
この頃から文字による記録もハッキリして、現在の日本に繋がる骨格が決まった、中央集権国家作りが進んだ時代
もっとしっかりとした国づくりをしないと外国から日本を守れないと言う必要性
明治維新のような!
日本国の国家を形成した飛鳥時代
この時代に、
世界に国名を「日本」と、また「天皇」を名乗り出た!
まずは、
蘇我氏から、家系図の通り天皇を輩出した家系
母系として聖徳太子をも輩出
しかし、天皇の男系の血筋ではないので、蘇我氏は天皇にはもちろんなれない
それが、乙巳の変を引き起こす
それは、最後にして(^_^;)
なぜ、蘇我氏が台頭したかと言えば、仏教仏具伝来
蘇我氏は、仏像や仏具作りの一族で、原価の数百倍で売りつけ財をなしww
仏具で天皇に近づいて
ちなみに蘇我氏の対抗馬は、元からの神道を守り仏教反対の物部氏
さて、飛鳥時代は蘇我氏の流れの、
初の女性天皇である推古天皇が即位が決まった592年に飛鳥へ都が移されてから始まる
推古天皇は、すぐに甥の聖徳太子を皇太子にし政治を任す
604年世界初の成文憲法発令 十七条憲法
憲法と言う言葉も聖徳太子が初、作った?
607年遣隋使 小野妹子が聖徳太子が書いた国書を携える
日本は、大帝国の隋とも対等の独立国だと主張❗️
隋の皇帝を激怒させて、翌年これで収めた
この時から、「天皇」と言う呼び名となる、以前は大王とか
仏教寺院が建つ 法隆寺
裏に、この釈迦像は、聖徳太子に似せて作ったと書いてある

銘文を有する日本最古の仏像
聖徳太子が亡くなり、推古天皇が亡くなった628年世継ぎ争い
聖徳太子の息子が即位の予定が、蘇我入鹿によって自害へ
息子の山背大兄王は、国が乱れるよりも死を選んだ643年
今度は、645年蘇我入鹿を中大兄皇子が自ら殺害
聖徳太子の死後、蘇我一族は好きなように暴れていましたが、この一件で蘇我氏滅亡ww
父の蘇我蝦夷も自ら館へ火を放った事で、日本の当時作成されていた国の歴史書も消失❗️
それが、
古事記作成の必要性になります
古事記には、国外向けの日本書記には書かれていない、「国譲り」が書かれています
国譲りとは!
縄文人も弥生時代になると、世界情勢が戦国へになり、武装して広い地域を支配する必要性が生まれ
出雲を中心として支配したのが、「大国主」
その大国主に、国を譲れと( ̄O ̄;)
その理由が、日本の独自の根本になっている❗️
武力で支配すれば、次々と武力闘争が起きる
そして、その支配者に支配される民は奪われる存在
そこで、知國「知らす国」
日本に住む民、全てに知らせて
知らせる事で、皆で協力して国を作っていく
それが、日本の教育レベルが、民でも古くから高く
諸外国を大戦前に統治していた時も、教育をほどこす事で統治した
日本では、民衆は「おおみたから」
飛鳥時代に戻って最後は、
大化改新❗️
元号は「大化」日本で初めての元号
646年 改新の詔を発布
これで決まった事は、奴隷の禁止
姓を漢字2文字にする(地名も)
お墓を簡素になど、現在に通じる日本独自の制度を明文化
古墳の時代の完全終了❗️
663年 白村江の戦いでボロ負けして、朝鮮半島から完全に手を引く
百済からも日本へ引き上げ(帰化人、元々は日本系で朝鮮半島で生まれ育った人々)
670年 日本初の全国的な戸籍作成(庚午年籍)
672年 壬申の乱
銭、お金も誕生
飛鳥時代の後半、奈良時代が目前ですが、かなりの中央集権の基礎が出来ました!
税制度もww
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Posted at
2018/07/10 17:47:44