながら迎えてくれ、早速MTの試乗車へ案内してくれた。
そして、助手席に同乗することなく、いつもの試乗コースを自由に走ってきて構わないと言ってくれた。望むなら二周でも三周でも良いと。

お言葉に甘えてディーラーを後にする。
お店が隣接する幹線道路を左に出て、直ぐの信号を右に折れ住宅街を突っ切るのが試乗コース。

幹線に出ると右折の信号が赤である。停止線までクルマを進めるべくアクセルを軽く踏むと「!」

「あれ?・・・なに?」

信号が青に変わり、直進車をやり過ごしてからソロリと右折し、ギヤを2速へ。クラッチをミートしてから、意図的にややラフにアクセルを煽ってみる。

フォン!…フォン! → グワッ!…グワァ!

な・な・な・なんだこりゃ?(*_*)

右足のアクセルのON/OFFに、エンジンが即座に応答(レスポンス)し、クルマがまるで下手クソが運転しているかのようにスナッチする。

そのままグゥーとアクセルを踏み込むと「クォー」とエンジン回転が伸びていく。
3速にシフトして更に踏む。アクセルを離して、また踏み込む。
踏み込むと即応してトルクが立ち上がり「ククッ」と車体を前に押し出す。

「こいつぁ・・・ロータリーは敵わないわ。。。」

本当の意味で、ボクが初めて「レシプロの自然吸気エンジンのレスポンス」を体感した瞬間だった。

カルチャーショックというのは、正にこういうことを言うのであろう。
感動というより驚愕。
試乗中はとにかく驚くばかりであった。
何度も何度も、意味も無くアクセルのON/OFFを繰り返しながら、試乗コースを一周だけしてお店に戻った。

まさかそんなに早く帰ってくるとは思わなかったのか、S営業はボクがクルマを駐車スペースに停め、店舗に向かって歩き始めたところで外に出てきた。いつもの愛想の良い笑顔でニコニコしながら話しかけてくる。

「どうでした?(^_^)」


「コレ、ください・・・(-o-)」


「えぇぇぇ!(*_*)」

いつもの笑顔は少し引きつっていたようにも見えた。相当に驚いたようだ。

当然だ。ボク自身が、自分の発した言葉に驚いていたのだから。。
Posted at 2011/11/30 00:32:12 | コメント(1) | トラックバック(0) | クルマ選び | クルマ
2011年11月29日 イイね!

四駆が欲しい…

四駆が欲しい…1991年10月、FD3Sのデビューを期にクルマの買い替えを検討することになったが、これがすんなり決まらない(泣)。

当然、エンジンはレシプロ(笑)

次は出来たら4WDが良いなぁ。理由はもちろん!その頃夢中になっていたスキーのためだ。
今(当時)の愛車(FC3S)でも、なんの躊躇も無くゲレンデへ出かけた。
ハイパワーFRに雪道は厳しい、雪道の走行はクルマを傷める、それはそうだがボクは道具は便利に使う主義。
当然、車内で飲食もすればタバコも吸うし、「土禁」など夢にも考えない人間である。

ただ当時、一緒にスキーに行っていた連中にボクの愛車は不評だった。クルマの所有者は少なくは無かったが、やはり雪道を嫌がる人は多い。だがウチのクルマには実質2名しか乗れない。オマケに燃費が悪く交通費が嵩む。
折角、クルマを出してもらえても、メリットが少ないのだ。

別にそれを理由にクルマ選びをするつもりはない。四駆といっても、いわゆるRVなどには興味は無く、あくまでもスポーツクーペが対象である。
まぁ4人が余裕で…とは言わないまでも、3名くらいで安心してゲレンデの往復が可能なら、それも悪くない選択だ。

ただ、残念ながら選択肢は多くなかった。というよりとっても少なかった。

4WDスポーツということで、ファミリアGT-X(BG)はハッチバックだから×。ギャランVR-4(E30)も4ドアセダンだから×。
やはりクーペじゃないとってことだと、スカイラインGTS-4(R32)、セリカGT-FOUR(ST185)くらいである。
スバルのアルシオーネなんていうのも出たが、これはATしかなかったのであえなく除外。

ところがこの2台、結局どちらもボクの愛車になることは無かった。

先ずはスカイラインであるが、R32以前の日産について、ハッキリ言って良い印象が無かった。
「技術の日産」?なにそれ??ってな感じである。先代のR31、初期のRB20は共にヒドイ出来だった。
なにしろハイソカーブームに乗ってトヨタのマークⅡに挑んだが、デビュー直後のRB20DETは、ノンターボの1G-Gにも動力性能で敵わなかったのだから。その後の改良改良改良で、なんとかまともになっていったようだが、、、

ところが、だ。S13シルビア、R32スカイライン、P10初代プリメーラと続く、901運動の成果はそんなボクの偏見を覆すに十二分だった。セダン故に購入対象ではなかったが、スポーツカーを引退したらプリメーラが欲しい、と真剣に思ったものだ。
で、大幅に洗練されたRB20を積むスカイラインである。GT-Rと同じアテーサET-S搭載も魅力である。しかしボクにはRB20というエンジンがどーにも気になる。というのも、、、

「エンジンは、試作機が組み上がって最初に火を入れた瞬間に、その素性がわかる」

ホンダの二輪エンジニアの言葉であり、単車に夢中だった高校のときに聞いた話だ。なぜかこれが心の底に染み付いていた。
要は、エンジンは生まれた瞬間にサラブレッドか駄馬かが決まってしまう。その後にいくら手を加えても駄馬は駄馬。一方、サラブレッドは下手なチューニングなどせずとも馬力もトルクも出るのだと。
この話に照らすと、ボクにとってRB20は駄馬なのだ。それを買うことに躊躇いが拭えない。

そうこうしている内に、あろうことか幼馴染がGTS-4を買い、会社の同僚がGTS-tを買い、すっかり気持ちが萎えてしまった。
稚拙な理由だが、既に知人が所有しているクルマを後追いで手に入れるのが嫌だったのだ。

結局、そんなこんなでR32とは縁がなかった。

一方のセリカであるが、これの最大の問題点は「トヨタ車であること」だ(苦笑)。

何を隠そうボクは大のトヨタ嫌いなのだ(現在進行形)。
最大にして唯一の理由だが、これは当時最悪に険悪な関係だった親父が大のトヨタ党であったことに起因する(爆)。
RX-7を買おうとしていたときにも「ロータリーなんか止めとけ!トヨタにしろ」だし、今回も「次はトヨタにしないのか?」だ。んなこと言われる度に「死んでもトヨタなんか買うものか!」である。

トヨタさんには大変気の毒、かつ申し訳ない話なのだが、事実そうであったのだから仕方が無い(苦笑)。

確かに80点主義のクルマ造りや、スポーツカーを解ってないとしか思えない造りやエピソードなど、日産とは違う意味で印象が良くなかったこともあったが、マークⅡを「高級車」と有り難がって、3年毎に乗り継いでいた親トヨタ派の身内が、トヨタにとっては大きな逆風だった。


また、両車共にマイナスポイントだったのが、ターボ車であったこと。
実は、少し前から「もしロータリーを降りたら、次に買うレシプロはNAが良い」と考えるようになっていた。
ロータリーだってターボだったのに、なぜか?

それは、ロータリーが常に「レスポンスが悪い」「レシプロNAにレスポンスで劣る」と散々叩かれていたことに端を発する。
もしレシプロに乗るなら、そのNAのレスポンスとやらを味わってみたい、確かめたい。
そんな想いがあったのだ。

しかし、レシプロNAで四駆のクーペといえば、当時は1台しか存在しなかった。

ポルシェ911カレラ4(964)

二十代後半のサラリーマンには絶対無理っ!(T_T)


はてさてどーしたものか?と途方に暮れていたときに、某ディーラーから電話を受ける。

「マニュアルの試乗車が入庫したんですが、試乗に来ませんか?」
Posted at 2011/11/29 00:02:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ選び | クルマ
2011年11月28日 イイね!

初めての愛車

初めての愛車初めての愛車はマツダのRX-7(FC3S)でした。

小~中学生時代をスーパーカーブームの真っ只中で育った世代、当然のようなスポーツカー志向。

高校時代は単車に寄り道してローリング族(死語)。そのことで親と対立してクルマの免許を二十歳まで取らず。
大学卒業を間近に「就職したらお金を貯めてクルマを買おう」と考えたとき、車種選びには全く悩まなかった。

当時はオイルショックや暴走族等の社会問題は収束していたものの、まだそれらの余韻が残る時代。
「スポーツカー」は反社会的なイメージがあるとして、トヨタも日産も、セリカXX(後のスープラ)やフェアレディZを決して"スポーツカー"とは呼ばなかった。
ところが、マツダは唯一堂々とRX-7を"スポーツカー"と称した。
ロータリーエンジンの開発秘話、ホンダのCVCCと並んで米国マスキー法のクリア、オイルショックと燃費の悪さによる販売不振、ロータリーの特性を活かすスポーツカーエンジンへの特化、興隆を繰り返した結果として、今(当時)の名声と共にRX-7(FC3S)が在る、そのストーリーは二十代前半のスポーツカー好きの心を熱くするに十分だった。

新社会人となった給与のほとんどを頭金に注ぎ込み、ディーラーを訪ねたのが88年7月。
社会人4ヶ月目にして300万のクルマを買おうと言うのだから無茶といえばそうだったかもしれないが、全く迷いは無かった。

手にしたブルーメタリックの愛車は、評判以上にボクに満足感を与えてくれた。
動力性能、運動性能は文句なし。
例のトーコントロールハブ付きマルチリンクのリアサスは、ツボに嵌まると面白いように回頭し、立ち上がりにしっかりトラクションが掛かる。ステアリングを戻した分だけアクセルを入れる、コーナー出口に向けてステアがニュートラルとなったとき、リアに若干のスライドを感じながら立ち上がりが決まったときの爽快感と達成感がたまらない。
そして、そのツボになかなかそう簡単には嵌まらない(苦笑)手強さも、ボクを夢中にさせた。市場の評価は二分されており、限定車のアンフィニでは動きを規制する方向であったり、トーコントロールキャンセラなる社外品も存在したが、設計者の貴島氏に敬意を表して、ボクは手放すまでノーマルのままだった。

困った思い出はやはり燃費。リッター5kmしか走らないことは覚悟しており不満ではない。
ただ航続距離が300kmに届かないのには参った。
例えばスキーの往復に必ず給油が必要というのが意外にも不便極まりない。当時は空前のスキーブーム。スキー場までの往復のコースや時間帯を誤ると、先の見えない渋滞に嵌まり下手をすると渋滞の中で夜を明かす危険があった。
当然、深夜の時間帯を選んで渋滞を避けたいところだが、そうすると給油の場所とタイミングをどうするか?いつも悩みの種だった。

3年半の蜜月の後、次のクルマに買い替えをしたのだが、そこに至るストーリーはやや複雑で説明を要する。
当然、1991年中に予想された新型RX-7への買い替えが既定路線であったのだが、結果的にはそうはならず、ロータリーを降りることとなったからだ。


オーナーである間、ロータリーに対する評判、曰く「燃費が悪い」「極低速トルクが無い」「レスポンスが悪い」「音(エキゾーストサウンド)が悪い」等は、当然のことながら面白くなく見聞きしていた。ただ、燃費と音については同意せざるを得ないものの、レスポンスについては合点がいかない。13Bのツインスクロールターボはターボラグも極小であり、パワーバンド内では十分にレスポンシブであるというのがボクの見解。

とは言え、確かにレシプロに比べて全てに優れる訳もなく、ネガティブな面も多いロータリーエンジンが自動車史にその足跡を刻み続けるためには、如何なる方向性への進化を目指すべきか?いちオーナーとしてこの命題は重いが、想いを馳せずにはいられなかった。
幸いにしてFC3Sは、競合するレシプロの2L~3Lターボ勢に対して、動力性能で若干遅れを取る面はあっても、運動性を含めた総合力で常に最高の評価を受け、存在感を示し続けていた。しかし、ライバルの進化も急である。次期RX-7が当然、ロータリースポーツの目指すべき方向性を示すことになる。

マツダはル・マン挑戦のレース活動において、1986年から3ローターの13Gを投入。IMSA GTPクラスでの参戦ながら1987年にルマン総合7位を獲得している。そして1988年には4ローターの13J改へ。

自然吸気のマルチローターへ進化したレーシングロータリーに対し、市販車のロータリーエンジンは如何にあるべきか?

当時のボクは、当然のように次期RX-7には3ローターNAのパワーユニットが載るものと信じきっていた。

事実として、確か1989年だったと記憶するが、13B改の3ローターをFC3Sのボンネット下に搭載した試験車が米国でデモ走行を行っていた。
極秘テスト等ではなく、マツダが公式に行ったもので、スクープではない形で報道もされている。

レシプロエンジンと違って排気バルブが無く、排気ポートが一気に開くロータリーはターボとの相性が良いと言われてる。しかし一方で、ロータリーエンジンのアキレス腱であるアペックスシールはレシプロエンジンのピストンリング程には高圧に耐えられない。つまり加給圧限界は低い。また、廃熱/冷却の問題、燃費の問題、結局レーシングロータリーがツインローター・ターボからマルチローター・NAへ方向転換したのには、相応の理由があった。

であれば、当然市販車ロータリースポーツのパワーユニットもマルチローター・NAへ?

しかし話はそう単純ではない

まず、当時のNAロータリー、国内販売は無く米国で売られていた自然吸気の13Bは150psのアウトプット。75ps/ローターである。ロータリーエンジンの場合、ローターを追加していくと、そっくりその分の出力UPが望めるということで、3ローターの最高出力は225psということになる。
1989年にマイナーチェンジしたFC3Sの2ローターターボが185ps→205ps。後の限定車アンフィニで215ps。
そうすると新パワーユニットのアドバンテージは、たったの20psもないのだ。

一方、FC3Sがデビューした当時、目だったライバルはZ30のVG30・230ps(グロス)→195ps(ネット)くらいであったが、RB20DET(180ps)、トヨタの1G-GT(185ps)、3S-GT(185ps)、三菱の4G63(205ps)と、レシプロターボの追撃は急であった。
1989年に発売されたZ32、R32-GTRに至ってはそれぞれ3L、2.6Lの6気筒にツインターボを装備して280psへ。ご承知の通りその後の自主規制によって国産車の上限馬力は長らく280psのままとなるが、1990年前後の各社の馬力競争は熾烈であった。

もちろん馬力自主規制を予見し得た訳もなく、1988~1989年頃、そういったパワーウォーズを目の当たりに、次期RX-7が3ローターNA・225~230psのパワーユニットであったとしたら、果たしてスポーツカーとして成立し得るのか?簡単に結論が出せようはずもない。

そんな「速さこそがスポーツカーの絶対的価値」であると云わんばかりの市場に、一石を投じるクルマが1989年に登場する。しかもそれはマツダから。

ユーノスロードスター(現:マツダ・ロードスター)


正にパワーウォーズ真っ只中に登場したこのオープン2シーターは、軽量コンパクトな車体に1.6リッター130psと、ハイパワースポーツカーの対極にあった。しかしながら瞬く間に世界的な人気となり、多くのメジャーメーカーの追随まで生むことになるのはご承知の通り。
速さだけがスポーツカーの価値ではない。それ以外の要素でもクルマ好きのみならず、多くの人の支持を得るスポーツカーの存在は可能。正にそれを体現した1台である。

となれば、パワーウォーズに迎合せずとも支持を得られる道は見出せる筈。
ターボを廃して燃費を向上し、マルチローターによる排気量UPで低速トルクを改善。エンジンサウンドは3ローター以降のレーシングロータリーがルマンにおいて「ジェット機のような独特のGood Sound!」との評価を得ている。
つまりはロータリーのネガティブをことごとく改善し、本来の良さを伸ばして独自の世界観を構築出来れば、ロータリースポーツの存在感を維持し続けられるのではないか?

RX-7は唯一のロータリーエンジン搭載車。RX-7の失敗はそのまま、ロータリーエンジン消滅の可能性に繋がる。失敗は許されない。
3ローターNAの次期RX-7の成功について、一定の可能性を見出せたとき、ボクの中での新型の予想は非常に強い願望となり、あるいは妄想となっていたのかもしれない。

1990年初頭、コスモスポーツがユーノスコスモとして復活するが、そのパワーユニットはボクにショックを与えた。
ついに登場した3ローターエンジンはシーケンシャルツインターボが装備されていた。
同時に下位グレード用の13Bも同様にツインターボ化されていた。

1991年、マツダのロータリーが悲願のル・マン制覇を達成する。

同じ年に直噴ロータリーの技術発表。当時、レシプロエンジンでも直噴技術は確立されていなかったが、ロータリーはレシプロに比べて燃料の噴射圧が低くても燃料の噴霧化が可能と説明されていた。

自然吸気マルチローターロータリーが得た輝かしい勲章。
燃費問題への決定打?とも言える技術発表。
ボクが考えるロータリー存続のための様々な条件が、まるで順にクリアされていくようだった。これで近く登場する次期RX-7がボクの期待通りであれば、、、


1991年10月に発表となった新型RX-7(FD3S)は、ご承知の通り2ローター・シーケンシャルツインターボだった。


ボクの描くロータリーの未来と、マツダが描くそれとは、異なったモノだという事実を突きつけられた。

問:「なぜ、最高の性能が求めら得るレーシングエンジンがNAマルチローターなのに、市販車は2ローターターボなのか?」

合理的な(私が納得出来る)回答を得られるとは、とても思えなかった。

また

『市販車レベルなら2ローターターボで十分』
『(わかり易い)最高出力値が(商売のためには)必要だから』

なんて、興醒めする答えをマツダの技術者から聞きたくも無かった。そんな悲しい答えは。


だが「新型RX-7に買い換える」と決めていたボクの心は、急な方向転換を許容できない。

FD3Sはボクにとって買えるクルマではなかった。それはボクの考えでは「ロータリーを滅ぼすクルマ」であったから。

かといってFC3Sにそのまま乗り続ける気持ちにも、もうなれなかった。


結局、FD3Sのデビューを期にボクはFC3Sを手放した。これがボクとロータリーの出会いと別れの物語。



その後、FD3Sは2002年8月に生産中止となり、ロータリーがマツダのラインナップから消えたのもご承知の通り。
同様にトヨタのスープラ、日産のGT-R、シルビア(S15)などのターボ車も同時期に命脈を絶たれた。
延命出来たのは、NSX、ホンダのTYPE-R、そしてマツダのロードスターなど、自然吸気エンジンのクルマたちばかりだ。

歴史に『もし』は無意味だが、もしFD3Sが3ローターNAであったなら、2002年の生産中止はあったろうか?
もしそのとき延命が可能であったなら、大パワーを追い時代の変化に付いて行けずに滅びた他社のスポーツカーを尻目に市場に残り、名声を高めることも出来たのではないか?

1991年のル・マンにおいて、急激なレギュレーション変更に追随出来ず、トヨタと日産は参戦を見送った。
マツダはIMS-GTPクラスという総合優勝を狙うのが困難な立場ながらル・マン参戦を続け、当然のように1991年にも参戦し優勝を手にした。

ル・マン挑戦と市販スポーツカー開発。全く異なるふたつではあるが、ロータリーエンジンを軸としたとき、そこに同じ二者択一があった。パワーを追うか?理想を貫くか?
それぞれの選択は全く正反対となり、その結果もまた、全く正反対となった、というのはもしかしたら、ボクのコジツケかしら?(苦笑)



※※※
マツダのスポーツカー造りに対して厳しい内容となってしまいましたが、決してマツダや当時の関係者を非難、批判する意図はありません。20年も前の、若かりし頃の想い、ボクの心の動きを含め、マツダロータリースポーツとの出会いと別れをありのままに記載した次第です。

RX-7生産中止の報に大きなショックを受けたのは事実ですが、既にRX-8の登場が確実視されていましたから、平静を保つことも出来ました。

FD3Sについても既に述べた通り当初は好意的ではありませんでしたが、雑誌やビデオ等でのライバル対決ではやはり応援していましたし、生産中止の後には、やっと冷静にクルマの評価をすることが出来るようにもなりました。

RX-8の生産中止も既に発表され、再びラインナップからロータリーが消滅することになりますが、マツダなら再び復活させてくれることを信じて、今は静かに待ちたい想いです。
将来の水素ロータリーの可能性にも、大いに期待しています。

唯一、ボクの心に引っ掛かっていることがあるとすれば、3ローター・ロータリーエンジンの可能性についてです。
恐らく、20年前も今も、3ローターにはボクが知らない何か市販に向けた大きな課題があるのでしょう。
「XXだったから、3ローターを採用しなかったんです。」という事実が聞ければ、きっとスッキリするんだと思います。

マツダ車のオーナーだったのはこの3年半だけですが、以来ずっとマツダのファンでありロータリーエンジンのファンであることを、最後に明記しておきます。
Posted at 2011/11/28 00:48:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ選び | クルマ
2011年11月24日 イイね!

はじめまして♪

はじめまして♪最近、15年ぶりに新車を買うことにしました。
思えば、次に買うクルマは、、、なんて漠と考えたのが10年前。今の愛車を買ってから5年後。
そろそろ買い替えを考えないと、と思い始めたのが5年前。愛車を買って10年目。
いよいよ本当に、真剣(マジ)にクルマ選びしないと、と悩み始めたのが2年前。

振り返ると我ながら苦笑いするしかありませんが、まずはそこに至るストーリーを綴っておこうと思います。

新たな愛車がなかなか決まらなかった理由はいくつもあります。
私の拘り、駐車場の問題、「10年乗れ!」という妻のプレッシャー(笑)、昨今の国産車の魅力の無さ、などなど。

順を追って紹介していこうと思いますが、どこかの誰かに興味を持って読んでいただけたら、と思います。
Posted at 2011/11/24 21:06:13 | コメント(1) | トラックバック(0) | その他 | クルマ

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「無事帰宅しました。
トロフィー争奪戦参加の皆様、お疲れ様でした😋」
何シテル?   12/08 20:22
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