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ホワイトコウキのブログ一覧

2016年09月23日 イイね!

偉人 小野田少尉

偉人 小野田少尉小野田さんは、我ら中年であれば誰もがご存知でしょう

フィリピンのあまり大きくない島で、戦争が終わっても任務解除の命令が届かない為に、その後29年間ゲリラ活動を続行し続け

まさに最後の最後まで戦い続けた日本兵❗️


この話題は、小学生だった私でも、その時の模様は目に焼き付いています!



帰国後の共同記者会見で、一番嬉しい事は両親が生きていた事と話す、どう見ても気のいいおじさんにしか見えない思えない(⌒-⌒; )


その後は、ブラジルへ行ったとか、市会議員?になったとか断片的に名前を忘れかけた頃に聞こえていた

私が小野田さんを強く意識したのは、1年前くらいのテレビ番組で

小野田さんを帰国に導いたのは、一人の若者がきっかけとなったと言う面白い話♪

その青年、鈴木さんは「小野田さんとパンダと雪男を見つけるのが夢」(⌒-⌒; )

こんな鈴木さんが小野田さんの運命の人になった!

小野田さんが30年ぶりに日本の地に足を、飛行機のタラップに立ち出迎えの群衆に手を高々と上げ応える



その横にラフなシャツ姿でいるのが鈴木さん!



フィリピン・ルバング島のジャングルに小野田少尉がいまだゲリラ活動している事は、知られていた
しかし、親、兄弟をも現地へ赴き呼びかけても姿を見せる事はなかった

すべて、敵国のかく乱作戦だと考え、また、自分の任務が解除されていない

任務解除まで、戦闘を中止することはできないと鈴木さんへ伝え
そこで、鈴木さんは当時上官だった人を引き連れて、再度ジャングルへ

そして、戦闘解除命令



この小野田さんの神妙な顔^^


母親から、捕虜の恥ずかしめを受けるおそれのある時は、小野田家の名誉を辱めるな!
潔く自害せよと伝来の短刀を渡され戦地に赴き

軍の命令は、玉砕すべからず、一人で残っても戦え!



小野田さんは、日本が戦争に負けた事や東京オリンピックが開催された事もラジオを入手して知っていた


現地の牛などを奪ったこと、フィリピン兵と戦闘し数十人倒したこと

これらをもって、小野田さんを誹謗中傷する人や書き込みもある

小野田は反撃を恐れて出てこれなかったんだと!



小野田さんは、帰国後政府から見舞金100万、その他全国から見舞金として送られた義援金の全てを靖国神社へ寄付する


自分の事しか考えない人が、ジャングルから出て来て無一文なのに見舞金を拒否し義援金全てを寄付するだろうか?

それは、小野田さんを誹謗中傷する人々の情けない世界観でしかない!

しまいには、「軍人精神の権化」「軍国主義の亡霊」とレッテルをはられ
小野田さんは、戦後の日本社会のWGIPに洗脳された国民のとの軋轢に疲れ

帰国後1年あまりで次兄のいるブラジルへ
日本と地球の反対側へ、人と関わらず牛と暮らそうと



そして、ブラジルで10年を経て牧場経営を成功させた!( ̄ェ ̄;)

これって、トテツモナく凄い事じゃない!
だって、22歳から30年間ジャングルで戦闘行動をし続けていたんだよ!

52歳で帰国して、誰もが世間知らずと思ったと思うよ!

オラは、社会に出て働いて30年近くたって、もう後は消化試合で老後とか思ってるしww

でも、小野田さんはそれから事業を成功させたんだ!
オラ達が社会で経験を積んでる期間は、ジャングルで暮らしてたんだよ自給自足で!

もう信じられない

奇跡としか言いようがない!!



更に小野田さんは、日本の少年犯罪に心を痛め、「祖国のため健全な日本人を育成したい」と牛育成から日本人育成へ(⌒-⌒; )

子供達へはサバイバル塾「小野田自然塾」を主宰

また、講演や各種委員、理事も勤め保守系の活動家とも言われるほど

また言うけど、52歳までの30年間ジャングル暮らしだから!


小野田さんは、平成26年1月に亡くなられています

日本、いや世界の知の巨人、同じ30年間は本ばかり読んでた渡部昇一とも対等に対談してるし立派過ぎるww

小野田さんは、中国語と英語が堪能で18歳から貿易会社に勤め上海で働いていたんだよね数年



この小野田さん穏やかで、優しい物腰、それをサイコパスなどと批判するものたちがいる


小野田さんは、日本人の戦後の変化、WGIPにもジャングルにいたから洗脳されずに済んだ

戦前からタイムスリップして来た!


日本のWGIP、自虐史観を打ち壊すために降りて来たとも思える

靖國、大東亜戦争の意義を語り、慰安婦とやらを論破します


それだもの、所謂サヨク達は小野田さんを貶めようと必死になるわな!


また、小野田さんは、日本のみならず世界でも有名なのです!



”2009年に小野田の話が中華人民共和国のウェブサイト『鳳凰網』歴史総合ページで紹介されると、「真の軍人だ」「この兵士の精神を全世界が学ぶべきだ」「大和民族は恐るべき民族。同時に尊敬すべき民族」などの賞賛する書き込みがあり、肯定的に評価する投稿の方が若干多かった。反日的な意見が多い当該ウェブサイトのコメント欄では、異例の反応であった。
2014年の小野田死去に際し、ニューヨーク・タイムズは、「戦後の繁栄と物質主義の中で、日本人の多くが喪失していると感じていた誇りを喚起した」「彼の孤独な苦境は、世界の多くの人々にとって意味のないものだったかもしれないが、日本人には義務と忍耐(の尊さ)について知らしめた」とし、小野田が1974年3月に、当時のフィリピンのマルコス大統領に、投降の印として軍刀を手渡した時の光景を、「多くの者にとっては格式のある、古いサムライのようだった」と形容し論評した。
また、ワシントン・ポストも、「彼は戦争が引き起こした破壊的状況から、経済大国へと移行する国家にとって骨董のような存在になっていた忍耐、恭順、犠牲といった戦前の価値を体現した人物だった」とし、多くの軍人は「処刑への恐怖」から潜伏生活を続けたが、小野田は任務に忠実であり続けたがゆえに「(多くの人々の)心を揺さぶった」と論評した”



小野田さんの銅像を靖國神社に建てよう!


小野田少尉は、世界の偉人100人に選ばれると思うし、もう聖人の域

”戦時中に自身が体験した人間が持つ潜在的な能力にも触れている。本当に命を賭けなければいけないと必死になった瞬間、頭が数倍の大きさに膨らむ感覚と同時に悪寒に襲われ身震いし、直後、頭が元の大きさに戻ったと感じると、あたりが急に明るく鮮明に見えるようになったという。「夕闇が迫っているのに、まるで昼間のような明るさになりました。そして、遠くに見える木の葉の表面に浮かぶ1つ1つの脈まではっきり認識することができました。そうなると、はるか先にいる敵兵の動きも手に取るように分かります。それこそ、相手が射撃をする直前にサッと身をかわして銃弾を避けることさえできると思いました」 。命を賭ける場面が、命を賭けなくても大丈夫だという自信に変わった瞬間だったという。
また「直進する物は物理的に見えるんですよ。(中略)真っ直ぐ自分のほうに伸びてくるんだから見えます。(中略)撃たれたときは、火を噴いている銃口から見えた。(中略)相手の突きを避けられるのだから避けられますよ。」と語っている。自身の著書である『小野田寛郎―わがルバング島の30年戦争』でも、銃弾は飛んでくるとき蒼白い閃光を放つから、それを避ければいいと語っている”

こんな日本兵が沢山いたんだから、世界は日本に勝てないわな(⌒-⌒; )



たけしさんも、小野田さんについて



後半に小野田 寛郎(ひろお)さんの、戦後60年、82歳の高齢になってもなお凛とした演説が収録されています。


開戦の詔書 (昭和16年12月8日)

 天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス。

 朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス。

 朕ガ陸海将兵ハ全力ヲ奮テ交戦ニ従事シ、朕ガ百僚有司ハ励精職務ヲ奉行シ、朕ガ衆庶ハ各々其ノ本分ヲシ、億兆一心国家ノ総力ヲ挙ゲテ征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ。

 抑々東亜ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄与スルハ、丕顕ナル皇祖考、丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ、朕ガ拳々措カザル所。

 而シテ列国トノ交誼ヲ篤クシ、万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ、之亦帝国ガ常ニ国交ノ要義ト為ス所ナリ。

 今ヤ不幸ニシテ米英両国ト釁端ヲ開クニ至ル。洵ニ已ムヲ得ザルモノアリ。豈朕ガ志ナラムヤ。

 中華民国政府曩ニ帝国ノ真意ヲ解セズ、濫ニ事ヲ構ヘテ東亜ノ平和ヲ撹乱シ、遂ニ帝国ヲシテ干戈ヲ執
ルニ至ラシメ、茲ニ四年有余ヲ経タリ。

 幸ニ国民政府更新スルアリ。帝国ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ビ相提携スルニ至レルモ、重慶ニ残存スル政権ハ、米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ、兄弟尚未ダ牆ニ相鬩クヲ悛メズ。

 米英両国ハ、残存政権ヲ支援シテ東亜ノ禍乱ヲ助長シ、平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス。

 剰ヘ与国ヲ誘ヒ、帝国ノ周辺ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戦シ、更ニ帝国ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ与ヘ、遂ニ経済断交ヲ敢テシ、帝国ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ。

 朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ回復セシメムトシ、隠忍久シキニ弥リタルモ、彼ハ毫モ交譲ノ精神ナク、徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ、此ノ間却ッテ益々経済上軍事上ノ脅威ヲ増大シ、以テ我ヲ屈従セシメムトス。

 斯ノ如クニシテ推移セムカ、東亜安定ニ関スル帝国積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ、帝国ノ存立、亦正ニ危殆ニ瀕セリ。

 事既ニ此ニ至ル。帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為、蹶然起ッテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ。

 皇祖皇宗ノ神霊、上ニ在リ。

 朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ、祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ、速ニ禍根ヲ芟除シテ、東亜永遠ノ平和ヲ確立シ、以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス。

御名御璽


東亜の平和の為とはっきり書かれている!




30年間ジャングルの自然のなかで暮らした人間が、52歳からの人生で世界の偉人になった!

ラスト侍! 最後の帝国軍人


そうして、日本人に生きる事の意義を投げかける

52歳から始まる人生だって何でも出来る!

やらなければならない!

身体も、精神、自制や自立を鍛え続け






小野田さんは、フィリピンの小学校へ1万ドル寄付も行なっている

自分に出来るだろうか?

また、あの鈴木さんはその後ヒマラヤへ夢の雪男を探しに行って遭難し死亡した。

小野田さんは慰霊のためにヒマラヤまで赴いている

鈴木さんを大切な友人として
Posted at 2016/09/24 19:05:52 | コメント(1) | トラックバック(0) | 新日本 | 日記

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もう全て大阪からになりそう(⌒-⌒; )」
何シテル?   05/30 12:27
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