
お盆休みを利用して、北海道の現代へ礎の地「上ノ国町」の勝山館跡ガイダンス施設へ行ってきた
勝山館の成り立ちについては、前々回書かせてもらった
勝山館は、夷王山(いおうざん)にアイヌからの攻撃を防ぐ目的で作られ、後の主が松前城を築城するので、当時、内地人の本拠地であったと言えるだろう
まあ、ガイダンス施設は入場料200円で、興味の無い人には面白みがないだろけど(⌒-⌒; )
この建物は、夷王山、勝山館の後方に墳墓群が広がっていて、その墳墓群の発掘した一部の墓の上に、盛り土をして建られている
そのお墓の中から出てくる物で、当時の暮らしぶりがわかる
夷王山(いおうざん)には、1000を越える程の墓があるのだけれど、その中にアイヌの墓があった
アイヌでない人は、仏教様式で葬られているが、アイヌの墓はアイヌの人達の様式で葬られている
これは、
常識を覆す事で
アイヌと敵対していたばかりではなく、共に生活していた事を現す
しかも、剣や漆器が一緒に納められ
不思議なのが、一つの墓に二人
片方は、耳飾りがあったので女性
不可解な感じもするが、アイヌを防御する勝山館の中にアイヌの人達がいたと思われると
ここから、本題になるんですがf^^;
アイヌは日本人か?
それには、
日本人とはを考えなくてはなりません
少し調べると、イメージとは裏腹に多様な混血
でも、基本は元々、
縄文人が住んでいた
そこへ、農耕を行う弥生人が南方から、またその他入ってきた
弥生人が縄文人を追い出してはいったんだろうけど、長い年月で交わった
アイヌも元は、縄文人
だから、
アイヌも日本人と言ったらいいのか、日本人!だと、断言したい
アイヌは北へ逃げたか住んでいて、農耕には向かない気候だから弥生人と交わらなかった
面白い事に、アイヌと沖縄の人のDNAは似ている
確かに、顔のほりとか似ている感じ(縄文型らしい)
どちらも、弥生人と交わりが少なかったから
それにしても、日本の北と南がDNAではっきり近いし
けど、本土日本人ともDNAがそんな離れている訳でない
混血度合いが少ないからとも言えるかも?(本土日本人は混りが多い)
北の縄文人は、半年雪だし、狩猟民族となった
書いて残す事が、物理的に向かないので文字をもたなかった
そして、
800年前に「アイヌ文化」が生まれた
で、アイヌは先住民族か?
オーストラリアのアボリジニと同じく先住民族と言うには、
明かに違う
元々は、同じ縄文人
北から南までね(DNAで証明)
日本人であり、独特の文化を作ったと言う事
アイヌが先住民なら、日本人は皆、先住民(⌒-⌒; )
八百の神を崇める精神性も同じでないかな!
ただ、狩猟民だったから、内地人が来て自由に猟が出来なくなったのは当然、不満
沖縄が本土と一線を引く感じなのも、ここら辺の影響があるのかと思ったり
でも、日本人は沖縄北海道以外の地方ごとにも似たような民族的な違いもかつてはあって
同じように、いざこざもあって
しかし、最後の最後の明治維新やらで、殿様までも国民をすべて平等にして
それまでの、既得権益を取り上げられたんだよね
アイヌばかりでなく
アイヌの人だって、世の中の変化の中で、文字も必要だし、そのままの生活と言う訳にもいかない
全て、日本国民とされたのは
日本にいたら、しょうがない(⌒-⌒; )
日本人は、そう言う世界に誇れる人類平等の精神性の高い国民だから
なんたって、世界に向かっても、奴隷の廃止や植民地の廃止
人類皆平等の精神で、ほとんどの世界列強相手に戦争までしたんだから(⌒-⌒; )
北海道沖縄開発庁が置かれたのも、日本を平等にという発想では当初は出来たんだろうな
などと、お盆休みは頭の中であれこれ考えてみました
簡単に端折ったけど、詳しく書けるわけでもなくf^^;
反論されても困りますからね!(⌒-⌒; )
Posted at 2015/08/19 21:59:53 | |
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