
中国メディア・今日頭条は2日、日本が「明治維新」の改革に成功して、富国強兵の道を実現した理由について、3つのポイントから説明する記事を掲載した。記事は「明治維新が成功した理由について、同時期に中国で起きた「洋務運動」と比較してみると、主に次のような大きな要素が存在する」としたうえで、3つの理由を示した。
1つ目は、「改革の目的が強烈だったこと」だ。「西洋諸国が植民政策による領土拡張、工業革命を実現すると世界の中心は西洋へと移動した。そして東洋諸国へと食指を伸ばしていき、当時鎖国政策をとっていた日本は中国同様に『いじめ』の対象となった。その最たるものは1853年の黒船襲来であり、米国は日本に対して、強引に不平等条約を結ばせた。一方中国は2度のアヘン戦争を経て列強から不平等条約を結ばされており、中国の状況を見た日本は、改革こそが唯一の活路と悟ったのだ」と説明している。
2つ目は、「強い中央集権によって、改革の障害が排除されたこと」を挙げた。記事は「欧米列強の圧力を受けた、徳川幕府を倒す運動が各地で発生し、1968年に徳川幕府は、完全に敗北を喫して数百年ぶりに天皇が国政の実権を握る、明治時代が幕を開けた。まず旧来の政治体制の弊害が取り除かれ、天皇にすべての権力が集中する、中央集権の政治体制が作られた」と解説した。
一方、中国では実権を握っていた西太后が、「洋務運動」への支持を途中でやめて、権力や快楽を貪ったために近代化改革は失敗に終わったと指摘。日本の明治維新が、上から下まで社会の各階層が全力で賛同し、支持するなかで進められたのとは、対照的な状況だったことを伝えた。
そして3つ目は、「改革を徹底的に実現したこと」とした。記事は「改革の内容から言えば、実は日本と中国の洋務運動は同様で、先進技術の取り込み、軍事・民間工業の発展、陸海軍の発展、国民生活の発展、教育の発展などが行われた。しかし日本は最終的に、1894年の日清戦争で、自らの改革が成功したことを証明したのだ。そして、日本はアジア最大の強国となり、第2次大戦では米英などの大国との戦いに挑み、中国民族も滅亡寸前まで追いやられたと論じている。
強い中央集権という点が指摘されたが、先日の共産党大会で、習近平主席の権力基盤が強化された。権力の集中は諸刃の剣であり、国が大きく傾くリスクを孕む一方で、改革が一気に進む可能性も秘めている。2期目の習近平政権は、果たしてどちらの道を進むのだろうか。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:(c)mfc123/123RF) サーチナ 2017-11-07 05:12
Posted at 2018/05/01 08:10:16 | |
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