
志村けんです❕
違います(^_^;)
舞踏家 ギリヤーク尼ヶ崎
毎年、札幌でも歩行者天国で舞います!
今年も8月25日に来るようです。
そして、前日の24日は出身地の函館で
新宿でも踊るし、9.11のテロの1年後にはNYまで行って鎮魂の舞を踊っています
ワールドワイドな本物の魂を感じさせます!
さて、話は1300年前、飛鳥時代に飛びます✈️
前回のブログ「アイヌは侵略者か!」で、アイヌが北海道に住み着く前に、
オホーツク文化人と言われる人々が、国後島やオホーツク沿岸で暮らして居たことが遺跡の発掘でわかっている。
以前に使用した資料
そして、日本書紀に出てくる粛慎(みしはせ、あしはせ)はオホーツク(文化)人説が有力!
前回のコメントでみん友さんからも、オホーツク文化の人々は何処人で、一体何処へ消えたのか?
北海道旭川市のホームページより
ここにハッキリと、
アイヌがオホーツク文化人を排除・同化しながら北海道へ進出したと書かれています!
つまり、
オホーツク文化人はアイヌによって北海道から消されたのです❗️
ここにも書かれていますが、当時のアイヌの記録が中国の古書に記録されています
では、その内容を確認してみましょう〜
まずポイントは、
本来オホーツク文化人は樺太にアイヌと共に住んでいた。
オホーツク文化人の一部がアイヌにより北海道へ追い出された❗️
(その時に北海道に住んでいた人々とオホーツク文化人と侵入で争いがあったと日本書紀にも記録。それを押し退け飛鳥時代に北海道は既に日本(大和朝廷)の支配下にあったことも証明)
そして、
皮肉な事に北海道からオホーツク文化人が居なくなる原因のアイヌの北海道への進出は、樺太から大陸側にも住んでいたオホーツク文化人、ギレミ(ニブフ)が訴え❗️
オホーツク文化人は、ニブフに遺伝的に最も近い
1264年 - 吉里迷(ギレミ、吉烈滅)が「骨嵬(クイ)や亦里于(イリウ)が毎年のように侵入してくる」と訴えたため、蒙古帝国(のちの元)が軍勢を樺太に派兵し、住民の「骨嵬」を攻撃。
骨嵬とはアイヌのことを指す
そして、
このモンゴル(元軍)の断続的な樺太攻撃によりアイヌが北海道へ押し出され、樺太へ戻る事を阻まれた。
もう気付かれたと思いますが、
ギリヤークとはニブフのかつて呼称
蒙古帝国に訴えたギレミがギリヤーク、そしてニブフと呼ばれるように変化した
ギリヤーク尼ヶ崎さんの母方は、ニブフの血が入っているとか?
日本国籍を持ったニブフもいて、樺太から網走へ移住もしています。
面白いですねー
オホーツク文化人の担い手だったニフブが、オホーツクへ1000年の時を超え少数ですが戻って来たのです❗️
オホーツク文化人の正体は、ギリヤーク(ニブフ)
どの民族が悪いとかは分かりませんが、事実だけ見ればアイヌがギリヤーク(ニブフ)を樺太から北海道へ一部押しやり
多分樺太で当時はアイヌが1番の勢力で、次のギリヤークは蒙古帝国の力で、大半のアイヌを樺太から北海道へ押しやった!
元軍が1万も送る程のアイヌの人員、勢力とは⁉️
そして、北海道はアイヌ文化期と言われる時代に一気に入れ替わった

Posted at 2019/08/21 02:53:31 | |
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縄文 | 日記