スーパーカーブームだった頃から、その存在と偉大さを知っていた、ジョルジェット・ジウジアーロ。
この目で、この耳で、生きているジウジアーロを拝める日が来るなんて思わなかったよ。
あんな話し方、あんな声なんだ。神様が降臨した想い。
ジウジアーロのデザインじゃなかったら、買ってなかったかもしれないSVX。長くSVXに乗っていて、乗っている間に会えてよかった。かっこいい車に憧れた子供の頃からの伏線を回収した感じ。
私は以前の仕事で、たくさんの工業デザイナーと話したことがある。仕事をお願いしたこともたくさんある。
しかしね、結構有名な製品を手掛けた著名なデザイナーだろうが、俺はセンスがいいぞと言う自称優れたデザイナーだろうが、ほとんどが「スタイリスト」。
正直、きれいな絵が書ける人。発想がユニークな人。それだけでしかない。思慮が足りない、薄っぺらい三流が多い。
絶妙な曲線が描けることも、誰も見たことがない形を発想できようが、それが設計要件を満たしていて量産ができるもの、具現化できるものでなければ、絵に描いた餅。
「どうだ?な?見たこと無いだろ、こんなデザイン。すごいだろ?どうやって実現するのかって?それを考えるのが設計でしょ!」っていう自称デザイナーが多い。
デザイナーとは、設計も含む言葉。
本物のデザイナーは、設計要件を満たし、コストも踏まえ、量産性も理解していて、しかも現状の設計製造スキルよりも一歩頑張らないと具現化できないものを提示してくる。設計製造技術を成長させてくれるのだ。その一歩のラインの見切りが、絶妙のさじ加減を提示してくれる。
ブランディング、ブランドイメージから考えて、頼まれてもいない他の製品のデザインにも影響をもたらしてくれたりする。
そんなデザイナー(というか、デザイン事務所)には、1社しか巡り合ったことがない。今でもとても尊敬している。
ジウジアーロのデザインは、昔から「実現できるデザイン」という評判だった。
この窓はどうやって開くの?っていうデザインには、内部構造図も描いてきて、こういう構造だからこれだけのスペースにこれだけのストロークが確保できて、こういう動きで窓が開く、というものを提案してくる人。
ジウジアーロは社会人になって最初の4年間、フィアットで設計や製造を見てきたそうだ。それで設計と製造を理解したと。それが他のデザイナーとの違いで強みだと言っていた。具現化できること、製造工程までイメージしたデザインにすることを心がけているとのことだった。
私が尊敬するデザイナーと考えが同じ。やっぱりそうなんだなあ。
ジウジアーロのお話を聞きながら、尊敬するデザイナーとのこれまで交わした会話や思い出をいろいろ思い出した。
人生を噛み締めた講演だった。
ジウジアーロさん、これまでお世話になりました。ありがとうございます。
Posted at 2025/04/12 23:45:58 | |
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