
キッシーは増税の話しばかりですがww
経済学で国民の生活は豊かになるのか、節約ばかりの暗い生活に落ち込むのか
江戸時代に極端な実験が行われている
5代家綱の時代、ケインズを200年以上も先取りしたとも言われる荻原重秀
世界が第一次世界大戦を終え、世界恐慌を経て金本位制を脱し信用通貨システムへ移行したが、荻原は江戸時代に貨幣は国家が作る所、瓦礫をもって代える事が出来ると
実際には瓦礫と言うわけにはすぐにはいかず、金の含有量を3割減らした「元禄小判」へ改鋳
その減らした3割分は蓄えたのではなく、小判の発行を増やした「金融緩和政策」
これにより物価の上昇、インフレが起こったと悪名で伝わっているが、元禄と言えば
実際には最も華やかな元禄文化が花開いた❗️
次の6代家宣のブレーンとなった有名な大学者新井白石は、荻原重秀を嫌って強烈なネガティブキャンペーンを行い死へ追い込む
金の含有量を元に戻し、これにより市中の貨幣流通量が減り、インフレからデフレの時代へ、不景気となったww
7代家継が3歳で将軍へ、新井白石が引き続き実際の政治を執り行うが収入76万両に対し支出140万両で幕府財政は大赤字ww
3年わずか六歳で亡くなり、8代吉宗「享保の改革」へ
新井白石で財政が結局悪くなり解任し、自ら様々な改革を行う
財政立て直しのために緊縮策をとり、自らも率先して粗衣粗食、庶民にも贅沢を禁じる
しかし、これは結果的にデフレを助長するだけの悪循環ww
この政策に対して真っ向から逆らったのが、尾張藩主徳川宗春、庶民に贅沢を奨励し、自らも散財、尾張藩の城下町、名古屋は空前の繁栄
面目丸潰れの吉宗は、宗春を蟄居させ一生監禁(; ̄ェ ̄)
優秀な人物こそ、成功者への恨みが異常ww
年貢を収穫高に応じてから豊作凶作にかかわらず一定量納める制度に変え安定収入を目論み、新田開発にも成功するが、米価安に苦しみ
吉宗は米価引き上げに腐心して「米将軍」と異名を付けられるww
結局は、荻原の元禄小判に模し含有量を減らす改鋳、また鉄銭(寛永通宝)を大量鋳造で通貨供給量を増やす事で米価が上がり幕府財政が黒字になった( ̄ェ ̄;)
初の御三家である紀州藩から将軍を出す際、吉宗は多数の紀州藩士を幕臣に、また才能あるものを取り上げた
その中に、10代家治の老中田沼意次の父がいた
意次は悪化していた財政を立て直す為に、米中心の経済から、商業振興策へと転換を図り、幕府の財政は大いに改善され、社会の景気も良くなり町人文化も花開いた
蝦夷地の千島列島や樺太までへも探検調査隊を派遣して、鉱物資源調査などしている
意次の経済政策をさらに推し進めていれば、経済は飛躍的に発展していた可能性が高く、世界に先駆けて資本主義時代に入っていたかもしれないと評価が高いが、政敵である松平定信に追われる
11代家斉に代移りし政治は幕臣たちに任せて大奥に入り浸りww
老中が吉宗の孫、松平定信が実権を握ると「寛政の改革」を行った
それは経済中心の意次の近代的政策を憎み、祖父吉宗が行った米と農業を基本とした政治に戻し
干拓事業の中止、蝦夷地調査も中止され、農民や町人に至るまで厳しい倹約を命じ
学問や町人文化まで口出し取締した
定信の理想主義は現実と乖離したもので、6年ほどで失脚
定信が失脚した後は、家斉も贅沢三昧な生活を送り、社会も再び活性化、「化政文化」と呼ばれる町人文化も隆盛した
贅沢や商業振興、金融緩和は敵か⁉️
倹約や風紀規制は美徳なのか⁉️
理想と現実
倹約は景気を悪くする
江戸時代の政策の変化と景気状況を俯瞰する事で、現在の政策をどう舵を切るべきか大いに指針になるのではないか❗️
経済的手腕を振るって景気を良くした荻原重秀、田沼意次それと徳川宗春はいずれも後に政敵に苛烈な処分を受けた
また、歴史の教科書でもどちらかと言うと悪名を着せられている
この評価は、日本を貶めようとする計画の罠なのか、それとも倹約を美徳とする国民性からなのか
百田尚樹氏も、意次の失脚は「改革者を蹴落とす」という日本的な嫌な部分をみるようであると書いている
Posted at 2022/12/22 23:01:08 | |
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経済