
今回の旅は、前々から東日本大震災の災害地を、何も出来ませんが訪れてみたく思っていて
随分と遅くなってしまいましたが、今更ながら訪れさせていただきました。
今を見た感じでは、もうすっかりと片付けられ
整地になり過ぎなのかもしれませんが
気仙沼が始まりです
一部に、津波で使用出来なくなった家屋が放置させてもいましたが
それは、被害が少ないと言う事で、ほとんどはすっかり片付けられていました
5年が経っていますね!
気仙沼の港の周りの道路は今も工事中でした
仮設住宅にまだ住んでいる人もいるようです
道路から直接は見えない所にあり、車で走っていても気づく事は、まずありませんね
現地の人に言われなければ
私は、マンション形式に住居を早く提供すればと思っていましたが、考える事は同じで建ってました
周りは、何もない整地された土の空間でしたが
かつては、個建の住居が密集していたのでしょうね
港の周りでは、日曜日なので子ども祭りのようなのも開催されていましたが
そこそこ人も来ていて、バスも
けれど、大賑わいと言うわけではありませんね〜
気仙沼市から南三陸町へ南下していると、国道には
「ここまで津波が到達しました」との看板が度々あります
運命の分かれ道
今後の津波の目印ですね
南三陸
整地された海岸線で目に飛び込んできたのは
あれは、最後まで避難の放送をしたという
南三陸町舎ですかね
今は、これだけが津波の凄まじさをここにとどめているような
更に国道を進むと
岸辺で釣りを楽しむ人を、ちらほら見かけます
ここも海かと思っていましたが、いつの間にか川
想像より大きな川です!
北上川
この先の大きな緑色の橋を渡った所が大川小学校
大川小学校は、橋を渡って左に曲がってすぐ
あまりにすぐの所にありました
奥の慰霊碑から戻ってくる人も
なんと西洋人の団体でした
しかし、大きな千羽鶴を抱きかかえ
それが、まるで子供を抱きかかえているような
どのような関係なのかは全くわかりませんが、深い慰霊でみえている事は間違いない
今も、深い慰霊の場
手前に焼香台が設けられていました
静かに風で、リンが鳴ります
手作りで寄贈されたような作りです
奥には、この小学校や地域で犠牲になった名前が刻まれた慰霊碑が出来ていました
ここに来て初めてわかったのですが
すぐ山になっているのです❗️
なぜ、ここに逃げ込まなかったのか❓
校舎のすぐ横です
更には、国道398号線を登って行く事も出来ます
この国道を今回登って行きましたが、結構な峠になっています。
チェーン装着場もあり
今だから言える、たらればですが
横がすぐ山なのになぜ逃げ込まなかったかと同じ思いはあるようです
今は更地ですが、当時は小学校の周りに家もあり、様子は随分異なっていたようです
松島は松島湾の島々で津波の威力が弱められて幸い2メートル位で済んだ
私は、今回の仙台を中心として北は岩手県にまで足を延ばしましたが
秋保温泉のホテルでも
アジアの旅行客に1度も会った記憶がありません(・・;)
イングリッシュを話す西洋系の方々は、仙台市内を闊歩もしていましたし
札幌よりも、西洋人は多い感じでしたが
仙台観光マップにも、欠けた漢字文字やおでん文字が併記されていて
温泉ホテルやお店でも、イングリッシュよりも、欠けた漢字文字やおでん文字が目につくほどなのに
アジア人を見ない(°_°)
札幌では、街中ではとても目につきますし
温泉地では、半分くらいがアジアからの客
それなのに、ほとんど居ない
私は全く見ていない
原発の風評なのでしょうか❓
だから、活気がイマイチな部分もあるか
でも、特に特定アジアから見れば、おばちゃまの団体は、まだ楽しく
東北地方は、懐かしい日本を体験出来る貴重な場所かも❗️
だからチャンス🎵
どんどん遊びに行きましょう(⌒-⌒; )
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Posted at
2016/06/30 23:49:09