
よく知られている、この聖徳太子の肖像画とされている絵は、少なくとも死後100年ほど経った8世期の奈良時代に描かれた❕
つまりは、想像画で本当の姿か、似ているのかも疑問w
聖徳太子を救世主のようにまつりあげた勢力があった!
当時、圧倒的に朝廷に力を持っていた藤原氏
藤原氏の祖は
中臣鎌足、中大兄皇子と共に宮中で、当時圧倒的に力を持っていた
蘇我氏の入鹿を暗殺し蘇我氏を滅ぼした
蘇我氏は、
のちの聖徳太子のその一族をことごとく討ち取り、滅亡させたとされていて
藤原氏は、蘇我氏滅亡を正当化させるために、偉大な聖徳太子像を出現させ、蘇我氏を悪役に仕立てた❗️
一度に10人の話を聞いたとかの逸話は、
全て藤原氏の作り話し(・_・;
それで、ここから本題(´・∀・`)
日本の歴史上最も偉大な人物ともされる一万円札の聖徳太子
近年教科書では、
厩戸皇子(うまやどのおおじ)と紹介されている出生の秘密
系譜からも、もちろん厩戸皇子は実在していた❗️❓
なんと、
1月1日に生まれているww
ほんとかね?
更に出生のエピソード
西方もポイントで
「世を救いたいという願いがある」
あれ、どこかで聞いたような話し(´・∀・`)
馬小屋、処女堕胎、救世主
そう‼️
キリスト誕生物語ww
だが、ここで驚くべき事実に気づいた(・_・;
厩戸皇子が本来の呼び名だとすると、聖徳太子と持ち上げられる前に、既に何らかの意図を持って名付けられていた
おそらく聖徳太子が生きていた時代、その前からの権力争い
また、蘇我氏は仏教、蘇我氏に敗れた形の物部氏が神道のみ
厩戸皇子派は、キリスト教推進派だったかも?
でも、残ったのが仏教で厩戸皇子では具合が悪いww
厩戸皇子を知らしめた教科書は、秘密の箱を開けたようなもの
前回ブログにもした話題の中東と日本の繋がり
聖徳太子の母は、ペルシャ人だった(; ̄ェ ̄)
父親は天皇で、ペルシャ系と天皇のハーフ
聖徳太子の従兄弟の肖像画が異様
鼻が鷲鼻、お面も明かに鷲鼻
聖徳太子の母親の祖先は、朝鮮半島の辰韓から来た秦氏とも言われる
その朝鮮半島の辰韓のシンは秦
オンが同じで、別な漢字を当ててオブラートに包む
日本人の名でも、同じ読みなのに、漢字が違うのがよくある
そして、ここも大事で、飛鳥時代頃に朝鮮半島から技術者とか渡ってきたけど、渡って来たのは、一時的に朝鮮半島へ逃げて移住していた人達
飛鳥時代にはもう辰韓はなく、日本と白村江で戦った新羅に変わっている
ここで更に面白いのは、辰韓をつぶした新羅との戦いで、総力戦を日本がわざわざ朝鮮半島へ渡ってしたのは、厩戸皇子系が辰韓出身者だったからかも?
その辰韓ルーツは、シナ大陸で紀元前778年から存在し、紀元前221年に史上初めて全土を統一した秦の始皇帝のシン
秦の始皇帝も鷲鼻、父親の名は「異人」ww
西方のペルシャ人の顔だと言う

あの有名な始皇帝の墓の兵馬俑は、ペルシャの外来文化
日本の埴輪もペルシャの影響?
京都祇園祭の山車にペルシャ( ̄◇ ̄;)
特に天皇家の伊勢神宮周辺の神社にユダヤのダビデの星
日本、天皇とペルシャの繋がりは否定出来ません!
そう言えば、今上天皇も平成天皇も鼻が特徴的な、鷲鼻っぽいですよねー(・Д・)
シュメールとも
古代メソポタミアから繋がる16菊花紋
フセインのはめていた指輪が16菊花紋だったとか
キリスト、ブッタ、マホメッドは同時期に中東で誕生している
今は全く別物とされているが、元は異常に共通している
それらの文化が日本へ渡って来たと同時に、ペルシャの人も日本へ、しかも朝廷、天皇家周辺に入り込んだ
それが決定的に分かるのが、厩戸皇子誕生物語
古代イスラエルと繋がりがあるかもとかもありますが
それはここではほとんど問題にしない(^_^;)
そんな事より
現在においてペルシャと完全に繋がっていると思わされるのが、ペルシャとシナの間に日本人とそっくりな人々が住む国がある
キルギス
女性の方が日本人とかなり似ているか!!?
和人は混血、ペルシャ地方との繋がりも大きい
日本は世界でも稀なくらいキリスト教の影響が少ない国だと思うんだけど
イエス キリストには、親近感ない❓(⌒-⌒; )
オラは何か自然に近い感じが
キリストは何人(日本人にも見える)の顔?
オラの従兄弟で、吉田拓郎ファンで長髪で真ん中から分けていて
若い時にキリストそっくりだった(^_^;)
Posted at 2020/01/12 11:53:13 | |
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