
北海道白老のウポポイ
アイヌの国立博物館です〜
いや、
本物のアイヌの砂澤ビッキの息子曰く
ウソポイですww
オープンがコロナの影響で伸び伸びで、未だグランドオープン出来ていませんが、100台以上駐車出来そうな広大な駐車場には
かなりの車と交通整理員が
地元民へ内覧が始まっているようでかなりの車も朝早くから入場していました
オラは駐車料金だけで田舎で500円が馬鹿らしくて素通り〜
ここへ来た本来の目当ては近くのお菓子屋さん^ ^;
この白老のお菓子屋さんは素晴らしく
行くたびに新製品やら
価格もリーズナブルで美味しい♪
従業員が福祉施設の位置付けも実は有ります
ウソポイには行く意味はありませんが~
スィーツや白老バーガーなど食を求めに白老に行く価値は結構あります❗️
ウポポイ内でも、このお店「ななかまど」は出店しているそうですがー
ドライブしていて気づくと
もうすぐ14万キロ〜
実は叔母さんの四十九日の供物を持って行ったのがメインの目的でしたが
現地に着くと
14万と1キロでした( ̄∀ ̄)
キリ番逃したww
お昼は、いづみ亭のお蕎麦は美味しかった♪
さて、全く価値の無い国立博物館で
ひときわ目を引くのが
朝日、毎日と並び日本の反日新聞の北海道新聞から
それは、
北海道アイヌでなく樺太アイヌのもの( ̄▽ ̄;)
正しい事を言っているとも言える
アイヌは、そもそも樺太に住んでいた民族❗️
何度もオラのブログでも書いているが、800年前に元(モンゴル)がシナ大陸を治め、果ては欧州まで制覇していて、チョン賤人がモンゴルの威を借りて日本へ攻めた
蒙古襲来の鎌倉時代
樺太では、ギリヤーク(ニブフ)がモンゴルの威を借りてアイヌを攻めた
アイヌは樺太から追い出され北海道へ逃げてきた
それが鎌倉時代で、800年前
基本的にそれまで北海道にはアイヌはいなく
別に縄文人から北海道に住み続けた民がいた、例えばオホーツク人
それが、一気にアイヌが北海道へ難民としてきて
それから北海道はアイヌの地となって
アイヌも元から北海道へ住んでいた民も、元は縄文人で争いをしない民で融合した
ウポポイに展示されている
マキリ
アイヌを代表する需要展示物
これはアイヌの包丁
厚みもあり魚も捌ける
刃物もアイヌは神、カムイと言う
でも
マキリの鞘とか柄の木彫はアイヌの技術
しかし、肝心の
鉄の刃物はアイヌは作れない❕
技術がない和人から手に入れる
アイヌは、縄文時代のまま現代まで、そのままで暮していた縄文民族
アイヌは、
そのアイヌが亡くなった時に、そのアイヌが生前使用していたマキリなどにキズを付けて、一緒に埋葬するとゴールデンカムイで言っていた
これは非常に縄文研究上重要なヒント
縄文土器、土偶類
全てと言っていいくらい
殆ど発掘された縄文土器類は、
破壊されている
これは、
大きな縄文の謎だった❗️
アイヌは、死者があの世で困らないように、使用していた品を壊して、壊せない物は傷付ける事で
品々も死者と共にあの世へ送っていた
アイヌも縄文人の子孫である
なるほど!
だから縄文土器や土偶などは壊されて見つかるのか!
アイヌは1万年ほど前に分かれ樺太に、北海道を含めた日本列島とは独立した言語、文化を育んだ縄文人
1万年遡れば、台湾もフィリピンも環太平洋諸島、北アメリカのインディアン、南アメリカの原住民も、縄文人
元(モンゴル)の侵攻によりアイヌは、北海道への移民で日本人になった‼️
南樺太が日露戦争後に日本領と正式になった事により、樺太アイヌも含めて日本人となった
強制的に北海道へ移住させられた樺太アイヌも近代いたが、太平洋戦争後にアメリカの聞き取りで、アイヌは自ら日本人となる事を望んだ
1万年前の狩猟を主体とした縄文人のまま、樺太から北海道に800年前から住んだのがアイヌ
あまりに文化発展が少なく縄文時代のままだったので、ほとんどの人が北海道に住んでいた縄文人だと思うww
確かに混血しているので、北海道縄文人の末裔の血は混じっているが
アイヌの風習文化は、北海道縄文人の末裔よりも
樺太アイヌ
なので、
ウポポイの展示も遡れば、基本的に樺太アイヌに起源を持つ
ブログ一覧 |
アイヌ | 日記
Posted at
2020/06/14 21:16:00