
夏休みの自由研究をする者です(⌒-⌒; )
出だしからパクリですが(^_^;)
前回のブログ「アイヌと縄文人」でアイヌの歴史を少し深掘りしましたが、
広く知れ渡っている年表を追って改めて確認したいと思います。
この年表は、札幌市の中央図書館に併設されている札幌市埋蔵文化財センターの展示室から頂いてきた資料です。
初めは、旧石器時代から北海道でも約2万5千年前の石器が見つかっているそうです!
ここで興味深いのが、当時は氷河期( ̄O ̄;)
そして、地図の上方を見て下さい!
樺太や北方領土は北海道と陸繋がり( ̄◇ ̄;)
全体を見ると北海道と本州も四国、九州、下は朝鮮半島近くまでほぼ繋がっているww
面白いですねー
それから、縄文時代
縄文時代は氷河期が続く1万5千年前から、縄文土器の使用により
土器使用は世界最古❗️
世界最古の文明が誕生したとも言えるのでは?
それから、5千年経った1万年前に氷河期が終わり現在と同じような気候になった縄文文化草創期から縄文文化早期へ
氷河期が終わり海面は上昇(氷河期では海面が下降していた)
どうも、
その頃(1万年前)に北海道と樺太は海で別れたので樺太側に残った縄文人がアイヌになったと考えられる
前回のブログでの言語の遠さの時期とも符合する、鬼界カルデラの爆発とは関係なかったかもσ^_^;
縄文時代は氷河期、日本列島は今よりも年平均気温が7℃低かった時期に始まった❗️
鬼界カルデラの爆発で西日本半分に縄文人が7600年前に住めなくなり、北海道を含む東日本へ移動してきた?
だから、
縄文文化の前期、中期、後期に渡って北海道を含めて縄文文化の花が開いた?
多数の縄文土器、土偶が発見されるのではないか!
本州の時代は、水田による弥生文化に入りますが、北海道では引き続き同じような生活
更に本州は、奈良、平安時代と進みますが、北海道では続縄文文化から擦文文化へと移行します
ここで注目です❗️
擦文文化は、本州の人たちの生活様式や道具を数多く取り入れていました。
しかも鉄製品が一般化していた。
ちなみに、
アイヌは鉄製品を作る技術はありません。
つまり、
アイヌが樺太から渡って来る前は、北海道は和人の文化だったって事です!
そして、年表に
続縄文文化と擦文文化期に渡って「オホーツク文化」とありますが、これは
和人でもなくアイヌでもない民族がオホーツク周辺にこの時期住んでいた( ̄O ̄;)
アイヌが来る前に、別の民族が北海道のオホーツク側に来て住み着き、日本書紀にも、それらしい記録がある(・・;)
前回のブログで国後島で、続縄文文化期の竪穴住居の記事を紹介しましたが、ここには北海道にずっと住んでいた続縄文文化の人達と、オホーツク文化の人達も8〜9世紀に住んでいた、そしてアイヌがもう近世の17〜18世紀に住んで居た跡が有ると書いてある。
つまり、
3種の全く異なる民族が住んでいた跡が有ったと言う事なんだけど、一般人にはその意味は分からない
分からないように新聞は書いているとも言えるww
国後の対岸になる北海道本土にも、アイヌが来る前のオホーツク文化の遺跡が多くある
繰り返すが
オホーツク文化の人々は、和人とアイヌが別の民族と言われているように、異なる民族である!
これは、続縄文文化から擦文文化にかけて、年表が表すように異なる民族が共存していた跡があると言う
そして、
今から800年前に突如として、擦文文化から北海道は今まで北海道に居た跡がない民族のアイヌが北海道全体に住み着いた!
これは
文化が変わっていたのではなく、アイヌと言うそれまでと全く異なる民族に北海道の住民が入れ替わった( ̄O ̄;)
つまり、
樺太から追い出され北海道へ一気に侵入して来たのがアイヌ
全く異なる民族だから、先住民だとか問題になっているわけで
800年前に、移り住んできたアイヌは、先住民か侵略者かあなたはどう思いますか?
アイヌが侵入する前に、住んでいた人々はどうなったのでしょうか?
Posted at 2019/08/11 12:55:05 | |
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縄文 | 日記