
ゴールデンカムイのチェックインスポットでもある旭川市博物館へも寄ってきましたー
遊びだけで富良野、旭川へ行ったわけではありません(^_^;)
旭川市博物館は平成5年にアイヌ文化の紹介を中心にした展示にリニューアルしたそうです
そこには、
アイヌを知っているオラから見ると、ウソだらけの展示
でも、
アイヌを知らない人が見れば騙される展示ww
アイヌを先住民と事実とは違うけど、そう誤解させるように❕
まずは、アイヌは北海道先住して、
水や獣を神々として祈りと共に生きてきたと
一般的に広められているアイヌのイメージ展示
皆さんのほとんどが、そのようなイメージでしょう
まず始めに展示されていた年表
12世紀までは擦文文化で、13世紀になると北海道全土がアイヌ文化になっている
なぜ、一変したのか⁉️
自然の神と共に生きる祈りアイヌと紹介されて角を曲がると
壁一面に、アイヌと大モンゴルとの戦いの歴史が表示されていました!
ここには
1264年から戦いの歴史が書かれています
先ほどの
13世紀からアイヌ文化に北海道がなった同時代です!
その頃日本は鎌倉時代で、弘安の役などで同じくモンゴルと戦っていますよね
この壁の前の像
龍の刺繍の着物で、なるほど戦った元のモンゴル人は、こんなだったのかと思いましたが
実はこれが
アイヌのリーダーだと言うのですww( ̄▽ ̄;)
今まで描いていたアイヌのイメージとは全く違いますー
奴隷も持って
見慣れているアイヌ文様の衣服ではありませんww
アイヌ文様と言われているのは、単なる婦人のパッチワーク
そしてアイヌは、
北海道よりも宝物がある樺太へ向かった事になっていますww
樺太からモンゴルによって追い出されたアイヌが、あべこべに樺太に進出したストーリー( ̄◇ ̄;)
これが、
ウポポイの前身の公の博物館ww
要はモンゴルに降伏したけど
アイヌは大陸にまで渡って、村々を襲いww
略奪を行なっていたと( ̄▽ ̄;)
それって、
アイヌって、なまら悪者でないか❗️
神々がとか、祈りがとかと正反対‼️
今のイメージは全て騙されているww
つまりは、
アイヌは樺太で素行が悪すぎて、北海道へ追い出された部族
それは樺太に住んでいた部族はアイヌだけではない❕
更に角を曲がると
北方民族!!
アイヌ文様だと思うでしょう
よく見て下さい!
全てアイヌではない(・・;)
実は樺太には、アイヌの他にも部族がいて
それぞれの独自性もあるが、基本的にはアイヌ文様と今言われているものは
北方民族の文様
アイヌだけではない‼️
樺太には、アイヌと言われる部族、それも分かれいるらしいが、また、別の部族も暮らしていた
更に言うと戦後日本へは、樺太アイヌの他にもこれらの北方民族も移住している
どうですか?
今までのアイヌのイメージが、全く違うものでは
施設では、ここから地下へ移動します
アイヌを先住民扱いしている博物館ですが
これが、
本当の先住民の跡
縄文土器 1万年くらい前から〜
アイヌの物は13世紀で、遺跡ではない
北海道でも遺跡は数多くあるが、それは
全てアイヌの物ではない
説明はアイヌと思わせる様に書いてあるけどww
そして、これが重要
擦文時代の暮らし
1,200年前から600年前❗️
わかる❓アイヌが樺太から追い出されて難民として北海道へ来た時に
北海道には、擦文時代の人々が暮らしていた‼️
さあ、その人たちはどうなったか❓
あの
大モンゴルのシナの元とも戦い、村々を襲い、略奪して暴れていた集団が北海道へきて
一気に北海道がアイヌ文化に変わった
男は殺され、女は犯され
それ以外、説明のしようがない
アイヌは樺太や間宮海峡で繋がる大陸側でも、村々を襲い、略奪して暴れていた集団
そんな犯罪集団が、今でいえばISかヒスボラかアルカイダか~
樺太から大モンゴルに降伏して、樺太から追われて北海道へ大挙して難民として来たのが、北海道アイヌと言われる集団
先住民と言えず
むしろ、先住民を殺し、壊した集団( ̄▽ ̄;)❕
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アイヌ | 日記
Posted at
2020/08/13 20:19:47