
前編で沖縄人とアイヌが似ているのは、どちらも縄文人の遺伝子を多く50%くらい引き継いで残っているからであって
沖縄人が北海道へ移住したから似てるわけでも、逆にアイヌが本州を飛び越えて沖縄へ渡ったわけでもない
その事実は、
mt(ミトコンドリア)DNAでハッキリとわかる
mtDNAは身体的特徴の遺伝には関係ない、ミトコンドリアの主な役割は、生命維持装置
食物から身体を動かすエネルギーを発生させる、身体とは切り離なされた機関
mtDNAの解析は、ゲノムのDNAよりも、はるかに情報量が少なくてゲノムは平成にだけど、昭和に解析出来ていて比較的に簡単に出来るよう
2018年に
江戸時代の近世アイヌのmtDNA解析の論文が発表されています
まず1番上のmtDNAハプログループN9b
これは北海道縄文人で64.8と圧倒的、江戸アイヌも20だが沖縄人は2ほど
逆に次のM7a1は、沖縄人28.2と最も高い頻度だが、江戸アイヌは2ほど
因みに現代アイヌでは15 .7と意外と高い頻度
これは、明治以降に沖縄人が北海道へ、沖縄からも北海道開拓で移住してアイヌと結構交わった
アイヌが沖縄に行ったのではなく、それは、現代アイヌの他の高頻度ハプログループG1bが15 .7、Y1が19.6が沖縄人では全く出ていない
また、
このY1のハプログループはオホーツク人、つまり以前に触れたニブヒ(ギリヤーク)など樺太の北側からロシアの大陸の人々に高頻度
沖縄人には出るが、現代ではない江戸時代のアイヌには全くでないD5やB4もあることからも、母方のミトコンドリアDNAからは、沖縄とアイヌは江戸時代までは、
直接の交流は全くない
アイヌが北海道に文化の後を残してた鎌倉時代から江戸時代の日本の状況からも交流が無いのは当然だろう
明治維新以降に、アイヌも鎖国をやめて藩も無くなったことで、一層強く交りが起こった
江戸アイヌと現代アイヌを比べると、現代アイヌは本州人に近づくように数値が変化しているのが明らかに読み取れる

江戸アイヌでも、北側と本州寄りの南側では異なる特徴が有る
北海道縄文人で圧倒的なN9b、北側が高く、南側は半分ほど
次に多いM7a2でも、同様の傾向で北海道縄文人が濃いのは北側
しかし、ニブヒ(ギリヤーク)に高頻度で、オホーツク人(文化集団)の特徴となるY1
これこそ、北側北東側のオホーツク地方が高い特徴づけられていいのに、南側にもほぼ同じ高い頻度でサンプル数も多く確認されている
これは、他の方も言っておられるが、
「オホーツク文化集団の遺伝的影響は北海道全域の祖型アイヌ集団に急速に拡散した、と考えられます。」
つまり、これはアイヌが樺太から元(モンゴル)に追われて、一気に北海道へ移住してきて、mtDNAでの特徴がY1の
オホーツク地方に住んで居た人々(オホーツク人)の多くを急速に南側へ追い出し、
擦文文化(オホーツク文化)をアイヌ文化期へ変容させた
アイヌはオホーツク地方に住んでた先住民を押し除け、飲み込んでいった歴史を証明していると思います
因みに、南側のアイヌは本州人の影響がありますが、北側には殆んど浸透していません
アイヌは後天的に北海道縄文人の遺伝子を引き継いだ!?
最後に最大の問題は、アイヌと北海道縄文人で同様に高い頻度のN9bやG1bのmtDNAは、800年前にアイヌが樺太から追い出され北海道へ大量に移り住む前から多く持っていたのか
または、
北海道へやってきて後天的に得たものなのか?
「北海道縄文集団と近世アイヌ集団との違いは、北海道縄文集団に見られるmtDNAハプログループN9b4・N9b*・D4h2・M7aが近世江戸アイヌ集団には確認されていない一方で、北海道縄文集団では確認されていない19のハプログループが近世江戸アイヌ集団には見られることです。」
後天的と思われるが、それは、中世、古代まで遡って核のDNAを解析し比較しなければハッキリした事は言えない
北海道縄文人とアイヌは異なるが、和人(日本人)は以前ブログでも書いたが、古墳時代の頃までに、大陸からの移住者と在来の縄文人との混血
つまり、
アイヌとの関係も同じではないか❕
時代が、
本州の融合の終期より1000年後の日本に置いては最後の鎌倉時代の民族大移動のでの融合
まだ新しい融合
日本国、大和、和人、和の国
そう!
和わ
様々な争いの歴史などもありますが、
現在に繋がる日本人共通の和の精神
現代アイヌはDNA的にも
結局は、アイヌも日本人であるとしかならない
Posted at 2020/02/09 11:39:27 | |
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アイヌ | 日記